2019年2月28日木曜日

高層気象観測の始まりと成層圏の発見(7) ヨーロッパでの組織的観測

ヘルケゼル
1896年に、国際気象機関(IMO)の中に「科学航空国際委員会(International Commission for Scientific Aeronautics)」が設置され、ドイツの気象学者ヘルケゼル(Hugo Hergesell)が委員長となった。高層気象観測に関する情報を共有・交換するこの委員会の存在とそれを先導するヘルケゼルの影響は大きかった。当時同じように気球による高層気象観測に挑んでいたパリのテスラン・ド・ボールとベルリンのアスマンの間には、フランスとドイツの国家の威信をかけた競争と誤解による確執があったようである。しかし、国際競争には組みしないという委員長のヘルケゼルの強い姿勢によって、高層気象観測に対する各国の協調姿勢が高まっていった(Hoinka, 1997)。

この国際委員会によって、いわゆる「国際高層気象観測日(International Aerological Days)」が設けられ、本の8-4-2「気球による高層気象観測」で述べたように、1896年11月13日の夜にその第1回が実施された。この中でストラスブルグ、サンクトペテルブルグ、パリ、ベルリンなどで同一の測定器を用いた探測気球による一斉観測が実施された。これが総観規模での高層気象観測の最初となった。この中でパリで放球された探測気球Aérophile」だけが高層での観測に成功した。上昇するにつれて順調に気温が下がり、高度12.7 kmで-54°Cを記録した。ところがさらに上った高度13.7 kmでは-52°Cに温度が上がり、降下時には再び高度11 kmで-59.8°Cに温度が下がった。この結果は国際委員会で議論を引き起こした。その結果、この記録は国際委員会によって日射などの影響を受けた値とされ、高度14 kmで観測した-53°Cは-68°Cのような形で修正された(Rochas, 2003)。

第2回目の国際的な一斉観測は1897年2月18日に行われ、やはりパリの「Aérophile」が最も高い高度10 km以上に上がったが、着地時に電柱にぶつかったため、高度10 km以上の記録は使えなくなった。第5回目の観測は1898年6月8日早朝に行われ、パリ、ブリュッセル、ベルリン、ワルシャワ、サンクトペテルブルグ、ストラスブルグ、ミュンヘン、ウィーンから有人気球13個、無人気球8個による大規模な一斉観測が行われた。これによって、初めてヨーロッパの高層気象の総観天気図を描くことができた。しかし、この観測では既に高層での気温の関心はそれほど高くなく、総観天気図の作成以外では、大気サンプルの採取による高度15 kmでの大気組成や太陽定数(日射量)の観測などが主な関心だった(Rotch, 1900)。

つづく

参照文献
  • Hoinka-1997-The tropopause: discovery, definition and demarcation, Meteorol. Zeitschrift, N.F. 6, 281-303.
  • J-P Pommereau-2003-OBSERVATION PLATFORMS, Balloons,1429-1438.
  • Rochas-2003-L'invention du ballon-sonde, La Meteorologie, n°43, 48-52.(Google翻訳を利用した)
  • Rotch-1900-Sounding the ocean of air. Six lectures delivered before the Lowell Institute of Boston in December 1898. - London: Soc. for Promoting Christian Knowledge, pp. 184.


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