2019年10月2日水曜日

気候学の歴史(7):気候モデルの登場 (History of Climatology (7): Advent of General Circulation Model)


ノーマン・フィリップス
 回転水槽での実験のように地球上の大規模な大気の流れが普遍的な力学法則に従っているのであれば、コンピュータを使ったモデル計算で地球大気の平均的な流れを再現してみようと考えたのが、アメリカの気象学者ノーマン・フィリップス(Norman Phillips, 1923- 2019)だった。彼は第二次世界大戦の間に、空軍士官として気象学を勉強した後、シカゴ大学で数値予報実験に関わっていたアメリカの気象学者ジョージ・プラッツマン(George Platzman, 1920- 2008)の下で経験を積んだ。フィリップスは1951年にノイマンらが主催していたプリンストンにある高等研究所(Institute of Advanced Study)の気象学プロジェクトに加わるとともに、19531954年にはスウェーデンのストックホルムでロスビーのグループにも加わった。そういう意味では彼は当時最先端の数値予報のモデル開発の中心部にいた。

 ところがフィリップスは、当時開発していた数値予報のための準地衡風モデルを用いて、上記のように地球上の大気循環の再現という全く別な発想をするに至った。それは数時間から数日先の気象がどうなるかではなく、モデルを1か月近く走らせて、モデル内の風が地球の大気循環の平均的特徴を実際に再現するかどうかを調べるものだった。本の10-7-2「大循環モデルの発明」に記しているように、彼が1956年に準地衡風モデルを用いて行った計算結果は、地上風、ジェット気流、赤道から極域までの熱の正味の輸送、風の帯状分布などの現実の地球大気の基本的特徴を一部再現した。

これは気象モデルを使った計算結果が数値予報だけでなく、地球大気の物理学的メカニズム、ひいては気候のメカニズムの解明に使える可能性を示していた。このように地球大気の流れを比較的長い期間計算する数値モデルは大循環モデル(General Circulation Model: GCM)と呼ばれる。このフィリップスのモデルは、最初の実用的なGCMと考えられている。

 フィリップスによる結果は、気象学者たちにたいへんな興奮を引き起こした。数値予報の開発を牽引していた天才ジョン・フォン・ノイマン(John von Neumann, 1903 -1957)は、この成果を受けて直ちにプリンストンで会議を開催することを決め、また地球規模の大気循環解明のための研究提案を作った(「フォン・ノイマンについて(10)数値予報への貢献2」参照)。ノイマンはまもなく亡くなったが、いくつかの研究所でGCMの改善とそのモデルを使った計算実験が始まった。

 コンピュータを使ったGCMは、気候学を地域気候の特徴に重点を置いた統計科学から、全球規模の大気変動に焦点を置いた実験的な科学に変えた。それだけではなく、GCMはこれまであまり交流のなかった気象学の主な3つの分野、気象予報、力学的理論気象学、経験的な統計気候学を再統一した。[1]。そのため、GCMのようなモデルを用いた研究を気候科学と呼ぶ場合がある。

 GCMの開発が始まったが、本の「10-7-2 大循環モデルの発明」で記したように、当時GCMの開発とモデル実験を行ったアメリカの主な3つの研究所は、数値予報モデルの開発に携わったアメリカ気象局のジョセフ・スマゴリンスキー(Joseph Smagorinsky , 1924-2005)が率いる地球物理学流体力学研究所(GFDL)、ヤコブ・ビヤクネスの弟子であるイエール・ミンツ(Yale Mintz, 1916-1991)を中心としたカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)、アメリカ気象局が1960年に設立した国立大気研究センター(NCAR)だった。そして、それぞれが特徴的な手法でGCMの開発を行った際に、その何れの研究所でも日本人研究者が大きな役割を果たすこととなった。

つづく

参照文献

[1] Nebeker-2013-Calculating the Weather, Academic Press.

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