2021年9月9日木曜日

1783年のラキ火山噴火の大気への影響(6) 浅間山噴火の影響と全体のまとめ

 6 浅間山噴火の影響と全体のまとめ

6.1 浅間山噴火の影響

ラキ火山噴火が起こった1783年は、日本では「夏のない年」と言われ、夏が非常に涼しくて湿っていたため稲作などに歴史的な大凶作をもたらした。これは天明の大飢饉として知られている。全国で92万人が餓死し、人肉相食んだとも言われるが、各藩は幕府に窮状を知られたくないために実情を隠したとも言われ、正確な数字はわからない。

日本では、18世紀後半には験温器や寒暖計という名称でオランダから日本に温度計が持ち込まれていたが、幕府の天文方が天文観測用に測定器を用いた気象観測を開始したのは、本書「7-1-3 江戸後期の気象観測」で述べたように19世紀に入ってからで、それ以前の系統的な観測記録はない。しかし、長年記録された諏訪湖の凍結日と後年の江戸の気温のデータの関係から、1784年から1785年にかけての冬季の気温は、1768年から1798年の冬季の平均気温より1.2°C低かったと推測されている [14]。

天明の大飢饉の絵(Wikimedia Commonsより)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Great_Tenmei_famine.jpg?uselang=ja

日本の長野県にある浅間山は1783年5月から8月にかけて断続的に噴火し、特に8月の爆発的噴火は大きかった。この噴火が日本での冷夏などの異常気象の一因となった可能性が示唆されている。しかし、この噴火によって成層圏に注入された硫酸エアロゾルは3.5 Mt [15]、降下堆積物の量は0.17 km3 [16]と推定されている。これはラキ火山のそれぞれ約100 Mtと0.4 km3に比べると遙かに小さく、またそれによる成層圏エアロゾルの光学的厚さも気候に影響を与えるほどではなかったと推定されている [15]。そのため、浅間山の噴火による気候への影響は大きくなかったと考えられている。

6.2 火山噴火によるリスク

しかしながら日本は有数の火山国である。噴火のタイプはラキ火山とは異なるかもしれないが、三宅島の噴火では雄山が2000年から2004年にかけて1日あたり最大で0.01~0.05 Mtの二酸化硫黄の火山ガスを放出し続けたことがあった。夏季には南風に乗って関東の内陸で硫黄臭騒ぎもあった。2014年の御嶽山のように火山噴火との直接の遭遇による被害も怖いが、火山は噴火によってはこれまで記述してきたように、さまざまな被害を長期にわたって広範囲に起こし得る。

ラキ火山噴火による気候への影響についても、未だにまだよくわかっていない部分がある。例えばラキ火山が噴火した後、1783年の夏はなぜヨーロッパで猛暑になったのか?それはヘイズと関係があったのか?あったとすれば、 ヘイズのエアロゾル成分は日射に対してどう影響(吸収それとも反射)したのか?大規模なヘイズは放射への影響を通して地球規模での大気循環パターンに影響を与えたのか?などである。大規模な火山噴火はこれからも起こるかもしれない。ラキ火山噴火の自然への影響は決して過去のものではない。

1.初めに」で述べたように、ヨーロッパの各国政府は、ラキ火山噴火のような噴火が発生した場合のリスク軽減に関心を示している。噴火による気候や大気循環への影響を推定できれば、人間の健康、農業、生態系、航空便に対するラキ型噴火の影響をある程度評価することができる。そして、その中には事前や事後に速やかな対策を講じることによって影響をある程度緩和できるものもある。そのためか、ヨーロッパを中心に現在でも1783年のラキ火山噴火に関する研究発表は多い。

自然界のメカニズムは複雑でかつつながっており、さまざまな所に及ぶ火山噴火の影響の全容は必ずしもわかっていない。例えば1991年のフィリピンのピナトゥボ火山噴火の際には冷夏になっただけでなく、それによって生成された成層圏エアロゾルによって成層圏オゾンに変動が見られ、また直達日射は減ったものの散乱日射が増えたため、通常は陰になっていた葉の光合成量が増えて、自然界における二酸化炭素の吸収が増えたとも言われている。

6.3 最後に

1991年のピナトウボ火山噴火の当時とは異なり、現在はエアロゾルや大気汚染に関する世界規模の観測網が構築されている。設置場所は離散的であるが、都市域には大気汚染の観測地点が設置され、またSKYNETやAERONETのように上空のエアロゾル全量や鉛直分布を地上から光学的に推定する測定器が世界規模で展開されている。逆に宇宙からMODISやCALIOPなどの衛星に搭載されたセンサーで大気中のエアロゾル全量や鉛直分布が光学的に推定されている。

宇宙からの衛星観測は地域的に見ると連続的ではないが、場所を変えながら地球を周回するので、1か月などの平均をとると全球の観測が行える。衛星による観測は地上での直接観測と組み合わせることによって、その精度を上げることが出来る。過去の噴火状況を調べることも重要であるが、この後もし大規模な噴火が起これば、その気候への影響のメカニズムに関する知識は現在より大幅に進展すると思われる。

火山噴火ではないが、私は1997年秋のエルニーニョによって起こった東南アジアでの大規模森林火災発生時に、インドネシアに滞在したことがある。その時は森林火災によるヘイズ(煙霧)で地上でも物が霞んで視程は1 kmもなく、空は晴れているのに太陽がときおりぼんやり薄く見える状態だった。しかし何より困ったのは、呼吸する際の焦げ臭い匂いであった。ヘイズは数千kmという広域に広がっているので、逃げることも出来ずマスクをしてもほとんど防ぎようがなかった。おそらくラキ火山のような大規模火山噴火が起これば、日本でも同様な状態になる場合があるのではないかと思っている。

1997年のインドネシア森林火災時のヘイズ(カリマンタン島のバンジェルマシン空港にて筆者撮影。1997年10月24日)

火山については、数十年から数百年、あるいは数千年に一度という活動頻度のものも多く、その活動についてまだよくわかっていないことが多い。日本でも今後大規模火山噴火がないとは言い切れないので、火山活動による大気の影響について知っておくことは有用だと思われる。

【2023年11月追記】過去2000年間の人類に危機的な影響を与えた火山噴火(西暦540年代、1450年台、1600年台)では、成層に注入されたエアロゾルはこれまで推定の約半分だったという論文が発表された。これは成層圏エアロゾルの気候への影響がこれまで考えられていたものより大きく、特に成層圏へ火山ガスが上がりやすい高緯度の火山噴火では、気候に複雑な影響を与える可能性を指摘している[17]

1783年のラキ火山噴火の大気への影響(1) 」でフランクリンが指摘したように、火山噴火による気候への影響には時間差があるので、ある程度対策が可能である場合がある。今後も特に高緯度での火山噴火には注意を払う必要があると思われる。

(このシリーズ終わり)

参照文献(このシリーズ共通)

[1] 田家 康(2016)異常気象で読み解く現代史. , 日本経済新聞社.
[2] Demaree R.G., Ogilvie E. J.A.(2001)Bons Baisers d'lslande: Climatic, Environmental, and Human Dimensions Impacts of the Lakagfgar Eruption (1783-1784) in Iceland. (編) Jones D.P., ほか. History and Climate Memories of the Future?, Springer Science+Business Media, LLC, 219-246.
[3] Stothers B., J. A. Wolff, S. Self, and M. R. Rampino(1986)Basaltic fissure eruptions, plume height and atmospheric aerosols, American Geophysics Union, Geophysics Research Letters, 13, 725-728.
[4] Thorvaldur Thordarson and Stephen Self(2003)Atmospheric and environmental effects of the 1783-1784 Laki eruption: A review and reassessment, American Geophysics Union, Journal of Geophysical Research (D1), 108.
[5] Grattan J. et al.(2005)Volcanic air pollution and mortality in France. Comptes Rendus Geoscience, 7, 337.
[6] Oppenheimer C. and C. Witham(2005)Mortality in England during the 1783-4 Laki Craters eruption, Bulletin of Volcanology, 67, 15-26.
[7] Dawson G Alastair, Kirkbride P Martin, Cole Harriet(2021)Atmospheric effects in Scotland of the AD 1783-84 Laki eruption in Iceland, SAGE Publications, The Holocene, 31, 5, 830-843.
[8] Richard B. Stothers(1996)The Great Dry Fog of 1783, Springer, Climatic Change, 32, 79-89.
[9] Franklin Benjamin(1784)Meteorological Imaginations and Conjectures, Manchester Literary and Philosophical Society, Memoirs of the Manchester Literary and Philosophical Society, 2, 373-377.
[10] Gaston R. Demaree, E. J. Ogilvie, De'er Zhang Astrid(1998)Further Documentary Evidence of Northern Hemispheric Coverage of The Great Dry Fog of 1783, Springer, Climatic Change, 39, 727-730.
[11] Grattan J., Pyatt P. J.(1999)Volcanic eruptions dry fogs and the European palaeoenvironmental record: Localised phenomena or Hemispheric impacts? Global and Planetary Change. Aberystwyth University.
[12] Manley Gordon(1974)Central England temperatures : monthly means 1659 to 1973, Royal Meteorological Society, Quarter Journal of Royal Meteorological Society, 100, 389-405.
[13] 堤 之智(2017)新たなWMO/GAW実施計画:2016-2023について気象学会天気, 8, 64, 607-614.
[14] Barbara M. Gray(1974)Early Japanese winter temperatures, Royal Meteorological Society, Weather, 29, 103-107.
[15] Zielinski G. A. et al.(1994)Climatic Impact of the A.D. 1783 Asama (Japan) Eruption was Minimal: Evidence from the GISP2 Ice Core.  the American Geophysical nion, Geophysical Research Letters, 21, 22, 2365-2368.
[16] 安井真也, 小屋口剛博 , 荒牧重雄(1997)堆積物と古記録からみた浅間火山1783 年のプリニー式噴火, 日本火山学会, 火山, 42, 4, 281-297.
[17] Andrea Burke et al., (2023) High sensitivity of summer temperatures to stratospheric sulfur loading from volcanoes in the Northern Hemisphere, PNAS, 120, 47, https://doi.org/10.1073/pnas.2221810120



2021年9月4日土曜日

1783年のラキ火山噴火の大気への影響(5) 噴火の社会への影響

5. 噴火の社会への影響

5.1 同時期の災害

ヨーロッパにおいては、1783年は自然災害について異常な年だった。以下に示すさまざまな自然現象が起こり、人々に対して自然に対する関心の高まりと混乱をもたらした。

ヨーロッパの地震

1783年2月5日19時頃にシシリー島のメッシーナやイタリア南部のカラブリア州を中心とした大地震が起こった。この地震による家の倒壊などにより約2万人が亡くなったとされている [2]。このニュースは当時の新聞を通じて全ヨーロッパへ誇張気味に伝えられた。さらにナポリ近くのベスビオス火山や地中海のブルカノ島とストロンボリ島の火山も同時期に噴煙を上げたため、何かの大災害がさらに起こるのではないかと人々は恐れた [2]。人間はいつの時代も未知の現象に遭遇すると、その不安を和らげるためにその原因を知ろうとする。もちろん当時は地震の科学的なメカニズムなどはわからないので、同時期に起こった火山の噴火や激しい雷雨などがこの地震が起こった原因の憶測として飛び交った。

同年の7月6日に、今度はフランス西部からスイスにかけての地域、フランシュ=コンテ、ブルゴーニュ、ジュネーブで地震が起こった。7月30日には北アフリカ地中海沿岸のトリポリで地震が起こった。8月7日から8日にかけて今度はアーヘンなど北フランスを中心とした地域で地震が起こった [2]。これらの地震は大きくなくそれほど被害はなかったが、イタリア南部の地震の記憶がまだ生々しかった時期だった。しかも、この頃には既にヨーロッパをヘイズが覆っていたがアイスランドの火山噴火はまだ伝わっておらず、その原因は全く不明なままだった。ヘイズの原因としていろいろな憶測が流布しており、後述するようにヘイズの原因の一つとしてこれらの地震も挙げられた。

流星

この年は流星が多発したことで知られている。頻度だけでなく、いくつか大きな流星も出現した。その一つは1783年8月18日のもので、イギリスのシェトランド諸島からドーバー海峡までイギリス上空を太陽とほぼ同じ大きさの光彩を持った隕石が長い尾を引いて通過し、その後に爆発して7-8個に分裂した[2] [9]。さらに10月4日の午後7時過ぎにも月とほぼ同じ大きさの赤い輝きをもった流星が観察された [9]。中世からこういった現象は悪いことが起こる予兆と捉えられることが多く、その後科学の進歩で少しずつ天体のことがわかってきていたが、まだ中世的な考えは払拭されていなかった。これらの流星の出現は、人によってはさらに悪いことが起こる予兆として捉えられた。

1783年8月18日に現れた流星の絵
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:The_Meteor_of_August_18th,_1783_as_it_appeared_from_the_North_East_corner_of_the_terrace_at_Windsor_Castle.jpg

アイスランド南西沖での火山噴火

ラキ火山噴火と連動しているかどうかはわからないが、同じ年の1783年5月にアイスランド南西の海洋上で海底火山(Reykjaneshryggur)の噴火が起こり、激しい噴煙が上るとともに島が一時的に形成されたようである。この噴火と島は1783年5月22~24日頃に船員が目撃している [2]。この噴火は8月15日まで続いた [6]。アイスランドの住民も4月20日頃から遠くの海洋上での噴火を目撃していた [2]。

疫病

当時はこの本のコラム「ヒポクラテスの生気象」で述べたように、ギリシャの哲学者ヒポクラテス以来の病気は天候や地理によるものという考えが広まっており、病気(家畜の病気を含む)と気象との関係を研究するため、パリ医学アカデミーやオランダの医療通信学会が気象観測網を構築していた。しかし、これらは必ずしも観測基準や観測手法の統一がなされておらず、あまり精度の良いものではなかったようである。

1783年の夏にヘイズが広がるとこの大気現象と病気との関係が注目された。当時の気温と死亡者数に関する研究によると、夏季の高温のピークと死亡者数のピークとの関係には1か月程度の時間差があり、熱波による熱中症などの直接的な死者はそれほど多くはなかったと考えられている。むしろ高温によって蠅、蚊、シラミなどが増加して、赤痢、腸チフス、マラリアなどの感染症が蔓延したり、肉が腐敗しやすくなった結果、徐々に死亡者数が増加したと考えられている [6]。

一方で、冬の厳寒による気温の低下は直ちに死亡者数の増加と結びついた。もちろん凍死なども増えただろうが、老人や虚弱体質者から肺炎、気管支炎、インフルエンザにかかりやすくなったと考えられている。あるいは人々が寄せ合って暖を取ろうとした結果、シラミを媒介する発疹チフスが広がったとも考えられている [6]。

5.2 人々の反応

この時代、いわゆる啓蒙思想が盛んになりつつある時代で、これに啓発された多くの一般の人々が自然現象を観察して記録し、科学界も活発な議論を行っていた [10]。長期にわたる広範囲のヘイズの出現は、西ヨーロッパの人々に環境と社会に関する大きな関心を引き起こした。自然科学者たちや一般の人々にとってこの長期にわたって持続するヘイズの原因は当時の議論の的になった。

ところが6月8日のラキ火山噴火がヨーロッパ各国に伝わったのは遅かった。噴火のニュースは9月1日にようやくコペンハーゲンに伝えられ、それは9月11日にスウェーデンのストックホルムへ伝わり、9月15日にドイツのブレスラウへ、9月20日にウィーンに、9月22日にブリュッセルとサンクトペテルブルグに、9月30日にパリへ、10月1日にベルン、ベニスへようやく伝わるという具合だった [2]。多くの地域ではそのニュースの到着はヘイズの発生から3か月以上経っており、しかもその時点ではヘイズの最盛期は過ぎていた。

そのため、この噴火はヘイズの原因となかなか結びつかず、ヘイズの原因についてさまざまな憶測が飛び交った。情報がない中で原因として有力視されたものの一つが、2月にイタリア南部カラブリア州で起こり2万人が死亡したとされる大規模な地震だった。それによって地中からの放出されたガス状の物質がヘイズの原因と噂された。

今日から見ると地震と大気現象であるヘイズはなかなか結びつかないが、当時はまだギリシャの哲学者アリストテレスによる自然哲学が有力視されていた。「気象予測の考え方の主な変遷(1)古代ギリシャ時代」で述べたように、自然現象を引き起こす原因の一つとして彼が提起したexhalation(蒸発気もしくは蒸発物と訳される)のようなものが、地震によって地中から立ち上って大気現象を起こしたと考えても、それほど違和感はなかったと思われる。

1755年11月1日の万聖節の日にポルトガルのリスボンで大地震(リスボン地震)が起こり、数万人が亡くなったとされている。当時敬虔なカトリック信徒が多いと言われていたリスボンの壊滅的な被害は、近代的な啓蒙思想のヨーロッパでの普及を後押ししたとも言われている。この地震の前にヨーロッパの一部でヘイズが起こったことが知られていた。このヘイズはたまたま1755年10月から始まったアイスランドのカトラ火山の噴火によるものである可能性がある [2]。しかし、リスボンでの大地震の原因も一部ではその前に起こったヘイズと関連付けて考えられていた。

それ以外にも、ヘイズの原因として夏の異常高温によって上部地殻から蒸発した物質によるものという説や、泥炭の燃焼、大気電気、流星の破片、彗星の尾の破片、太陽からの放出物などのさまざまな説が流布した [5] [8]。当時、アイスランド以外でヘイズの原因を初めてラキ火山の噴火と結びつけたのはフランスのモンペリエのロイヤルアカデミーで8月7日に講演した自然科学者マーグ・ド・モントレドンとされている [5]。

地球環境の長期監視の重要性」の所でも少し触れたが、何か異常現象が起こった際にその原因を的確に推定するには、平常時からのデータの蓄積が重要である。その上で、それに基づいて何がどう異常なのかを把握し、それを科学的な知識を総動員して合理的に原因を判断する必要がある。そうでなければ、いろんなあやふやな憶測が飛び交うことになる。現在、世界気象機関(WMO)が各国と協力して世界規模で地球環境の観測を長期にわたって継続している[13]。しかし、平常時にはその必要性についてなかなか理解を得られにくい場合がある。

5.3 フランクリンの活動

アメリカの政治家ベンジャミン・フランクリンは自然科学者としても有名である。彼は当時駐仏アメリカ大使でパリ郊外に滞在しており、1783年夏のヘイズ(ドライフォッグ)を受けて、その原因について後述するようにいくつかの考察を行った。彼はこの持続する乾燥したヘイズの原因と影響について、イギリスの友人で医師であったトーマス・パーシバルに宛てに手紙を書いた。パーシバルは1784年12月22日にマンチェスター文学哲学協会(Manchester Literary and Philosophical Society)でこの手紙を読み上げている。その後この内容は、協会の定期出版物(Memoirs)の中で出版された。

この手紙の中でフランクリンはヘイズの原因についてアイスランドの火山噴火によって引き起こされた可能性を挙げるとともに、これによる乾燥した霧による日射の減衰が1783年から翌年にかけての厳冬の原因であった可能性を指摘している。彼は火山噴火が気候に影響して厳冬を引き起こす可能性があることを指摘した初めての人物だった。現在では1991年のピナトゥボ火山噴火によってその気候への影響がはっきりしたものの、当時において「火山の噴火が気候に影響を与える」という考えは極めて先見の明があった。そしてそれだけではなく、もしそうであれば、大規模火山噴火の翌年の冬は厳冬になるので、それに供えるべきという季節予報を用いた防災も提唱した。彼はこう述べている [9]。

歴史に記録されている厳しい冬に、今回と同様の持続的で広がった夏の霧があったかどうかを調べる価値はあるようである。 もしそうならば、ひきつづく厳しい冬と春の凍った川の融解によって起こるであろう被害を予想し、最後に起こる被害の影響を避けて自分自身を守るために、実行可能な措置をできるだけ講じることが出来るかもしれない。(拙訳による)

4.1 天候や気温への影響」で述べたように、1783年から翌年にかけて厳しい冬によって、飢饉や凍死が起こり、また大量の積雪や氷結した河川は1784年の春に一斉に溶融したため洪水が起こった。彼はそれらを事前に備えることによって防止できると述べている。

社会への影響の所でさまざまな原因説があったことを述べたが、実はフランクリンはヘイズの原因として、この年に多発した流星による隕石か彗星による影響の可能性も挙げている。これは地球外からの影響が気候変動の原因として考察されたおそらく最初の例とされている [9]。現在でも、例えば太陽から出る宇宙線が雲粒子の核になる粒子に影響を与えているのではないかという研究がある。そういった発想の先駆けとなるものであった。

(つづく)

参照文献(このシリーズ共通)

[1] 田家 康(2016)異常気象で読み解く現代史. , 日本経済新聞社.
[2] Demaree R.G., Ogilvie E. J.A.(2001)Bons Baisers d'lslande: Climatic, Environmental, and Human Dimensions Impacts of the Lakagfgar Eruption (1783-1784) in Iceland. (編) Jones D.P., ほか. History and Climate Memories of the Future?, Springer Science+Business Media, LLC, 219-246.
[3] Stothers B., J. A. Wolff, S. Self, and M. R. Rampino(1986)Basaltic fissure eruptions, plume height and atmospheric aerosols, American Geophysics Union, Geophysics Research Letters, 13, 725-728.
[4] Thorvaldur Thordarson and Stephen Self(2003)Atmospheric and environmental effects of the 1783-1784 Laki eruption: A review and reassessment, American Geophysics Union, Journal of Geophysical Research (D1), 108.
[5] Grattan J. et al.(2005)Volcanic air pollution and mortality in France. Comptes Rendus Geoscience, 7, 337.
[6] Oppenheimer C. and C. Witham(2005)Mortality in England during the 1783-4 Laki Craters eruption, Bulletin of Volcanology, 67, 15-26.
[7] Dawson G Alastair, Kirkbride P Martin, Cole Harriet(2021)Atmospheric effects in Scotland of the AD 1783-84 Laki eruption in Iceland, SAGE Publications, The Holocene, 31, 5, 830-843.
[8] Richard B. Stothers(1996)The Great Dry Fog of 1783, Springer, Climatic Change, 32, 79-89.
[9] Franklin Benjamin(1784)Meteorological Imaginations and Conjectures, Manchester Literary and Philosophical Society, Memoirs of the Manchester Literary and Philosophical Society, 2, 373-377.
[10] Gaston R. Demaree, E. J. Ogilvie, De'er Zhang Astrid(1998)Further Documentary Evidence of Northern Hemispheric Coverage of The Great Dry Fog of 1783, Springer, Climatic Change, 39, 727-730.
[11] Grattan J., Pyatt P. J.(1999)Volcanic eruptions dry fogs and the European palaeoenvironmental record: Localised phenomena or Hemispheric impacts? Global and Planetary Change. Aberystwyth University.
[12] Manley Gordon(1974)Central England temperatures : monthly means 1659 to 1973, Royal Meteorological Society, Quarter Journal of Royal Meteorological Society, 100, 389-405.
[13] 堤 之智(2017)新たなWMO/GAW実施計画:2016-2023について, 気象学会, 天気, 8, 64, 607-614.


2021年9月1日水曜日

1783年のラキ火山噴火の大気への影響(4)

 4 気候などを通した生活への影響

4.1 天候や気温への影響

本書の「3-3 学会の誕生と気象観測」に示したように、18世紀後半になると各地で測定器を用いた気象観測が行われるようになっていた。しかし、気象観測の正確さを長期にわたって保つのは容易ではない。当時はまだその手法が必ずしも確立しておらず、残されているデータの品質にはばらつきが多い。その中で観測結果に最も信頼を置けるものは、1780年から開始されたドイツのパラティナ気象学会によるものだった。

当時の各地の気象観測を分析した最近の研究によると、ラキ火山の噴火によるヘイズは北半球全体では1783年の夏の気温を下げ、翌年以降の冬季の厳寒に寄与したとする多くの論文がある。しかし地域によって状況は異なっており、後述するようにヨーロッパでは1783年の夏は高温になった地域も多い。また冬季の厳寒とラキ噴火との関係は必ずしも研究者によって一致していない。それでもおよその状況は掴めるので、それらを以下にまとめる。

雷と豪雨と干ばつ

西ヨーロッパでは1783年の夏に晴れた乾燥した日が103日間も続いた所があった。一方で、ヨーロッパ各地で雷雨により洪水が起こった記録が残っている [2]。スペインでも干ばつとなった。リスボンでは6月19日から8月27日までほとんど雨が降らず、またバルセロナで起こった長期にわたる少雨はヘイズによるものと思われた。アフリカでは渇水のためナイル川の水位が異常に低下し、穀物が不作となった。

一方でヨーロッパ中部では、ヘイズに覆われた時期に豪雨や雹を伴った雷雨が多発した [2]。イギリスでは雷がこれほどひどい年の記録はこれまでないという記事が雑誌に載った。人が雷の直撃を受けたり、雷で建物が崩壊しただけでなく、雷の恐怖で死んだり雷鳴で腸痙攣を起こした事例が記録されている [6]。地中海のマルタ島では、本来は夏の少雨の時期である7月1日にそれまでの記録にないような豪雨が降り、雷によって多くの被害が生じた [2]。一方でインドと中国の揚子江地域からは深刻な干ばつが報告されている [4]。

17世紀の稲妻の絵(ガスパール・デュゲ)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Gaspard_Dughet_-_Paysage_a_l%27Eclair.jpg

熱波

一方で、ヨーロッパの西部では、1783年7月の気温は当時の30年平均より1.0~3.0℃高くなった [12]。ベルギーのアントワープでは、7月23日から熱波に襲われ、それは7月いっぱい続いた [2]。ルーマニアでは7月14日から8日間、硫黄臭のするヘイズに覆われて異常な熱波に襲われた 。ハンガリーでもヘイズに覆われた7月は例年より気温が高かった[2]

イギリスでは、1783年の夏は高気圧に覆われて数世紀間の中で最も暑い夏となった[8]。この暑い夏のヘイズは、時折稲妻や雷、強い雷雨や強風を引き起こした [7]。この時期にイギリスでは高頻度で南風が観測されており、これは1783年7月に中央または北ヨーロッパに高気圧が持続したという観測と一致している [6]。そのためこの高温の原因は、西ヨーロッパおよび北ヨーロッパに南からの暖かい気団が流入し続けたためである可能性がある。しかしながら、この時期のヨーロッパで高温が起こったメカニズムが自然変動なのかラキ火山噴火が関係していたのかははっきりしていない。

この7月の異常に高い気温が、イギリスでの1783年8月から9月の死亡者数のピークの原因として考えられている。高温により腸疾患が増加し、その後マラリアが蔓延した [6]。イギリスでは当時、腸チフス、赤痢、チフスなどの他の病気も流行していた。高温によって病気を媒介する動物や昆虫が繁殖したり、食物の腐敗が早まってこれらの病気の広がりを強めた可能性がある [6]。また、ちょうどこの時期に終結したアメリカ独立戦争からの帰還兵が、これらの病気をイギリスに持ち込んだ可能性も指摘されている。さらに、二酸化硫黄のガスとそれによるエアロゾルも直接的な健康への影響を引き起こした可能性がある [6]。

一方で、北半球の他の場所では1783年の夏の天候は異常に冷涼だった。夏は西ヨーロッパと北ヨーロッパで例年より-1.1℃低いという涼しい所があった [4]。ロシアとシベリアでは非常に不安定で比較的寒かった。6月23日にポーランドのジェシュフ周辺でかなりの雪が降り、7月にモスクワ近郊で大雪が報告されている [4]。中国でも全般に夏が寒かったことがわかっている [4]。

厳冬

1783~1784年の冬は、過去250年間でヨーロッパと北アメリカで記録された最も厳しい冬の一つであり、両地域から異常に長続きした霜が報告された [4]。平均気温の偏差は、ヨーロッパと米国東部で約-3°Cという極めて強い寒冷化を示した。

1783年から1784年の冬はアイスランドでは9月から10月の間という極端に早く始まり、その後非常に厳しい冬となった。スウェーデンなどの北ヨーロッパでは春の雪解けが遅く、川などが凍ったままで物資が輸送できず、穀物相場が跳ね上がった [2]。アムステルダムでは、人々が凍結したマルケル湖を馬車で横切ることができるほどの厳冬だった。ウィーンでもドナウ川が完全に凍りつき、すべての輸送を妨げた [4]。

ユトランド半島では4月中旬でもまだ1メートルの厚さの雪に覆われていた。そして春の雪解け時には、中央および南ヨーロッパのすべての主要な河川の水位が上昇して洪水が起こり、甚大な物的損害を引き起こした [4]。スコットランド東部でも1783年から1784年の冬は当時の10年平均気温と比べて、2.0℃から2.6℃低かったことがわかっている [7]。

イギリス中部エジンバラの気温は、1783年12月から翌年4月まで135年間の月平均値より1.9℃から2.9℃下回った。ひと月だけの月平均気温ではもっと寒い年もあったが、これだけ長く続いたのは珍しかった [7]。イギリスでの1784年1月~2月の死亡者数の増加は、この低温の時期と一致している [6]。1783~84年と1784~85年の冬は、アイスランドとグリーンランド周辺の海氷が最も発達した冬となった [7]。

多くの専門家はこの厳寒はラキ噴火の影響と考えているが、ラキ噴火とは関係ないという説を唱えている専門家もいる。この年の冬はヨーロッパだけでなく、ロシアや日本でも寒冬となった。自然変動としてはこの時期にNAO(北極振動)の指数が負で、またENSOとの関連を指摘する説もある [2]が、それらだけでこの寒冬を説明するのは困難なようである。逆にラキ噴火が影響していたとはっきりいえるほどの証拠が集まっているわけではない。

4.2 農作物への影響

この噴火が引き起こした動植物への影響によって、アイスランドでは数年間にわたって社会に壊滅的な飢饉が発生した。上述したように、この飢饉はアイスランドでは「霧飢饉」として知られている [10]。この飢饉の間に、アイスランドの人口の約4分の1(1万人以上)が、作物の不作、家畜や魚の死、フッ素中毒などのさまざまな病気の結果として亡くなった [8]。また、スウェーデンのストックホルムでも、いくつかの地方では餌となる穀物の収穫ができなかったため、家畜を減らした [2]。イギリスでも穀物と植物の被害の時期はヘイズの出現時期と一致している [6]。

1783年の夏は、北ヨーロッパでは冷夏の傾向だった一方で、ドイツ、オーストリア、エスニア、スロバキアなどの中央ヨーロッパでは果物や穀物が豊作になった [2]。7月のハンガリーとオーストリアではブドウの実が例年になく数多く実り、10月の収穫は多くの地域で期待以上になった。ルーマニア、ハンガリー、セルビアではあらゆる果物が豊作だった。ワルシャワでは、例年になく7月初めにはトウモロコシの収穫が始まり、エン麦や大麦が熟し始めた。ラトビアやエストニアでは、雨が少なかったため砂地の果物には悪影響が出たが、ヘイズによる弱い日射は夏の土地の乾燥を防いだため、湿った土地の小麦などの穀物には好影響を与えた [2]。また、アメリカでも記録的な豊作となった。

(つづく)

参照文献(このシリーズ共通)

[1] 田家 康(2016)異常気象で読み解く現代史. , 日本経済新聞社.
[2] Demaree R.G., Ogilvie E. J.A.(2001)Bons Baisers d'lslande: Climatic, Environmental, and Human Dimensions Impacts of the Lakagfgar Eruption (1783-1784) in Iceland. (編) Jones D.P., ほか. History and Climate Memories of the Future?, Springer Science+Business Media, LLC, 219-246.
[3] Stothers B., J. A. Wolff, S. Self, and M. R. Rampino(1986)Basaltic fissure eruptions, plume height and atmospheric aerosols, American Geophysics Union, Geophysics Research Letters, 13, 725-728.
[4] Thorvaldur Thordarson and Stephen Self(2003)Atmospheric and environmental effects of the 1783-1784 Laki eruption: A review and reassessment, American Geophysics Union, Journal of Geophysical Research (D1), 108.
[5] Grattan J. et al.(2005)Volcanic air pollution and mortality in France. Comptes Rendus Geoscience, 7, 337.
[6] Oppenheimer C. and C. Witham(2005)Mortality in England during the 1783-4 Laki Craters eruption, Bulletin of Volcanology, 67, 15-26.
[7] Dawson G Alastair, Kirkbride P Martin, Cole Harriet(2021)Atmospheric effects in Scotland of the AD 1783-84 Laki eruption in Iceland,SAGE Publications, The Holocene, 31, 5, 830-843.
[8] Richard B. Stothers(1996)The Great Dry Fog of 1783, Springer, Climatic Change, 32, 79-89.
[9] Franklin Benjamin(1784)Meteorological Imaginations and Conjectures, Manchester Literary and Philosophical Society, Memoirs of the Manchester Literary and Philosophical Society, 2, 373-377.
[10] Gaston R. Demaree, E. J. Ogilvie, De'er Zhang Astrid(1998)Further Documentary Evidence of Northern Hemispheric Coverage of The Great Dry Fog of 1783, Springer, Climatic Change, 39, 727-730.
[11] Grattan J., Pyatt P. J.(1999)Volcanic eruptions dry fogs and the European palaeoenvironmental record: Localised phenomena or Hemispheric impacts? Global and Planetary Change. Aberystwyth University.
[12] Manley Gordon(1974)Central England temperatures : monthly means 1659 to 1973, Royal Meteorological Society, Quarter Journal of Royal Meteorological Society, 100, 389-405.