2018年12月13日木曜日

学会と気象観測

 ルネサンス期に科学が大きく進展するが、その一因に学会が組織されたことがある。当時の学会とは、実験や観測などの研究家や愛好家が集まって情報を交換する場であった。さらに発展して学会自ら観測や実験を主宰したり、学会誌の発行などを行った。
フェルディナンドII世・デ・メディチ

 最初の自然科学の学会の一つは、本の3-3-2 「ヨーロッパ大陸での学会」で取り上げた1657年にトスカーナ大公フェルディナンドⅡ世・デ・メディチが作り、トリチェリなどが参加した「実験アカデミー(Accademia del Cimento)」である。この学会は、さまざまな実験道具の製作や実験を行ったことで知られている。しかし、気象の分野でも先駆的な活動を行った。3-3-2 「ヨーロッパ大陸での学会」で述べたように、学会自ら温度計、気圧計、湿度計を作り、ヨーロッパなどの各地に気象観測網を展開した。

実験アカデミーの会議の様子フィレンツェのガペロマルテリーニによるフレスコ画)

 
 パリでは1666年にルイ14世によって「王立科学アカデミー」が設立され、パリで気象観測を行った。3-3-3 「イギリスの王立学会とフック」で述べたように、イギリスでも1663年にロバート・フック(Robert Hooke, 1635-1703)が王立協会(Royal Society)での気象測定方法を定めた。王立協会の気象観測網は北欧、インド、北米などにも広がった。しかし、気象観測網での観測は測定の基準(尺度)や観測機器、測定手法の統一が欠かせないが、それらはまだ十分に確立していなかった。そのことは測定器間や観測地点間の測定値の比較が十分にできないことを意味する。また当時科学が拡大していくと、総合的な科学学会での気象観測は重荷になっていった。

 そういう中で、気象の専門的な学会として1780年に組織的な気象観測網を作ったのが今のドイツのパラティナ気象学会である。この学会の特徴や活動は本の3-3-5 「気象を専門とする学会による気象観測網の誕生」で述べた。その中でこの気象学会の設立の経緯、観測に際して尺度(基準)の一貫性などにどれほど注意を払ったかなどの特徴、活動範囲、そして気象学史の中での位置づけ、そしてこの学会の終焉までを詳しく述べたつもりである。この学会は観測に用いる精密な湿度計の公募まで行った(その部分は本の4-5-1「吸湿湿度計」で述べている)。この気象学会の気象観測網がその後の組織的観測網のモデルになったと思われる。そういう意味でこの学会による観測は、その後の気象観測に影響を与えた重要な気象観測網になった。

(つぎは「「天気の子」と気象改変」) 




0 件のコメント:

コメントを投稿