6 浅間山噴火の影響と全体のまとめ
6.1 浅間山噴火の影響
ラキ火山噴火が起こった1783年は、日本では「夏のない年」と言われ、夏が非常に涼しくて湿っていたため稲作などに歴史的な大凶作をもたらした。これは天明の大飢饉として知られている。全国で92万人が餓死し、人肉相食んだとも言われるが、各藩は幕府に窮状を知られたくないために実情を隠したとも言われ、正確な数字はわからない。
日本では、18世紀後半には験温器や寒暖計という名称でオランダから日本に温度計が持ち込まれていたが、幕府の天文方が天文観測用に測定器を用いた気象観測を開始したのは、本書「7-1-3 江戸後期の気象観測」で述べたように19世紀に入ってからで、それ以前の系統的な観測記録はない。しかし、長年記録された諏訪湖の凍結日と後年の江戸の気温のデータの関係から、1784年から1785年にかけての冬季の気温は、1768年から1798年の冬季の平均気温より1.2°C低かったと推測されている [14]。
天明の大飢饉の絵(Wikimedia Commonsより)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Great_Tenmei_famine.jpg?uselang=ja
日本の長野県にある浅間山は1783年5月から8月にかけて断続的に噴火し、特に8月の爆発的噴火は大きかった。この噴火が日本での冷夏などの異常気象の一因となった可能性が示唆されている。しかし、この噴火によって成層圏に注入された硫酸エアロゾルは3.5 Mt [15]、降下堆積物の量は0.17 km3 [16]と推定されている。これはラキ火山のそれぞれ約100 Mtと0.4 km3に比べると遙かに小さく、またそれによる成層圏エアロゾルの光学的厚さも気候に影響を与えるほどではなかったと推定されている [15]。そのため、浅間山の噴火による気候への影響は大きくなかったと考えられている。
6.2 火山噴火によるリスク
しかしながら日本は有数の火山国である。噴火のタイプはラキ火山とは異なるかもしれないが、三宅島の噴火では雄山が2000年から2004年にかけて1日あたり最大で0.01~0.05 Mtの二酸化硫黄の火山ガスを放出し続けたことがあった。夏季には南風に乗って関東の内陸で硫黄臭騒ぎもあった。2014年の御嶽山のように火山噴火との直接の遭遇による被害も怖いが、火山は噴火によってはこれまで記述してきたように、さまざまな被害を長期にわたって広範囲に起こし得る。
ラキ火山噴火による気候への影響についても、未だにまだよくわかっていない部分がある。例えばラキ火山が噴火した後、1783年の夏はなぜヨーロッパで猛暑になったのか?それはヘイズと関係があったのか?あったとすれば、 ヘイズのエアロゾル成分は日射に対してどう影響(吸収それとも反射)したのか?大規模なヘイズは放射への影響を通して地球規模での大気循環パターンに影響を与えたのか?などである。大規模な火山噴火はこれからも起こるかもしれない。ラキ火山噴火の自然への影響は決して過去のものではない。
「1.初めに」で述べたように、ヨーロッパの各国政府は、ラキ火山噴火のような噴火が発生した場合のリスク軽減に関心を示している。噴火による気候や大気循環への影響を推定できれば、人間の健康、農業、生態系、航空便に対するラキ型噴火の影響をある程度評価することができる。そして、その中には事前や事後に速やかな対策を講じることによって影響をある程度緩和できるものもある。そのためか、ヨーロッパを中心に現在でも1783年のラキ火山噴火に関する研究発表は多い。
自然界のメカニズムは複雑でかつつながっており、さまざまな所に及ぶ火山噴火の影響の全容は必ずしもわかっていない。例えば1991年のフィリピンのピナトゥボ火山噴火の際には冷夏になっただけでなく、それによって生成された成層圏エアロゾルによって成層圏オゾンに変動が見られ、また直達日射は減ったものの散乱日射が増えたため、通常は陰になっていた葉の光合成量が増えて、自然界における二酸化炭素の吸収が増えたとも言われている。
6.3 最後に
1991年のピナトウボ火山噴火の当時とは異なり、現在はエアロゾルや大気汚染に関する世界規模の観測網が構築されている。設置場所は離散的であるが、都市域には大気汚染の観測地点が設置され、またSKYNETやAERONETのように上空のエアロゾル全量や鉛直分布を地上から光学的に推定する測定器が世界規模で展開されている。逆に宇宙からMODISやCALIOPなどの衛星に搭載されたセンサーで大気中のエアロゾル全量や鉛直分布が光学的に推定されている。
宇宙からの衛星観測は地域的に見ると連続的ではないが、場所を変えながら地球を周回するので、1か月などの平均をとると全球の観測が行える。衛星による観測は地上での直接観測と組み合わせることによって、その精度を上げることが出来る。過去の噴火状況を調べることも重要であるが、この後もし大規模な噴火が起これば、その気候への影響のメカニズムに関する知識は現在より大幅に進展すると思われる。
火山噴火ではないが、私は1997年秋のエルニーニョによって起こった東南アジアでの大規模森林火災発生時に、インドネシアに滞在したことがある。その時は森林火災によるヘイズ(煙霧)で地上でも物が霞んで視程は1 kmもなく、空は晴れているのに太陽がときおりぼんやり薄く見える状態だった。しかし何より困ったのは、呼吸する際の焦げ臭い匂いであった。ヘイズは数千kmという広域に広がっているので、逃げることも出来ずマスクをしてもほとんど防ぎようがなかった。おそらくラキ火山のような大規模火山噴火が起これば、日本でも同様な状態になる場合があるのではないかと思っている。
1997年のインドネシア森林火災時のヘイズ(カリマンタン島のバンジェルマシン空港にて筆者撮影。1997年10月24日)
火山については、数十年から数百年、あるいは数千年に一度という活動頻度のものも多く、その活動についてまだよくわかっていないことが多い。日本でも今後大規模火山噴火がないとは言い切れないので、火山活動による大気の影響について知っておくことは有用だと思われる。
【2023年11月追記】過去2000年間の人類に危機的な影響を与えた火山噴火(西暦540年代、1450年台、1600年台)では、成層に注入されたエアロゾルはこれまで推定の約半分だったという論文が発表された。これは成層圏エアロゾルの気候への影響がこれまで考えられていたものより大きく、特に成層圏へ火山ガスが上がりやすい高緯度の火山噴火では、気候に複雑な影響を与える可能性を指摘している[17]。
「1783年のラキ火山噴火の大気への影響(1) 」でフランクリンが指摘したように、火山噴火による気候への影響には時間差があるので、ある程度対策が可能である場合がある。今後も特に高緯度での火山噴火には注意を払う必要があると思われる。
(このシリーズ終わり)
参照文献(このシリーズ共通)
[13] 堤 之智(2017)新たなWMO/GAW実施計画:2016-2023について, 気象学会, 天気, 8, 64, 607-614.
[14] Barbara M. Gray(1974)Early Japanese winter temperatures, Royal Meteorological Society, Weather, 29, 103-107.
[15] Zielinski G. A. et al.(1994)Climatic Impact of the A.D. 1783 Asama (Japan) Eruption was Minimal: Evidence from the GISP2 Ice Core. the American Geophysical nion, Geophysical Research Letters, 21, 22, 2365-2368.
[16] 安井真也, 小屋口剛博 , 荒牧重雄(1997)堆積物と古記録からみた浅間火山1783 年のプリニー式噴火, 日本火山学会, 火山, 42, 4, 281-297.
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