2023年10月10日火曜日

成層圏突然昇温の発見とその解明(2)

 4. 成層圏突然昇温のメカニズム

その後のさまざまな観測により、突然昇温が起こると極域の成層圏循環に大きな変動が起こっていることがわかった。極域のかなり上層での現象でもあり、当初は電離層の磁気嵐や、オーロラなどのように宇宙線などの太陽活動の変化に原因があるのではないかと推測された。

しかし、結論から言うと、この現象は地球外からの影響によるものではなく、地球の大気が持っている力学的な特徴によるものである。それを1971年に世界で初めて明らかにしたのは、「成層圏準二年振動の発見(3)赤道上空での波の発見」でも登場した日本の松野太郎博士である。同博士は、赤道上の大気力学の解明も含めて、1970年に日本気象学会賞、1997年に日本学士院賞、1999年には米国気象学会ロスビー研究メダルを受賞している。また2010年には日本人として初めて世界気象機関IMO賞を受賞している。

松野太郎博士(日本学士院より公開されている肖像写真)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E9%87%8E%E5%A4%AA%E9%83%8E#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Matsuno_taroh.jpg

ところで、突然昇温が起こると極域成層圏の大規模循環が変わると述べたが、実際のところは逆で、大気循環が変わったために大気の温度構造が変わって、観測された領域で気温が上昇する。そのメカニズムは基本的に「成層圏準二年振動の発見(4)QBOのメカニズム」で述べたことと似た部分がある。

そのメカニズムを理解するには、まず通常の成層圏での東西の大気循環を理解しておく必要がある。極域の夏季は太陽光が当たり続けるので、オゾン層による加熱によって成層圏上層では気温が高くなる。これは高気圧性循環を生み出し、極域成層圏では夏季に東風循環となる。反対に冬季は太陽光が当たらなくなるため冷却し、極域成層圏では冬季に低気圧性の西風循環となる(例えば、前回の30hPa高度図の(a)参照)。これが極域成層圏での基本となる循環の特徴である。

成層圏では対流が起こらないため状態が安定しているように見えるが、圏界面で対流圏と接しているため、対流圏で起こっているある特定の波の伝搬の影響を受けることがある。対流圏ではさまざまな波が起こっているが、その成層圏まで伝搬する特定の波とは、1万キロメートル以上という長い波長を持つプラネタリー波である。この波は西向き(東風)運動量を持っているのが特徴である。

この波は「カール=グスタフ・ロスビーの生涯(4)MITでの業績」で述べたように、ロスビー波と呼ばれることもある。またこのプラネタリー波は、惑星波や超長波と呼ばれることもあるが、ここではプラネタリー波で統一する。そして、この波は西風中で上向きに伝搬する性質を持っている。プラネタリー波より波長の短い波は成層圏へ伝搬できない。

さて冬季極域成層圏では高気圧性循環になっているので西風となり、プラネタリー波は成層圏を上に向かって伝搬できるようになる。プラネタリー波の振幅が突然大きくなるなど、特定の条件が揃った場所でこの波が成層圏へ伝搬する。すると、上層に行くほど密度が低くなるため、エネルギー保存則から振幅が増大する。そして「成層圏準二年振動の発見(4)QBOのメカニズム」で述べたことと同様に、波の位相速度が上空の風と同じ速度になるクリティカル・レベルという高度に近くなると、プラネタリー波は砕波し、持っている東風運動量を放出して、そこで西風を弱めて東風に変える。

それまで極域の低気圧性循環(西風)を地衡風として、南向きのコリオリ力と北向きの気圧傾度力が平衡していたものが、西風が弱まることで気圧傾度力が勝り、大気が低圧の極域に向かって流れ込むため、行き場を失った大気は、その高度付近を境に上昇流と下降流を引き起こす。下に向かった流れは断熱圧縮を引き起こして加熱する。これが突然昇温で気温が増加する原因となる。

東風への転換は極域全体で一斉に起こるわけではなく、ある地域から起こって、それが広域に波及する際に成層圏の大気循環が複雑に分裂したり、蛇行したりすることが多い。

運動量を放出した高度で東風に変わると、プラネタリー波はそれ以上は伝搬できないため、QBOの場合のように、波が砕波するクリティカル・レベルの高度も徐々に下がってくる。下層では大気密度が大きくなるため、相対的に突然昇温の程度も小さくなっていって、最後には消滅する。

このメカニズムのため突然昇温によって成層圏はいったんは昇温するが、そのメカニズムが終わると下降流の断熱圧縮による昇温もなくなるため、徐々に冷えて本来の冬季の極域の循環に戻っていく。しかし、突然昇温が晩冬や初春に起こると、そのまま夏の循環に移行してしまうこともある。

成層圏突然昇温のメカニズムの時系列的な概念図(特徴的な部分だけを抽出している)
クリティカル・レベル付近の高度での東風による地衡風の破れによって、極向きの流れによる収束が起こり、下降流が発生する。下降流は断熱圧縮を引き起こして大気を加熱する。その層は徐々に下がってくる。

なお、突然昇温は成層圏の現象であるが、対流圏の高緯度ジェット気流の蛇行に影響を及ぼす可能性も指摘されている。そうなれば冬型の気圧配置になりやすくなり、極域の寒気が中緯度付近に流出することによって地上付近で寒冬になる可能性もある。

突然昇温に限らないが、このように大規模な大気現象は、上空の手の届かない(つまり観察しづらい)ところで、場合によっては数千~数万キロメートルのスケールで力学や化学などのさまざまな要因が複雑に絡んでいることが特徴である。大気科学は屋内実験のようにいろんな条件を変えて試すことが出来ないため、物理学・化学的な理解をもとに、わずかな観測結果から1をもって10を洞察するような直感と想像力を必要とすることが多い。

(おわり:次は元寇と神風(1)


本文中には場所を示していないが、私の理解を確認するために用いた参考文献を以下に挙げる。

  • Matsuno: 1971, A Dynamical Model of the Stratospheric Sudden Warming, Journal of the Atmospheric Sciences, 28, 8.
  • Matsuno and Nakamura:1979, The Eulerian- and Lagrangian- Mean Meridional Circulations in the Stratosphere at the Time of a Sudden Warming, Journal of the Atmospheric Sciences,36, 4.
  • 木田秀次, 1983: 高層大気, 東京堂出版
  • 小倉義光, 1984: 一般気象学, 東京大学出版会
  • 山崎 孝治天気の科学(8) 成層圏突然昇温http://wwwoa.ees.hokudai.ac.jp/people/yamazaki/Lecture/tenki-all.pdf


2023年10月6日金曜日

成層圏突然昇温の発見とその解明(1)

 1.    成層圏突然昇温とは

人間が直接観察できない上空では、地上では想像できない思わぬことが起こっていることがある。その一つが成層圏突然昇温と呼ばれる現象である。成層圏の発見については、「高層気象観測の始まりと成層圏の発見(1)~(12)」で解説した。成層圏は文字通り成層しており、それまでは成層圏の大気はほとんど変動せずに安定していると思われていた。ところが成層圏突然昇温は、この安定していると思われている成層圏で、冬季に極域上空で広範囲にわたって大気温度が急激に上昇する現象である。

これが起こると、単に気温が上昇するだけでなく、冬季に安定して流れていた極域上空の成層圏の東風が、南北に大きく蛇行したり、風向きが反対になったりして、大気循環が大きく変わる。そして、それにともなって成層圏のオゾン層の分布も大きく変わる。

オゾン層破壊は一般的に南極上空での現象である。しかし、南極ほど大規模ではないが、北極上空でも部分的に起こることがある。突然昇温は一般には成層圏でのオゾン層破壊を阻害する方向に働くが、突然昇温による北極大気の大気循環の蛇行によって、オゾン層が薄い極域成層圏大気が、北半球中高緯度付近(50-60°N)上空まで南下することもある。

今回は、この高緯度での全球規模(つまりあらゆる経度)で起こる大規模な成層圏突然昇温について解説する。

2.    成層圏突然昇温の発見

1950年頃、西ベルリンにあるベルリン自由大学の気象学研究室では、ヨーロッバ各地の高層気象観測値を集めて天気図を作製していた。そこのシェルハーク教授は、1952年2月23日に奇妙な気象観測値にとまどっていた。ラジオゾンデを用いた前日の2月22日までの高層気象観測によるベルリン上空高度30km付近(~10hPa)の気温は、約-50℃で冬としてはごく普通の値だった。ところが翌2月23日の報告では、同じ高度で気温が-12℃という信じられない報告が来た。

ベルリン自由大学のシェルハーク教授
https://de.wikipedia.org/wiki/Richard_Scherhag#/media/Datei:Richard_Scherhag.jpg

 成層圏は、その名が示すとおり大気が成層しており、その意味では通常は大気は安定している。この報告では、たった1日で成層圏の気温が約40℃も気温が上昇したことになる。

しかし、当時は温度計の故障、気球からの信号の復号ミス、通信時の文字化けなどがしばしば起こることがあり、この時も観測値が正しくないのではないかと考えられた。ところが翌日も-14℃という気温が報告された。このような値はその後1週間続いた。そして高温層はゆっくりと高度を下げてていくことがわかった。

1952年にベルリン上空で観測した突然昇温の推移(久保田効、菊地正武、新田尚、天気現象への成層圏の役割、天気、16、23-32、1969を元に作成)。気圧が高くなるほど高度は低くなる。高度10hPaの観測は気球到達高度の関係で間欠的であるため、星印で示す。

観測値は正しそうであるが、大気の上層で何が起こっているのかは全く不明だった。そして、それから数年間は、成層圏上部の冬季の気温は通常の低温のまま大きな変動はなかった

 3.    成層圏突然昇温による現象

その後、1958年と1963年に成層圏で大規模な昇温が起こった。1957年から始まった国際地球年(IGY)以降、高層気象観測網が広がったこともあり、この現象が局地的な現象ではなく、極域の広い範囲で数年に一回の割合で起こっていることがわかり、成層圏突然昇温と呼ばれるようになった。

2016年の2月20日~3月21日の5日平均30hPa高度(等値線)及び平年偏差(色)。気圧高度偏差は、赤色は高温、青色は低温と等価である。青色域は低気圧性循環(西風)、赤色域は高気圧性循環(東風)となる。図は気象庁気候系監視年報2016による。

この現象には大気循環が関係しているが、まず気温だけに注目してみる。上図には成層圏突然昇温が起こった2016年冬季~春季初めの2月20日から3月21日までの30hPaの気圧高度を示す。気圧高度はそれより下層の気温と関係しており、この場合は気圧高度が高い領域は気温が高いと思って良い。

  •  (a)では北極を中心とした低温部があり、北極を中心とした西風(極渦)が吹いている。これは通常年のパターンに比較的近い。
  • その後(b)ではアメリカ高緯度付近に高温部(高圧部)が現われた。
  •  (c)~(d)にかけてアメリカ北部の高温部(高圧部)が発達して、極域に向かって張り出した。
  •  (e)では張り出した高温域によって低温域の低気圧性の極渦は2つに分裂した。
  •  (f)では中緯度から侵入してきた高温域が、ほぼ極域全体にとって代わって北極付近に高温部(高圧部)の中心がある。それに対応して北極域縁辺では東風が吹いた。

成層圏突然昇温が起こると、成層圏上部の高温域と低温域の境は急な温度勾配になり、この境界が少し動いただけで、それまでの低温域がいきなり高温域に変わる場合がある。1か所の観測地点で見ると、その場所で突然大きく昇温したように見えるため、突然昇温と呼ばれている。

成層圏突然昇温の発見とその解明(2)へとつづく)