ゲッチンゲン大学の教授で、現代数学の父とも呼ばれる数学者ヒルベルト(David Hilbert)は、1920年代にカントルの集合論を含めた現代数学をまるごと公理化し直し、もっと厳密なものにしようとしていた。しかし、集合論の一部は厳密な公理からはまだ遠かった。フォン・ノイマンはスイス工科大学で応用化学を修得した後、本来の目的に戻り、ブダペスト大学でカントルの集合論の公理化を博士論文のテーマにした。1926年に23歳で博士の学位を得て、ゲッチンゲン大学のヒルベルトの下で1927年まで研究した。彼はヒルベルト空間の研究を続けて、ヒルベルト空間を初めてきちんと公理的に取り扱うことに成功した[1]。これによってヒルベルト空間は新たな数学的な道具として利用できるようになり、またこれは彼が量子力学の数学的な基礎付けに貢献することにもつながった。
1930年からはアメリカのプリンストン大学の講師となり、翌年からは教授となったが、あまりの若さに彼はしょっちゅう学生と間違われたという。彼の講義は、黒板に次々に数式を書いては学生が書き写す前に消してしまうので、講義について行くのが大変なことで有名だった。しかし、学生からの問いに対しては、彼らしくどんな複雑な問題でも単純化してわかるようにした上で答えたという[2]。彼の考察の明解さは、他の誰と比べても桁外れだった。
1931年に、B. O.コープマン(B. O. Koopman)はエルゴード仮説についての正確な記述が公式化でき得る状況(context)の一つは、ヒルベルト空間上の作用素理論(theory of operators)であるという考えを発表した。これは、まさしくフォン・ノイマンが初期の量子力学を明確にするためにいくつかの画期的な論文を書いたテーマだった。コープマンの論文の出版のすぐ後、フォン・ノイマンは、現在ユニタリ作用素(unitary operators)のための平均エルゴード定理として知られているものを体系化して証明した[3]。これは、統計力学を初めて厳密な数学的基礎の上に位置づけることになり、その後ハーバード大学のバーコフ(G. D. Birkhoff)がこの定理を発展させる礎となった[2]。これらによって統計力学の理論ははるかに強化された。
1931年に、B. O.コープマン(B. O. Koopman)はエルゴード仮説についての正確な記述が公式化でき得る状況(context)の一つは、ヒルベルト空間上の作用素理論(theory of operators)であるという考えを発表した。これは、まさしくフォン・ノイマンが初期の量子力学を明確にするためにいくつかの画期的な論文を書いたテーマだった。コープマンの論文の出版のすぐ後、フォン・ノイマンは、現在ユニタリ作用素(unitary operators)のための平均エルゴード定理として知られているものを体系化して証明した[3]。これは、統計力学を初めて厳密な数学的基礎の上に位置づけることになり、その後ハーバード大学のバーコフ(G. D. Birkhoff)がこの定理を発展させる礎となった[2]。これらによって統計力学の理論ははるかに強化された。
1933年にアメリカのプリンストンに高等研究所(Institute for Advanced Study)が設立されて、フォン・ノイマンはアインシュタインなどとともにそこの教授に招聘された。フォン・ノイマンはマレ(F. J. Murray)と共同でヒルベルト空間の研究を拡充し、作用素論(operator theory)や作用素環(theory of rings of operators )というそれまでほとんど未踏の分野を新たに開拓した[2]。この作用素という概念は物理学の分野では演算子と呼ばれており、量子物理学の研究で最も強力な道具となっている。彼が見つけた方程式群は「フォン・ノイマン環」と呼ばれている[4]。
ところで、フォン・ノイマンは、この高等研究所で学位取得のための研究をしていたイギリスの数学者アラン・チューリング(Alan Turing)と知り合いになった。この出会いはノイマンに生物学やコンピュータ、人工知能への分野への興味をもたらした。その後アラン・チューリングは、イギリスでドイツの暗号装置エニグマの解読に成功し、第二次世界大戦の帰趨に大きな役割を果たした。しかし、彼は同性愛的な傾向を疑われたため、悲劇的な死を迎えたことで知られている。
(つづく)
[1] ヒルベルト空間,
Wikipedia, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E7%A9%BA%E9%96%93
[2]ノーマン・マクレイ、渡辺正、芦田みどり訳(1998)「フォン・ノイマンの生涯」、朝日選書
[3]John von Neumann (1903 - 1957), School
of Mathematics and Statistics University of St Andrews, Scotland, http://mathshistory.st-andrews.ac.uk/Biographies/Von_Neumann.html
[4]John von Neumann (1903 - 1957), School of Mathematics and Statistics University of St Andrews, Scotland, http://mathshistory.st-andrews.ac.uk/Biographies/Von_Neumann.html
[4]John von Neumann (1903 - 1957), School of Mathematics and Statistics University of St Andrews, Scotland, http://mathshistory.st-andrews.ac.uk/Biographies/Von_Neumann.html
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