被害の状況とその後
ハルゼーは、6月5日0134時に針路を110度から300度に変更させた。しかしこの変針が逆に台風に近づくこととなり、艦隊にとって命取りとなった。艦隊は約950hPaの中心気圧を持つ台風「コニー(別名ヴァイパー)」の直撃を受けた。ラドフォード隊は、24 kmほど北にいたため難を逃れたが、補給艦隊であるベアリー隊は台風の眼の中で苦闘する羽目になった。波高は20mを超え、最大瞬間風速は65 m/sを記録した。しかし、ベアリー隊での被害は護衛空母2隻とタンカーと護衛駆逐艦の大破だけだった。
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一方で、台風の眼はベアリー隊の1時間半後にクラーク隊を通過し、艦隊司令のクラークは艦のエンジンを止めて一時停止するように命じた。しかしクラーク隊は台風の東側にいたためか、彼の隊33隻のほとんどが損傷した。重巡洋艦ピッツバーグの艦首が破断し、空母サン・ジャシント、ホーネット、ベニントン、ベロー・ウッドの4隻が激しく損傷した。死者と行方不明は6名だったが、航空機76機が失われた。第38任務部隊全体では、戦艦のミズーリ、マサチューセッツ、インディアナ、アラバマが、護衛空母のウィンダム・ベイ、サラマウア、ブーゲンビル、アッツが、巡洋艦のバルチモア、クィンシー、デトロイト、サンジュアン、ダルース、アトンランタと駆逐艦11隻、護衛駆逐艦3隻、タンカー2隻、その他輸送船が損傷した[1]。
台風「コニー」によって艦首を約30m切断した重巡洋艦「ピッツバーグ」
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台風によって飛行甲板が損傷した空母ホーネット(1945年6月5日)https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c1/USS_Hornet_%28CV-12%29_damaged_flight_deck_1945.jpg
ハルゼーは前年の12月に続いてまたもや海難裁判を受けることになった。マケーン、クラーク、ベアリーも被告となった。裁判は6月15日にレイテ湾に停泊している戦艦ニューメキシコで行われた。裁判では、ハルゼーが5日の0134時に行った変針の指示が誤りであったと結論した。マケーン、クラーク、ベアリーも、台風と遭遇することがわかっていながら、同じコースを進み続けたことが咎められた。
裁判官は特にハルゼーとマケーンに引退を勧めた。海軍長官フォレスタルもハルゼーに引退を勧告した。海軍省のキング提督も艦隊が台風を避け得たことを認めた。しかし、ハルゼーは国民的英雄であり、キング提督は彼を傷つけたくなかった。結局ハルゼーに対する処分は行われなかった。しかし、マケーンに対してはそうは行かなかった。ニミッツは彼を退役させ、退役軍人省の副長官にしたが、彼は自宅に戻ったその日に心労のため心臓麻痺で亡くなった [1]。
蛇足
戦争が終わった後の1945年10月24日に、台風「ルイーズ」が沖縄を襲った。連合国軍は、日本が降伏しなければ11月に南九州上陸作戦を予定していた。沖縄は南九州上陸作戦ための主要基地となる予定だった。作戦はなくなっても、多数の艦船が停泊して海岸には補給のための基地があった。この台風は沖縄にいたアメリカの艦船と海岸基地に甚大な被害を与えた。沖縄の港で12隻が沈んで222隻が波にひどく洗われただけでなく、陸上施設の多くが破壊された。36名が死亡し、47名が行方不明、100名が負傷した。アメリカ海軍の歴史はこの台風についてこう述べている。「もし戦争が終わっていなければ、この損害、特に107隻の水陸両用舟艇の被害は日本上陸作戦へ深刻な影響を与えていただろう。」[3]
(完。次は「サイクロン」という言葉について)
Reference (このシリーズ共通)
[1]Michael D. Hull, Two Typhoons Crippled Bull Halsey's Task Force 38, https://warfarehistorynetwork.com/2019/01/21/two-typhoons-crippled-bull-halseys-task-force-38/
[2] Kenneth et al.-1946-Typhoons of the Southwest Pacific-1945, Bulletin of American Meteorological Society, 27, 288-305.
[3] Jack Williams, How typhoons at the end of World War II swamped U.S. ships and nearly saved Japan from defeat, The Washington Post, July 17, 2015.
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