「(8)電子コンピュータの開発」で述べたフォン・ノイマンが高等研究所で開発していたコンピュータ(IASマシン)が1951年に完成した。この新型の計算機は、ENIACで24時間かかった計算をわずか5分で終える能力を持っていた[1]。この高速の計算機を利用して、1952年にはチャーニーらは、傾圧モデルを用いて低気圧発達の再現に成功した。
これを受けて、本の「10-5-2 現業運用での数値予報の開始」で述べているように、現業運用のための数値予報モデルの開発のために、1954年にアメリカでは空軍気象局、海軍気象局、アメリカ気象局の三者が「合同数値予報グループ(Joint Numerical Weather Prediction Unit: JNWPU)」を設立した。これは後に、現在アメリカで数値予報を行っている国立環境予報センター(National Center for Environmental Prediction: NCEP)となっていった。
IAS マシンとフォン・ノイマン(右)。左はオッペンハイマー |
1956年にはシカゴ大学の気象学者ノーマン・フィリップス(Norman Phillips, 1923- 2019)が、大気大循環モデルの計算実験を行った。大気大循環モデルとは、気象予測のようなある一定時間後の波の運動の予測ではなく、長期積分によって平均的な大気循環を調べるものである。本の「10-7-2大循環モデルの発明」で述べているように、彼は準地衡風モデルを約30日間走らせることによって、地球上の大気の典型的な気候学的循環パターンの再現に成功した(「気候学の歴史(7):気候モデルの登場」参照)。
この大気大循環モデルの成功によって、地球の気候を力学的、熱力学的に調べることができる可能性が出てきた。その将来性に気付いたフォン・ノイマンは、早速大循環モデルのその後の発展のために「Application of Numerical Integration Techniques to the Problem of the General Circulation」と題する会議のお膳立てをした。しかし、がんが進行していたフォン・ノイマンは、1957年に亡くなってしまう。
数値予報のようなコンピュータを用いた技術開発は、純粋科学の研究を目的としていたプリンストンの高等研究所では必ずしも評価が高くなかった。そのためフォン・ノイマンが亡くなると、気象プロジェクトは高等研究所でのコンピュータプロジェクトとともに終了した。
しかしながら、それまでに十分に基盤は作られていた。これらのモデルは本の「10-5 数値予報の現業運用化」と「10-7 気候科学の発展」で述べているように、現業の数値予報モデルと気候モデルとして発展していった。現在、毎日の天気予報にはこの数値予報モデルを発展させたものが使われているし、IPCCなどで議論されている地球温暖化の将来予測は、大循環モデルを発展させた気候モデルあるいは地球システムモデルで行われている。
気象予測モデルは、観測結果の入力から予測の計算結果の導出までにかかる時間が、気象の発現時刻(予測時間)より速くないと意味がない(予測に使えない)という特殊事情がある。フォン・ノイマンは自身でコンピュータを改善して(プログラム内蔵などにして)数値予報が実用化できるほどにコンピュータを高速化しただけでなく、コンピュータ開発のために気象プロジェクトを立ち上げて主導した。
当時の気象学の分野は小さかったうえに、伝統的な気象学者にとって、全く新しい電子コンピュータを用いた偏微分方程式の数値的解法は、異次元の分野だった。もしフォン・ノイマンがいなければ、数値予報の開発のために人とお金を集めた大規模なプロジェクトを立ち上げることはできなかっただろう。数値予報の開発は、彼が気象予測のための偏微分方程式の数値的解法と、電子コンピュータ技術の両方をよく理解していたからこそできたことだった。もし彼がいなかったら、数値予報の開発は、実際よりはるかに遅れていたに違いない。
(つづく)
[1] Shumann
G.F. (1989) History of Numerical Weather Prediction at the National
Meteorological Center、 Weather and Forecasting、 4 American Meteorological Society、 286-296.
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