2020年11月15日日曜日

雲形の発見 ルーク・ハワード

 人類が発生するはるか以前から大空に漂っている雲だが、その時々で特殊な雲に独自の名前が付けられることはあったようである。しかしながら、有史以来長い間、その時々刻々と千変万化する雲に体系的に分類した名前を付けようとした人はいなかった。それを19世紀初めに初めて行ったのは、イギリスのルーク・ハワード(Luke Howard, 1772-1864)である。彼はイギリスの薬品製造者であり、科学に幅広い関心を持つアマチュア気象学者だった。

ルーク・ワードの肖像
https://en.wikipedia.org/wiki/Luke_Howard#/media/File:Luke_Howard.jpg

 
本の「4-9雲形の定義」で述べたように、ハワードは1772 年に、ロンドンで信心深いクエーカー教徒の両親との間の最初の子供として生まれた。彼は父の石油ランプ事業を継ぐことになり、化学薬品の製造業者として成功したが、常に気象学の研究に心を奪われていた。彼は11歳の頃の1783 年とその翌年に起こった火山噴火による濃い煙霧「グレート・フォッグ」と、その時の北極オーロラ光に非常に興味を持ったと述べている[1]。

 ハワードはオックスフォードの近くのクエーカー学校を卒業の後、薬剤師となった。彼は、マンチェスター近くの薬屋に7 年間勤めた後。ロンドンに戻って、1796 年にウィリアム・アレン(William Allen)と一緒に製薬会社を始めた。この事業は後にハワーズ・アンド・サンズとして知られる工業薬品・医薬品会社として成功した。彼らは、アスケジアン学会と呼ばれた小さな哲学グループを作った。

 ハワードは1802 年12 月のアスケジアン学会の会合で、「雲の変形に関する試論」という題で講演し、雲形の体系的な分類法を提案した。彼はその雲形を区別するのに巧妙にも伝統的なラテン語を用いることにした。それらの基本はシーラス(巻雲)、キュムラス(積雲)、ストレイタス(層雲)、ニンバス(雨雲*)である。

 この分類法は、18 世紀のスウェーデンの博物学者カール・フォン・リンネによる植物界と動物界の適切で秩序立った命名法を参考にしており、雲の構造に応じた分類を意図していた。各々の雲形の名前は雲の様態によって注意深く定められており、植物界と動物界の分類方法と同様にその永続性を意識して作られていた。この雲の分類法に関する彼の論文は、1803年にThe Philosophical Magazine 誌にも発表された[2]。

 ハワードは、自身の雲の分類が翻訳しなくても相互に伝達することができる世界共通となって、世界中の大気現象についての知識がより早く発達することを望んだ。そして、彼の分類法は科学に関する当時の共通語であるラテン語をベースにしていたため、世界中に広まった。その分類法は単なる雲形の名前のリストではなく、その構造に応じた雲の分類は新しく自然を研究する手法の提案でもあった。

 ハワードによる雲形の基本的な定義は以下の通りである[1]。

  • 「巻雲(cirrus)」はラテン語の「髪の房」に由来し、平行な、あるいは曲がった、あるいは拡散している繊維状のもので、あらゆる方向、あるいは全ての方向に伸長可能である。

ハワードが描いた巻雲[2]

  • 「積雲(cumulus)」はラテン語の「積み重なった塊」に由来し、凸状や円錐形の塊で水平な基礎から盛り上がっている。

ハワードが描いた積雲[2]

  • 「層雲(stratus)」は「層」に由来し、広く伸びた、連続した水平な薄板状のもので、下から上に向かって盛り上がっている。

ハワードが描いた層雲[2]

  • 「雨雲(nimbus)」は「雨」に由来し、雨を降らせる単独の雲、もしくは複数の雲の集合。それは、水平な薄板状であり、積雲が側面や下から入ってくるが、その上に巻雲が拡がる。

               ハワードが描いた雨雲[2]

 ハワードは、絶えず変わる形のない水蒸気からなる雲を、物理過程によって作られた整合性のある特徴を持った対象に変えた。雲形は気象学のための重要な概念となった。ハワードはこう書いている。「(雲は)大気の全ての変動に影響を及ぼしている普遍的な要因に従っています。人の心や体の状態が表情に表れるように、雲はそれらの要因が作用したことが見えるよい指標なのです。[3] 特に高層気象観測においては、気球などを用いた観測が充実する20世紀半ばまで、雲形を用いた観測が実質的な観測手段となった。

 雲の分類法については、その後に1828 年にはドイツの気象学者ハインリッヒ・ドーフェが、1841 年にはアメリカの気象学者エリアス・ルーミスが、別の雲分類法を提案した。しかしハワードによる構造によって雲を定義するという体系的な命名手法とラテン語による名前は、1887年にイギリスの気象学者ラルフ・アバークロンビーとスウェーデンの気象学者ヒューゴ・ヒルデブランソンによって採用され、拡張されて国際的な標準になった。この雲形の基づいて国際雲図帳が作成された(本の「4-9雲形の定義」参照)。そして1929 年に国際気象委員会が最終的に採用した雲の分類法の基礎となった。

 ハワードがイギリスで雲の分類に取り組んでいた時、同じ考えがフランスの進化生物学者であるジャン=バティスト・ラマルクによっても進められていた。ラマルクも様々な雲形を観測し、彼はそれらを高度によって3 層に分けた。彼の雲形のいくつかはハワードの雲形と極めて類似していた。しかし、ハワードが全世界で受け入れ可能なラテン語という広く共通な語を選んだのに対し、ラマルクはフランス語を選んだ。またラマルクはその分類法を占星気象学を扱う雑誌に発表した。それらがラマルクの手法が広く受け入れられる障害となった。最終的には、ナポレオンによるラマルクは博物学を守るべきであるという指摘によってラマルクは気象学の研究を止めた[1]。

 1818 年と1819 年に、ハワードはこの種の研究の最初となる「ロンドンの気候」という2 巻からなる本を発表した。この本でハワードは、都市大気汚染の気象に及ぼす影響を調査した。この調査で、後のヒートアイランド現象(産業と都市の構成物が熱放射によって局地的な気象変化を引き起こす現象)を初めて指摘した[1]。
 ハワードによる雲の分類は、それまでの画家の雲に対する見方を変えた。ロマン派画家の巨匠であるドイツのカスパール・ダビッド・フリードリヒ、イギリスのジョセフ・M・W・ターナージョン・コンスタブル、アメリカの風景画トーマス・コールフレデリック・チャーチジョージ・イネスの空の絵の描き方にも影響を与えたと言われている[1]。

nimbusは乱層雲と訳されることもある。これは個人的な経験だが、雨が降る前の低層雲は一方向に規則的に流れることが多い。ところが、雨が降り出すと同時に雲の動きはランダムに変わる。私はそれを見た時、ニンバスの訳に「乱」の字が充てられていることに納得した。

Reference

[1]John D. Cox, (訳)堤 之智-2013-嵐の正体にせまった科学者たち-気象予報が現代のかたちになるまで, 丸善出版, ISBN 978-4-621-08749-7

[2]Luke Howard-1803-On the modifications of clouds, and on the principles of their production, suspension, and destruction; being the substance of an essay read before the Askesian Society in the session 1802-3,Philosophical Magazine Series 1, 17

[3]Thornes, John-1999-John Constable's Skies. The University of Birmingham Press. ISBN 1-902459-02-4.

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