現代日本では、「サイクロン」というとサイクロン式掃除機を思い浮かべる方も多いと思われる。この響きは、渦を巻いて吸い込む激しい風を想像するのにふさわしいかもしれない。インド洋の嵐がサイクロンと呼ばれることがあるが、名称としてはこちらが本家である。ただし、これは正式名称ではない。世界気象機関(WMO)では、北インド洋の風速17 m/s以上の嵐については、サイクロニック・ストーム(cyclonic storm)と呼ぶことになっている。
インド洋の嵐を正式にはサイクロンと呼ばない理由は、サイクロンという言葉は欧米では低気圧全般ついて広く使われているからである。例えば英語では熱帯低気圧をトロピカル・サイクロン(tropical cyclone)、それ以外の中高緯度の低気圧をエクストラトロピカル・サイクロン(extra-tropical cyclone)として区別している。その経緯については、[1]が詳しいので、そちらを参照していただきたい。
インド洋の嵐がサイクロンと呼ばれるようになった理由は、本の3-6-3「ヘンリー・ピディントン」に書いたように、18世紀のイギリスの船乗りであるヘンリー・ピディントン(1797-1858)が、嵐を「蛇がとぐろを巻く」という意味のギリシャ語から名付けたためである。彼はインド洋での貿易船の船長とされているが、嵐に関する著書が2つある気象学者でもある。また海難審判所の所長も務めている。彼は1848年に書いた「船乗りのための嵐の法則についての手引き(The Sailor's Hornbook for the Laws of Storms)」の初版の中で、「あらゆる旋風について、ギリシャ語の'Kuklws'(とぐろを巻く蛇を意味する)からサイクロンという言葉の採用を提案する」と述べており、これがサイクロンの語源とされている。
ところが、彼の意図はその後これと少し変わったようである。というのは、1851年に出した上記の第二版では、彼はサイクロンの語源を'Kuklws'ではなく、'Kuklos' に変更しているからである[2]。'Kuklos'とは言葉ではなく、回転を意味するギリシャ語の語根である。'Kuklos'と'ops(眼)'を合わせた英語に、海神から生まれた一つ眼の巨人Cyclopses(キュクロープス)があり、同様に'Kuklos'と'stoma(口)'を語源に持つ英語として円口類を指すCyclostome がある[2]。円口類とは、口から吸い込んだ水を体側から排出して呼吸するヤツメウナギなどの魚類を指す。
エラスムス・フランキスキ(Erasmus Francisci)の著書に見られるキュクロープスの挿絵
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Libr0328.jpg
つまりピディングトンは、これらの英語が'Kuklos'を語源に持っていることから、サイクロンという新たな言葉にそれらと同じ語根を持たせることによって、単に回転する旋風という意味だけではなく一つ穴から空気を吸い込む巨大で破壊的な旋風という意味を加えたかったのではないかと[2]は述べている。たしかに動かない「とぐろを巻いた蛇」よりは、こちらの方が嵐に対してはるかに活き活きとした動的なイメージが湧く。ピディントンは、サイクロンの語源としてこちらの方がよりふさわしいと考え直したようである。そして強力な掃除機がサイクロン式と命名された理由もこの辺にあるのかもしれない。
(次はアリストテレスの二元的宇宙像)
Reference
[1] 黒岩宏司-2011-サイクロンの定義とは, 天気, 58, 11, 77-82.
[2] Sen Sarma-2013-On the word 'cyclone', Weather, Vol. 68, No. 12, 323.
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