アリストテレスの二元的宇宙像については、本の1-1-2「アリストテレスの宇宙像」で触れた。この考え方は、その後の自然哲学、あるいは後世の科学、占星術に多大な影響を与えた。そのため、改めて整理しておきたい。
アリストテレス自然学では、月下の世界は土・水・空気・火の四元素より成り、それらは相互に移り変わることが可能としている。この月より下の常に転化して生成・変化・消滅を繰り返す世界は「地上界」と呼ばれる。それに対して月とそれより先のエーテルよりなる世界では決して転化することがなく、生成や消滅は見られない。この不変の世界は「天上界」と呼ばれる。彼はそれぞれの世界は別な法則に従っていると考えた。この考え方は二元的宇宙像(論)と呼ばれている[1]。
このアリストテレスによる二元的宇宙像は、バビロニアでの日食や月食などの現象が「地上の物体に作用する」という考え方と結びついて、「地上界の出来事には必然的に天上界が作用している」という考え方の基本となった。月齢による海の干満や曇りの日でも花が太陽の方向を向く植物などから、当時の人々から見ればこれは当然であった。これをここでは「地上事象天因説」と呼ぶことにする。ちなみに東洋では古くから「天人相関説」が有名で、これは易姓革命など人間の行為が天にも影響するため双方向性である。西洋での古代ギリシャ自然哲学は単方向で、地上界は天上界に影響を与えることはない。
地上事象天因説の考えは、地上界の出来事の原因を天上界(つまり星の動き)に求める占星術(学)が隆盛するもとともなった。本の1-2「プトレマイオスによる天文学と占星学の始まり」や「気象予測の考え方の主な変遷(2)天文観測と占星学の登場」で書いたように、プトレマイオスはこの法則性を綿密に探るために彼の著書「アルマゲスト」で、将来の惑星の動きを(誤差は大きかったが)計算して予測できる宇宙モデルを初めて構築した。そして地上事象天因説の法則性を探ろうとした著書「テトラビブロス」では、気象と天体の動きとの関係についても述べている。これは占星気象学となって、やはり中世に大きな影響を与えた。ドイツの天文学者ヨハネス・スタビウスや医師カルダーノはテトラビブロスの気象予測の部分を高く評価していた[1]。
この影響を受けた研究者として、16世紀のデンマークの有名な天文学者チコ・ブラーエがいる(本の3-1-2「ティコ・ブラーエの占星気象学と天体観測」参照)。彼は占星学の研究者でもあった。彼は精巧な天文観測装置を作ったことで有名だが、その動機の一つとして、天上界の地上界への影響の法則を正確に捉えられないのは観測精度が足らないと考えたことも動機となっている。そして地上事象天因説の影響が最も現れるものの一つとして気象を取り上げた。彼は天文観測しながら1582年の10月から1597年の4月まで、15年間にわたってヴェーン島で気象観測の記録を残している。これは占星気象学の検証のためと思われている[3]。
チコはこうも述べている。「太陽は四季の循環をもたらし、月の満ち欠けにともなって・・・、潮の満ち干が生じる。・・・経験を積んだ観測者は、惑星の配置が天候に大きな影響を及ぼすことを知っている。火星と金星が天のある場所で会合するとき雨や雷が生じ、太陽と土星の会合では大気が濁り不快になる。太陽と恒星は毎年おなじように動くが、惑星はそうではないために、天候は年ごとに異なる。」[1]
こういう考えをもっていたのは、決してチコだけではない。フランス出身の神学者ジャン・カルヴァンは「天の影響はしばしば暴風、旋風、また種々の天候、長雨の原因となるからである。」と述べている[2]。ヨハネス・ケプラーは占星術者としても有名だった(本の3-1-3「占星気象学者ケプラーによるケプラーの法則の発見」参照)。彼の占星術的予言はもっぱら自然占星術であり、その大部分が気象予測であった[3]。彼の著書「第三の調停者(Tertius Interveniens)」でも1592 年から1609年までの16 年間にわたって気象観測を継続して、その間に観測された星相と天候異常の関係の実例をいくつも記している[3]。また著書「世界の調和(Harmonices Mundi)」の中でも「ひたすら天候を観察し、そういう天候を引き起こす星相の考察をしたからであった。すなわち、惑星が合になるか、一般に占星術師が弘布した星相になると、そのたびに決まって大気の状態が乱れるのを私は認めてきた。」と述べている[3]。
この地上事象天因説のもととなっている「天上界」と「地上界」という考え方が終焉するのは、ニュートンによる万有引力の法則の発見によってである(本の3-2-4「ニュートン力学の誕生」参照)。この法則によって天上界と地上界とに同じ法則が適用できることがわかった。この法則は天上界と地上界の区別を消し去り、これが彼が発見した万有引力(universal gravitation)にわざわざ「万有」と断わり書きが入っている理由の一つである。
ところが、占星術は天上界による地上界への影響がはっきりしないまま、星の動きを「未来を指し示す予兆」と捉える星占い(ホロスコープ)として、幅広く民衆に広がっていった(本の2-1-3「占星気象学の普及」と気象予測の考え方の主な変遷(3)ローマ時代と中世を参照)。他方、この人々に広がった星占いは、そのためのエフェメリス(天体暦)やアルマナック(生活暦)という惑星を含む天体の正確な運行という強い需要を喚起し(これがないと星占いが出来ない)、チコやケプラーによるその後天文学の発展を推進する動機ともなった。これは結果として、いわゆる科学革命へとつながっていった面があった。
このようにアリストテレスの二元的宇宙像は、後世に大きな影響を与えたのである。
(次はトマス・アクィナスによるアリストテレス自然哲学とキリスト教の調停)
Reference
[1]山本義隆、「世界の見方の転換1 天文学の復興と天地学の提唱」、みすず書房、2014年、ISBN 978-4-622-07804-3 C1340.
[2]山本義隆、「世界の見方の転換2 地動説の提唱と宇宙論の相克」、みすず書房、2014年、ISBN 978-4-622-07805-0 C1340
[3]山本義隆、「世界の見方の転換3 世界の一元化と天文学の改革」、みすず書房、2014年、ISBN 978-4-622-07806-7 C1340