2019年2月4日月曜日

リヒャルト・アスマン(その1)

 アスマンは気象の多分野で活躍したドイツの気象学者で、本の4-5-3「乾湿計」、8-4-2「気球による高層気象観測」、8-4-3「成層圏の発見」、9-1-5「航空の発展と気象学」など各所で出てくる。逆に一人の人物像として捉えにくくなっているので、ここで彼の経歴をまとめて補足しておきたい。
 
 リヒャルト・アスマン(Richart Assmann)は1845年4月14日にドイツのマグデブルグ市で生れ、1865年にブレスラウ大学で、医学を専攻した。初めはフライエンヴァルデ(Freienwalde)で医者を開業し、後に郷里のマグデブルグに移った。1869年にはベルリンのフリードリッヒ・ヴィルヘルム大学から医学博士の学位を受けた。しかしアスマンは気象学に興味を持っており、フライエンヴァルデで医者をやっていた頃から、そこの戦争記念塔の上に小さい観測所を設け、自記測定器で記録をとっていた[1]。その頃、アスマンはハンブルグのドイツ海洋気象台(Deutsche Seewarte)を含むドイツ気象局を訪問し、そこで有名な気象学者ウラジミール・ケッペンに紹介され、生涯連絡を取り合う仲となった。[2]

アスマンの写真
(http://www.wetterdrachen.de/images/assmann.jpg)

   1879年に、アスマンは故郷のマグデブルク市へ戻った。彼はそこで同級生で地元新聞「Magdeburgische Zeitung」の所有者で編集者だったアレキサンダー・フェーバー(Alexander Faber)と偶然出合った。フェーバーは自身の新聞に気象報告を提供するための測候所の設立を考えていた。アスマンは医者を止めて1881年にマグデブルグで農業気象のために協会を設立することとし、その協会は直ちに中部ドイツに250か所以上の観測点を持つネットワークを開設した。1884年には「天気」(Das Wetter)という気象学に対する人々の関心を向上させるための一般向け気象学誌も刊行し始めた。[2]


 
 

通風式乾湿計の外観(上図)と内部(下図)
気象庁の気象観測ガイドブックより

 1884年にアスマンはハルツ山地の最高峰ブロッケン山(Brocken, 1141m)で雲物理の観測を行い、顕微鏡を用いて雲粒子が液滴なのか泡なのかという疑問を完全に解決した。彼は、ハレ大学の無給の大学講師として講義を行ったりしたが、1885年にはハレ大学から中央ドイツの嵐に関するテーマで2個目の博士号を受けた[2]。1886年に、アスマンはベルリンの近くの王立気象研究所の職員となって、雷雨と極端現象に関する部門を率いた。本の4-5-3「乾湿計」で述べたように、ここでアスマンは、観測において放射や換気不足の影響を受けない通風式乾湿計(Aspirated psychrometer)を発明した[2]。これはその後地上観測や高層気象観測における乾湿計のスタンダードとなり、今でも使われている。

つづく

参照文献

[1]岡田武松-1948-気象学の開拓者、岩波書店、pp308
[2]Assmann, Richard, Complete Dictionary of Scientific Biography, https://www.encyclopedia.com/science/dictionaries-thesauruses-pictures-and-press-releases/assmann-richard


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