2019年2月19日火曜日

高層気象観測の始まりと成層圏の発見(2) 初期の気球観測

ソシュール
本の4-5-1「吸湿湿度計」のところで出てきたスイスの物理学者ソシュール(Horace-Benedict de Saussure)は、1787年に気圧計と温度計を持ってモンブラン(Mont Blanc, 4811m)に登頂し、気温が100 mについて0.7 K下がることを確認した。後年ドイツの生理学者、物理学者ヘルムホルツ(Hermann von Helmholtz)は、これを外挿して高度30 kmで気温はゼロ点に近づくに違いないと推測した(Hoinka, 1997)。

これは、大気の温度は気圧の低い上層との対流による断熱変化によって高度とともに低下し、高度30 kmあたりで絶対0度に近づいて大気は終わりになると考えられためである。この考えは、理論と観測が一致したため、19世紀の間は固く信じられた。ちなみに現在の考え方は逆で、まず放射平衡を考えて、その温度分布が下層で不安定となることから対流が起こり、対流平衡となって圏界面を境に大気が対流圏と成層圏に分かれるという説明が普通である(松野, 1982)。

本の8-4-1「有人気球による大気観測」で記したように、1783年モンゴルフィエ兄弟による気球の発明により、有人気球に測定器を搭載しての大気の鉛直方向の連続的な観測が可能となった。しかし19世紀後半に入っても、気球観測はまだ冒険、探検的な動機が主だった。しかし、気温減率などの上空の気象、あるいは電磁気がどうなっているのかなどの科学的な目的でも有人気球観測が行われた。

フランスでは2人の若い物理学者ゲイ=リュサック(Joseph Louis Gay-Lussac)とビオ(Jean-Baptiste Biot)が、上空の気象の調査飛行を行うために選ばれた。彼らは1804年8月24日にパリから出発したが、搭載したすべての測定器(と人)を持ち上げるには気球が小さすぎて、高度約4 kmを超えることはできなかった。
ゲイ=リュサック

ゲイ=リュサックは同年9月16日に水素を詰めた気球によって単独で高度約7 kmまでのぼった。彼とビオが行った観測から磁力の変化がなかったことと集めた大気サンプルから、大気組成が変わらないことが確認された。しかし、かれらの観測での気象学における成果は、高度が90m高くなる毎に約1度温度が下がることを確認したことだった(Rotch, 1900)。この観測結果は、その後しばらくは大気の気温減率(lapse rate)の代表となった。

つづく

参照文献

  • Hoinka-1997-The tropopause: discovery, definition and demarcation, Meteorol. Zeitschrift, N.F. 6, 281-303
  • Rotch-1900-The international aeronautical congress at Berlin. - Mon. Wea. Rev. 30, 356-362.
  • 松野-1982-成層圏と大気波動の研究をめぐって, 天気, 29, 12,3-22.


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