2019年2月24日日曜日

高層気象観測の始まりと成層圏の発見(5)初めての無人探測気球観測

グスタフ・エルミート
測定器を搭載した無人気球による観測は、フランスで始まった。天文学者のエルミート(Gustave Hermite)と操縦士でジャーナリストのブザンソン(Georges Besançon)は、まず1891年にパリで多数の小さな気球に手紙を付けて放球し、どこまで到達するか試した。1892年10月11日には直径90 cmの気球に測定器を搭載して放球し、それはパリから75 km離れて発見された。これが無人気球による気象観測の最初とされている。

彼らはこれ以降9個の気球を放球し、中には8.7 kmの高度にまで達したものもあった。エルミートは重さ260 gの自記気圧計と最低温度計を自作し、気球に搭載した(Rochas, 2003)。ちなみにエルミートは有名な数学者チャールズ・エルミートの甥である。気球と自記測定器を用いた無人の高層気象観測は、上層の気象を探るのに極めて有用な手段であることが直ちに認識され、探測気球(sounding balloonまたはballons-sonde)として広まった。

エルミートらは翌年3月21日にはゴールドビーター(牛の腸の外膜)製の「Aérophile」と名付けた探測気球で観測を行った。出発の際の突然の強い風で急いで放球したため、測定器に日よけを付け忘れてしまった。
気球「Aérophile」 の放球の様子
(Hermite, 1893)
しかし、この時の観測結果は驚くべきものだった。高度13.5 kmで最低温度-51℃を記録し、その後昇温し始めたが放球から1時間後にインキの凍結のために温度の記録ができなくなった。記録が回復した放球から4時間後の高度約15.5 kmは-21℃となっていた(これは長時間一定高度にあったため、日射による影響の可能性がある)。その後降下するにつれて気温は下がった。5時間15分後に今度は気圧計の記録が止まったため、その後推定された高度である約13 kmで2番目の最低気温-47℃を観測した(Hermite, 1893)。彼らは高度14~16 kmの温度を、上空の強い日射によって気球や測定器が暖まった結果の観測誤差と考えた(Rochas, 2003)。しかし、アメリカの気象学者ハゼン(H. A. Hazen)は、温度上昇の開始時はまだ気球は上昇中で換気が行われており、全てが日射による影響とは限らないことを指摘した(Rochas, 2003)。
  エルミートによる1893年3月21日の記録(Hermite, 1893)
縦軸が高度と気温。横軸は時間
  
エルミートらは1893年9月27日に2回目の観測を行おうとしたが、気球「Aérophile」は森に墜落したため、「Aérophile II」を製造して3回目の観測を1895年10月20日に行った。この時は性能が異なる2台の自記測定器を搭載した。エルミートは大気により露出した方の記録を用いた。その結果は高度13 kmで上昇中に最低温度である-70℃を記録したが、高度15.5 kmでは-50℃に上昇し、気球が降下し始めると再び温度が下がり始めたが、その時測定器の時計が止まって、それ以降の記録はとれなかった(Rochas, 2003)。彼らは1896年3月22日に4回目の観測に挑んだが、高度14 kmで上昇中に記録器の時計が止まってしまい、やはり観測は失敗に終わった。

当時の探測気球による高層気象観測では、気球が高高度まで上がり、測定器や記録器が順調に作動して、田園地帯に着陸して測定器を無事に回収することは容易ではなかったことがわかる。

つづく

参照文献
・Hermite-1893-L'exploration de la haute atmosphere. Ascension du ballon l'Aerophile. L'Aerophile, 1, 45-55.
・Rochas-2003-L'invention du ballon-sonde, La Meteorologie, n°43, 48-52(Google翻訳を利用した)

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