2020年1月21日火曜日

フォン・ノイマンについて(5) 戦争への協力

 戦争では砲弾や爆弾が使われる。それらは爆発さえすれば目標になんらかの損傷を与えることはできるが、その威力は単純に爆薬量だけに依存するわけではない。威力は爆発方法や弾体の形、構造などによっても大きく異なる。そして、その威力を十分に発揮させるには、爆発時に瞬間的に発生する衝撃波―つまり乱流や擾乱―の振る舞いをはっきり掴む必要がある。

 フォン・ノイマンは、1930年代半ばからこの流体の擾乱の不可思議さに興味を持った。爆発時に衝撃波がどのように発生するかは、流体力学の非線形偏微分方程式を何らかの手段で解く必要がある。天気を支配している大気の運動もやはり流体力学の非線形偏微分方程式に従っており、天気予報を行うためにはこれを解く必要がある。この共通性が別の回で述べるように彼が気象学とも関わりを生むきっかけとなった。

 非線形の偏微分方程式は一般的に解析的には解けない。つまり方程式を変形して解を求めることができない。しかし、適切な数値計算を行うことができれば、膨大な計算量にはなるが近似的に解を求めることができる。原子爆弾を含む爆弾・砲弾を効果的に爆発させることと気象を予報するという数値計算の必要性が、後にフォン・ノイマンによる電子コンピュータの開発を後押しした。

 フォン・ノイマンは1940年頃から衝撃波の理論構築を進め、平面だけでなく球面衝撃波の問題も研究した。1941年からは国防研究協議会(NDRC)の顧問、後に委員となり、爆発時の噴流を特定方向に集中させて威力を増す指向性爆薬(成形炸薬)の爆発も研究した[1]。炸薬を漏斗状に成形すると、爆発力が中心の空間に集中して厚い装甲板を貫通する効果は、ノイマン効果とも呼ばれている。

 これらの成果は対戦車バズーカ砲や魚雷の爆発に応用された。彼は個別の砲弾や爆弾の型を設計したというよりも、優れた能力と人柄で米軍の兵器に爆発計算という概念と手法を根付かせた点に、彼の本領があるのかもしれない。彼の爆発流に関する優れた研究手腕は、「(8)原子爆弾の開発」で述べるように、原子爆弾の爆発方法の開発につながった。

 ちなみに第二次世界大戦時に日本軍の戦車は米軍の携帯型対戦車バズーカ砲にやすやすと破壊され、それを持たなかった日本軍は米軍戦車を機動的には破壊できず、兵士が破甲爆雷を持って戦車に突っ込むという効率の悪い戦法で、結果的に各地で米軍戦車に蹂躙された。また開戦当初性能が悪かった米軍の魚雷は1944年頃から格段に高性能化し、日本の商船だけでなく装甲の厚い軍艦までも魚雷で次々に沈められることとなった(「台風による第4艦隊事件 (4)」参照)。

 爆発計算の専門家としてのフォン・ノイマンは軍内で有名となった。また彼は1942年に海軍兵器局へ行き、オペレーションズ・リサーチ(OR)を研究することになった[1]ORとは兵器の活用と敵の対抗手段を、物理学や統計学などを利用して、最も効果的な手法を定量的に探るものである。例えば機雷の効果的な敷設方法や海上護衛の効果的なやり方などはORと密接に関連している。

 物量にまさるアメリカやイギリスは、ORを駆使して大量の兵器を効率的・効果的に戦場に投入した。一方で戦備に劣る日本は効果的なORの研究を持たず、乏しい戦力をやみくもに投入するしかなかった。フォン・ノイマンはこのORの研究を通して、ORと関係が深い数値解析やゲームの理論とも関わることになった。

つづく

[1]ノーマン・マクレイ、渡辺正、芦田みどり訳(1998)「フォン・ノイマンの生涯」、朝日選書

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