2020年1月12日日曜日

フォン・ノイマンについて(3) 数学への貢献

 高校当時、フォン・ノイマンにとっての本来の興味は数学にあった。しかし、第一次世界大戦後のヨーロッパでは、数学で職を得るのは極めて困難だった。そのためフォン・ノイマンは1921年から2年間ベルリン大学で化学を学んだ後、スイス工科大学の応用化学科に進んだ。ハーバー・ボッシュ法による窒素固定法の発明など、当時の応用化学は最先端の実用的学問だった。しかし、彼本来の目的のためにブタペスト大学の数学科にも入学した。

 ゲッチンゲン大学の教授で、現代数学の父とも呼ばれる数学者ヒルベルトは、1920年代にカントルの集合論を含めた現代数学をまるごと公理化し直し、もっと厳密なものにしようとしていた。しかし、集合論の一部は厳密な公理からはまだ遠かった。フォン・ノイマンはスイス工科大学で応用化学を修得した後、本来の目的に戻り、ブダペスト大学でカントルの集合論の公理化を博士論文のテーマにした。1926年に23歳で博士の学位を得て、ゲッチンゲン大学のヒルベルトの下で1927年まで研究した。彼はヒルベルト空間の研究を続けて、ヒルベルト空間を初めてきちんと公理的に取り扱うことに成功した[1]。これによってヒルベルト空間は新たな数学的な道具として利用できるようになり、またこれは彼が量子力学の数学的な基礎付けに貢献することにもつながった。

 1930年からはアメリカのプリンストン大学の講師となり、翌年からは教授となった。彼の講義は黒板に次々に数式を書いては学生が書き写す前に消してしまうので、彼の講義はついて行くのが大変なことで有名だった。しかし、学生からの問いに対しては、彼らしくどんな複雑な問題でも単純化してわかるように明解にした上で答えたという[3]

 1933年にアメリカのプリンストンに高等研究所(Institute for Advanced Study)が設立されて、アインシュタインなどがそこの教授に招聘された。フォン・ノイマンも同年にそこの教授になり、ヒルベルト空間の研究を拡充し、作用素や作用素環というそれまでほとんど未踏の分野を開拓して、新しい着想や発見を行った[1]。それらは「連続幾何学」と呼ばれる数学の一分野となった。彼が見つけた方程式群は「フォン・ノイマン環」と呼ばれている[2]

 またフォン・ノイマンが発展させたエルゴ-ド定理は、統計力学を初めて厳密な数学的基礎の上に位置づけることになり、その後ハーバード大学のバーコフがこの定理を発展させる礎となった[2]。これらによって統計力学の理論ははるかに強化された。

 ところで、フォン・ノイマンは、この高等研究所で学位取得のための研究をしていたイギリスの数学者アラン・チューリングと知り合いになった。この出会いはノイマンに生物学やコンピュータ、人工知能への分野への興味をもたらした。その後アラン・チューリングは、イギリスでドイツの暗号装置エニグマの解読に成功し、第二次世界大戦の帰趨に大きな役割を果たした。しかし、彼は同性愛的な傾向を疑われたため、悲劇的な死を迎えたことで知られている。

[1] ヒルベルト空間, Wikipedia, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E7%A9%BA%E9%96%93
[2]ノーマン・マクレイ、渡辺正、芦田みどり訳(1998)「フォン・ノイマンの生涯」、朝日選書
[3]John von Neumann (1903 - 1957), School of Mathematics and Statistics University of St Andrews, Scotland, http://mathshistory.st-andrews.ac.uk/Biographies/Von_Neumann.html

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