QBOが発見された当時、その原因として、オゾンや太陽黒点など大気以外の原因が追及された。しかし、どれもこの現象を説明することは出来なかった。この成層圏の不思議な現象の解明に手を貸したのは、大気中での核実験だった。これによって強化された高層気象観測のデータを解析した結果、熱帯成層圏下部で発生している大気波がQBOに関係していることがわかってきた。
ここから「風」と「波」と「振動」という言葉が出てくる。波も物理的には振動の一種である。さらに風も常に一定の向きと強さを持つ恒常風ならば混乱することはないが、ある領域内で特徴を持って変動する風があり、これを大気力学では(風の)波と称している(モードと呼ぶ場合もある)。これらの用語の棲み分けは専門家は慣れていると思うが、一般の方は混乱するかもしれない。ここでは、赤道上空の成層圏での風向が周期的に変わる現象を振動と呼び、数千キロメートル以上の領域で系統的に風向と風速が変動する風が持つ構造を波と呼ぶ。この特徴的な風の変動を持つ波は移動(伝搬)する。
1957年7月から1958年12月まで国際地球観測年(IGY)が行われた。その間の1958年3月から7月まで行われた一連の核実験のために、中部太平洋上で特別な高層気象観測が行われた。これらの観測地点とカントン島などの赤道の他の観測地点のデータの解析から、1966年に東京大学の柳井迪夫と丸山健人によって、赤道太平洋上成層圏で西向きに伝搬している波長約10,000 kmの大規模な波が発見された [4]。これは日本では柳井・丸山波と呼ばれる場合がある。
同じ1966年だが、その少し前に赤道付近上空で励起する波に関して、東京大学の松野太郎は、大気力学の理論式から2つの波の解を示していた。これらはあくまで理論上から導出された波である。示された解の一つは、赤道付近の成層圏下部で西向きに移動する重力波で、中緯度のコリオリ力によるロスビー波のような特徴も持っていた。そのため、この波は後に「混合ロスビー重力波(mixed-Rossby-gravity wave)」と呼ばれるようになった。なお、ここでは重力波とは浮力によって振動する大気波を意味する。大気力学では慣用的にこう呼ばれている。重力の波ではない。
そして柳井と丸山が発見した波は、後にこの混合ロスビー重力波と同じものであることがわかったため、今では混合ロスビー重力波と呼ばれることが多い。なお、柳井と松野は同じ研究室に属しており、ふだんから親しく話す仲だった。しかし、それぞれの研究目的が異なっていたこともあり、彼らが理論と観測から追っていたものが結果として同じものだったことには当時気付かなかった [7]。
そして松野が示したもう一つの解は、やはり成層圏下部を東向きに移動する重力波だった。この波は、松野によって「赤道ケルビン波(equatorial Kelvin wave)」と命名された [4]。そして、ワシントン大学のウォーレス(Wallace)とカウスキー(Kousky)は1968年に、西大西洋と中部太平洋赤道付近の観測結果を用いて、成層圏下部で東向きに進む波を発見した。彼らは、その波長を約40,000 kmと推定した。この波は松野が理論的に導出した赤道ケルビン波だった。この混合ロスビー重力波と赤道ケルビン波が成層圏を伝搬してQBOと関連していそうなことがだんだんわかってきた。ちなみに赤道ケルビン波の名称は、19世紀から20世紀にかけてのイギリスの物理学者ケルビン卿(ウィリアム・トムソン)が発見したケルビン波にちなんでいる。
(成層圏準二年振動の発見(4)QBOのメカニズム へとつづく)
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