ノイマンがその論文で作ったモデルは「一般経済均衡モデル」と呼ばれ、やがて「フォン・ノイマンの経済成長モデル」という名前がついた。彼が開発した手法から多くのノーベル経済学賞受賞者がでることとなる。フォン・ノイマンはそれまでの経済学を一変させてしまった[1]。
もう一つは、ドイツ生まれでアメリカで活躍した経済学者オスカー・モルゲンシュテルンと1944年に書いた大著「ゲームの理論」である。これは、彼が1928年に書いた「社会的ゲームの理論について」でのミニマックスの法則が発端となっており、経済学で「意思決定理論」と呼ばれている最も利潤を出すための行動を、ゲーム戦略や組み合わせ理論などを使って定量的に考察するものである。
(つづく)
もう一つは、ドイツ生まれでアメリカで活躍した経済学者オスカー・モルゲンシュテルンと1944年に書いた大著「ゲームの理論」である。これは、彼が1928年に書いた「社会的ゲームの理論について」でのミニマックスの法則が発端となっており、経済学で「意思決定理論」と呼ばれている最も利潤を出すための行動を、ゲーム戦略や組み合わせ理論などを使って定量的に考察するものである。
このゲームの理論は東西冷戦時のアメリカの戦略にも応用された。ゲームの理論での汎用性を持った公理的な考え方は、現在いろんな形で受け継がれてさらに発展し、経営学、政治学、法学、社会学、人類学、心理学、生物学、工学、コンピュータ科学などにも広がっている。
しかしフォン・ノイマンは、経済学の理論については既存の数学を不十分・不適切につかったところで、その根本にあるあいまいさは追放できないと考えていたようである。数理経済学を深めるには、ニュートンによる微積分の考案に匹敵するような新しい数学の言語が必要であるというのが彼の考えだった[1]。
しかしフォン・ノイマンは、経済学の理論については既存の数学を不十分・不適切につかったところで、その根本にあるあいまいさは追放できないと考えていたようである。数理経済学を深めるには、ニュートンによる微積分の考案に匹敵するような新しい数学の言語が必要であるというのが彼の考えだった[1]。
[1]ノーマン・マクレイ、渡辺正、芦田みどり訳(1998)「フォン・ノイマンの生涯」、朝日選書
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