2018年12月24日月曜日

嵐の構造についての発見

 6-1-5「嵐の構造についての発見」のところで書いたように、1821年にアメリカ東海岸をハリケーンが襲い、大きな被害が出た。これは後にグレート・セプテンバー・ゲール、またはノーフォーク・アンド・ロングアイランド・ハリケーンと呼ばれることとなり、これが気象学が発達するきっかけの一つとなった。
グレート・セプテンバー・ゲールの推定進路

 アメリカのコネチカット州ミドルタウンの近くで生まれたウィリアム・レッドフィールド(William Redfield, 1789 -1857)は、幼少期から貧しく初等教育しか受けられなかったが、独学で勉強しながら1821年当時船の機関士をしていた(後に船舶運航会社を興した)。彼はグレート・セプテンバー・ゲールの風による痕跡として、互いに100km以上離れた場所での倒木の方向を観察し、その方向に規則性があることを発見した。
 彼は研究者ではなかったためこの観察結果を発表する機会はなかったが、10年後の1831年に、彼はたまたまエール大学教授のデニソン・オルムステッド教授と同じ船に乗り合わせて、グレート・セプテンバー・ゲールの話をした。オルムステッド教授はレッドフィールドからその嵐に関する注意深い観察結果を聞き、それを論文として発表することを勧めた。レッドフィールドが1831年に発表した論文がハリケーンが回転する組織的な風系を持っていることの初めての論文となった。
ウィリアム・レッドフィールド
 このブログの「ペリーとレッドフィールド」のところで述べたように、これがきっかけで嵐の構造を研究して船舶の航行の安全を図ろうとする研究が広く始まった。研究熱心な実業家であったレッドフィールドがこの嵐の解明のためのきっかけを作ったことになる。

 なお、彼は後に古生物学の専門家にもなり、1848 年に現在サイエンス誌を発行しているアメリカ科学振興協会(American Association for the Advancement of Science; AAAS)の初代理事長にもなった。

(次は「インターネットの発展と文献」)



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