2020年4月8日水曜日

気象予測の考え方の主な変遷(4)大航海時代と科学革命

 15世紀、16世紀になって大西洋や太平洋へ乗り出す大航海時代が始まると、熱暑で赤道を越えられないとするアリストテレス気象学の気候帯は現実と合わないことがわかってきた。また精密な天文観測が行われるようになると、それまで地上界の現象とされていた彗星の発現が不生不滅であるはずの天上界で起こっていることなどが明らかになってきた。これは古代ギリシャ自然哲学全体への信奉や信頼を揺るがすきっかけとなった[2-3アリストテレスの気象論など古代ギリシャ自然哲学のほころび]

 一方で占星気象学を含む占星学が当たらないのは天体の観測精度が足らないためという考えから、ティコ・ブラーエはそれまでにない高精度の天文観測機器を開発するとともに、自ら気象も観測して法則性を求めようとした。 当時占星気象学者として有名だったケプラーは、ティコの結果を引き継いで天体の運動の研究を行った[3-1-2ティコ・ブラーエの占星気象学と天体観測]

 17世紀に入ると、ケプラーはティコの観測結果から火星の楕円軌道を発見した。ガリレイも精密な落体実験や木星の衛星の発見を行って、それらの結果からニュートンらによる科学の近代化が起こった。天上界と地上界に分け隔てなく作用するニュートンの一元的な「万有引力」の発見によって「高貴な天上界」と「通俗的な地上界」からなる二元的な古代ギリシャ自然哲学への信奉が終わった。

 アリストテレスの風の原因に代わる新たな風の原因も探られるようになった[3-1-4近代科学の父ガリレオ・ガリレイと風の考え方]。大航海時代には各地の風の観測結果から、貿易風などの地球規模の大気循環が論じられるようになった。ハレーは、1686年に東から西へ移動する日射熱による熱帯大気の収束発散から貿易風を説明した。この説明は百科事典の元となった「サイクロペディア」に記載されたため、19世紀まで広く使われた[3-4-2 ハレーによる貿易風の説明]

 一方でハドレーは、1735年に緯度の違いによる日射熱の違いと地球自転による運動量保存を考慮した、地球規模大気循環として貿易風の原因を発表した。これは地球自転の風に対する影響を考慮した革新的なものだったが、一部の研究者を除いてあまり一般には知られなかった[3-4-3ハドレーによる大気循環の説明]


ハドレー が考えた大気循環の模式図。
現在知られている大気循環とは異なる
 19世紀になって、ドイツの高名な気象学者であったドーフェが、一騒動あった後にハドレーの説を取り上げるようになって、ハドレーの説は有名になった。これ以降、ハドレーの説をベースに地球規模循環が力学的に議論されるようになった[5-3 地球規模の大気循環の解明への取り組み]

つづく

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