キュー観測所 |
グレーシャー |
その後、フランスでは化学者で気象学者でもあったティサンディエ(Gaston Tissandier)や天文学者のフラマリオン(Camille Flammarion)などが有人気球で高層気象観測を行った。1875年4月15日にティサンディエらが行った高層気象観測は、高度8500 mに達したが酸素不足やひどい揺れなどにより、彼はかろうじて助かったものの同乗した2人が死亡した(Rotch, 1900)。当時は携帯できる酸素ボンベや調圧器はなく、酸素を持って行ってもそこで十分に機能するとは限らなかった。
この後、有人気球を使った高層気象観測はいくつかの例外を除いて、1890年代まであまり行われなくなった。また、高層気象観測(4)で述べるように、ゴンドラによる下層空気の持ち上げ、上昇速度に対する測定器応答の時間差、強い日射の影響などで、観測された値もあまり信頼できないものがあった。なお、グレーシャー、フラマリオン、ティサンディエは、有人気球による気象観測の状況などを「Travels in the Air」という本にスケッチ入りで残している。
フラマリオンが観測した月の暈 (Night of 14-15 July, 1867)「Travels in the Air」より |
また当時、無人の紙製の測風気球(pilot balloon)をつかって風向・風速を測ることも行われた。気球を複数のセオドライト(経緯儀)で三角測量を行って追跡することによって、高度と風向・風速を測定した。ただ、昼間の晴天時しか観測できなかった(ランプを搭載して夜間観測が行われることもあった)。また雲の上になったり、放球地点から離れ過ぎると追跡できなかった(Hoinka, 1997)。
1891年にはフランスのボンバレ(M. Bonvallet)がアミアンからはがき付きの測風気球を97個の放球し、気球60個の落下位置を調査したこともあった(Rotch, 1900)。また、ゆっくり燃える導火線に複数のはがきを結わえて、飛行の途中で一定時間毎に落下させて、拾った人に送ってもらうことによって、はがきの回収地点から気球の航跡をたどる方法も使われた。無人気球に自記測定器を搭載して、気温の鉛直分布の観測を行うことはまだできなかった。
(つづく)
参照文献
- Hoinka-1997-The tropopause: discovery, definition and demarcation, Meteorol. Zeitschrift, N.F. 6, 281-303
- Rotch-1900-The international aeronautical congress at Berlin. - Mon. Wea. Rev. 30, 356-362.
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