彼は1899年1月8日の夜間の観測でも上層で等温層を観測した。彼は測定器カバーからの放射を疑い、温度計をカバーの外に移した。それでも結果は変わらずやはり等温層を観測した(Hoinka, 1997)。彼は同時に複数個の気球を上げて、確認のための比較観測を行ったりもした(Encyclopedia.com, 2008)。
テスラン・ド・ボールの紙製の気球は安価で観測頻度を稼ぐことができた。それにまだゴム製の気球がない時代に、彼の軽い紙製の気球は比較的高い高度まで達することができた。彼が1902年までにパリで行った観測では、236個が高度11 km以上に達し、そのうち74個が高度14 km以上に達した。ついに数多くの観測と注意深い確認により、彼は等温層を観測の誤りや一時的な現象ではなく、実在する定常的な現象であると考えた。
彼は1901年10月のベルリンでの飛行船協会の会合や1902年3月のフランス気象学会の会合でこのことに触れた上で、1902年4月28日パリの科学アカデミーの会合でこの等温層の発見を2ページの文書で報告した(フランス中央気象台長官マスカールが代読したことになっている)。彼は大気の状態によって、高度8 kmから12 kmの間で、温度勾配が極めて緩い等温層かむしろやや昇温する層の存在を明示的に示した。彼はこう記している。
「(1) 低い層からの高度の増加による温度の減少は、すでに調査された高度域では、平均すると乾燥大気の断熱的な変動とほぼ一致する。この減少は、人々が想像するように上昇するにつれてそのまま続くのではなく、最大を通り過ぎるとそれから急速に緩やかになり、平均すると高度11 kmでほぼ止まる。(2) 大気の状況によって様々な高度(8 kmから12 kmまで)から、温度減少が極めて遅い、あるいはわずかに増加する特徴を持つ高度が始まる。この領域の厚さを特定することはできないが、現在までの観測によれば、それは少なくとも数 kmに達するようである。これはこれまで無視された事実であり、きわめて真剣に受け取られるに値する。」(Teisserenc de Bort, 1902)
(つづく)
参照文献
参照文献
- Encyclopedia.com-2008- Teisserenc De Bort, L?on Philippe, Complete Dictionary of Scientific Biography, https://www.encyclopedia.com/science/dictionaries-thesauruses-pictures-and-press-releases/teisserenc-de-bort-leon-philippe
- Hoinka-1997-The tropopause: discovery, definition and demarcation, Meteorol. Zeitschrift, N.F. 6, 281-303.
- Ohring-1964-Bulletin of the American Meteorological Society, 45, 1, 12-14.
- Teisserenc de Bort-1902- Variations de la temperature de l' air libre dans la zone comprise entre 8km et 13 km d'altitude. - Compt. Rend. Seances Acad. Sci. Paris 134, 987-989.(フランス語から英語への翻訳にGoogle翻訳を利用した)
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