2020年6月21日日曜日

富士山における気象観測(6)レーダー施設の建設

 予算の関係で、レーダー施設は2年間で完成させねばならなかった。しかも、レーダーの建設工事のために山頂で作業ができる期間は、山頂や雪や氷が少なく、比較的気候の穏やかな6月末~9月中旬までに限られた。しかも、強風などの悪天候時は作業ができないため、その期間をフルに使えるわけではなかった。とにかく、できるだけ短期間で完成させる必要があり、通常の建設の常識は通じなかった。

 レーダー建設工事における難題の一つは、多くの建設資材を山頂へ運ぶ方法だった。富士山では古くから資材や人の運搬に馬や強力(ごうりき:重い荷物を運ぶ人足)が使われていた。初めは九合目まで馬を利用し、それから先の急な勾配は、強力による輸送を計画した。しかし、それでは75 kg以上の重い荷物は運べなかった。そのためブルドーザを使うことが提案された。

 ブルドーザが急斜面に強いことはわかっていたが、平均斜度20度以上でかつ酸素が平地の7割以下になる富士山で使えるかは不明だった。ところが1962年に富士山の荷物を輸送していた馬方がブルドーザを試したところ、五合目まで登ることができた。ブルドーザを改良して、また専用の道を開削すれば更に上まで行けることがわかった。
富士山で使われているブルドーザ

 初年度の工事は、測候所建物の鉄骨の組み立てが予定され、雪解けが進んだ1963年6月から工事は始まった。建物の設計も難題の一つだった。それは山頂で想定される風速100 m/s以上に耐える必要があった。そのため建物は新幹線の車体を参考に設計され、輸送時の軽量化のため材料はアルミニウムで製造された。資材は山頂近くまでブルドーザで輸送され、残りは馬と人力で輸送された。短時問に作業を終える必要のある生コンクリートや大きく重い鉄骨はヘリコプターで運ばれた。

 作業員の多くは高山病に悩まされ、山頂での作業に音を上げるものも多かった。山を下った作業員の代わりは補充されたが、やはり高山病で下山する作業者が多く、その補充が繰り返された。[1]

参照文献

[1]気象庁、気象百年史II各種史談類第13章、1975

0 件のコメント:

コメントを投稿