2020年7月5日日曜日

富士山における気象観測(8)富士山レーダーの完成後

 富士山レーダーは1964年10月1日に電波検査に合格し、1965年4月1日から正式運用が開始された。世界最高地点にある気象レーダーだった。同年8月には早速台風6517を上陸の3日前から捉えることに成功した。この富士山レーダーの完成を記念して、記念切手が発行された。富士山レーダーは「地形エコー除去(A new automatic technique for ground clutter rejection)」などの技術が開発されて、台風などの監視に大きな役割を果たした。

富士山レーダー完成記念切手

 富士山頂のレーダー建設の気象庁責任者藤原寛人は、その後気象庁を辞めて、新田次郎というペンネームで作家となった。彼はこのプロジェクトの詳細をノンフィクション小説「富士山頂」として発表した。これはレーダー建設のプロジェクトの主人公が作家本人であるという異色の小説となっている。

 山頂への送電線はたびたび雪崩で損傷し、その補修のためには高額の費用が必要だった。また施設維持のために人の滞在が欠かせず、3週間交代で山頂勤務が行われた。特に冬季は硬氷に覆われた山への登山には危険が伴った。1987年に静止気象衛星(ひまわり)が打ち上げられると、徐々にその役割は減少していき、富士山レーダーは1999年に運用が停止された。しかしその技術は評価されて、2000年には米国のIEEE(米国電気電子学会)からマイルストーンに選ばれた。

富士山における気象観測(完)

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