2019年3月4日月曜日

高層気象観測の始まりと成層圏の発見(9) ドイツのアスマンによる発見


「リヒャルト・アスマン(その2)」で述べたように、ドイツの気象学者アスマンは1900年ころにはドイツのゴム会社と共同で薄くて軽くよく伸びるゴム製気球を開発した。しかし、ゴムの性能のためか当初は高度15~16 kmで破裂して、それ以上の高度にはなかなか上がれなかった。それでも定積気球よりは高度10 km以上まで安定して観測できた。後年には改良されて高度30 km程度までは、上昇できるようになった。
アスマンによる観測結果(Assmann, 1902)
に基づいて作成したグラフ

アスマンは1901年の4月から11月まで、ベルリンでゴム製の探測気球を用いて6回の高層気象観測を行い、それらは高度12~17 kmまで達した。そして1902年5月1日にベルリンの科学アカデミーの会合において、高度10 km以上で大気減率が急速にゆっくりとなって等温層に達するかむしろ昇温が起こっており、高度10 kmから12 kmより高い高度で暖かい大気の流れがあることは疑いようがないことを示した(Assmann,1902)。また、その際には彼はテスラン・ド・ボールがパリで500回以上の観測を行っていることを示し、アスマンはテスラン・ド・ボールの観測も同じような結果を示していることを付け加えた(Assmann,1902)。

なお、アスマンのベルリンでの発表はテスラン・ド・ボールのパリでの報告の3日後だった。アスマンとテスラン・ド・ボールは、それぞれ発表を行うにあたって相互に事前に情報を交換していたとも言われるが、はっきりとはわからない。

アスマンは、ベルリンの科学アカデミーの会合において「高層に暖かい大気の流れがある」と主張した。これは高層で気温が上昇する逆転層を、彼が静的なものではなく動的な大気の流れとして捉えていたためである。「テスラン・ド・ボール」のところで述べたように、1896年から1897年に行われたICYの観測結果では否定されたものの、当時赤道域で暖められて上昇した大気が、
高層で低緯度から高緯度に向けて定常的に流れているとまだ広く考えられていた。彼が「暖かい大気の流れ」と表現したのは、このような赤道域からの暖かい大気が、観測された高層での逆転層と関連している可能性を考えていたためである(Assmann,1902)。

つづく

参照文献
  • Assmann-1902-Über die Existenz eines wärmeren Luftstromes in der Höhe von 10 bis 15 km, Sitzber. Konigl. Preuss. Akad. Wiss, Berlin 24, 495-504.Thomas Birner, 2014の英訳による)

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