2019年3月11日月曜日

高層気象観測の始まりと成層圏の発見(12)成層圏発見の意義

当時上空に行けば行くほど気温が下がることは、物理理論と高度10 km程度までの実際の観測から揺るぎない性質と考えられ、それを阻むようなメカニズムがあるとは考えられなかった。そういう中で、気温の低下が止まる成層圏の発見は、それまでの科学常識を打ち砕く意外な発見だった。イギリスの気象局長官で気象学の権威だったショー(Sir Napier Shaw)は、成層圏の発見を「気象学の歴史上最も驚くべき発見」と述べた(Shaw, 1926)。また、大気物理学者のグーディ(Richard Goody)は「テスラン・ド・ボールがきわめて難しい誤差を持つ観測から重大な発見を可能にした注意力は、その慎重かつ頻繁な測定によって、この観測を気象学の歴史の中で最もすばらしいものの一つにした。」と述べている(Goody, 1954)。

エクマン

しかしこの発見の与えた影響は気象学に止まらなかった。この地球上に特性の異なる同心円状の層があるという考え方は、気象学以外の分野にも広がっていった。スウェーデンの海洋学者エクマン(Vagn Ekman)は海洋の層状構造を発見し、クロアチアの気象学者モホロビチッチ(Andrija Mohorovičić)は、地殻の層状構造の存在を明確にした。これは「モホロビチッチ不連続面」と呼ばれている。

モホロビチッチ
モホロビチッチ
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Portrait_of_Andria_Mohorovicic.gif

さらに大気や海洋の層はその不連続面に沿って動くことから、ウェゲナー(Alfred Wegener)は大陸の地殻も長年かかって動くと考えて、1912年に「大陸移動説(continental drift theory)」を提唱した。しかしながら、当時はこの説は認知されなかった。本の11-5-2「IGYと南極観測」に書いたように、1950年代のIGYでの海底の観測などから1960年代にプレートテクトニクス理論が構築されてくると、ウェゲナーの大陸移動説が見直される結果となった。大陸移動説は、現在では地震を引き起こす原因の一つとして広く知られている。そういう意味では、成層圏の発見は気象学だけでなく、地球科学における発想の大きな転換点ともなった。

「高層気象観測の始まりと成層圏の発見」はこれで終わる。19世紀において高層大気は地球の辺境の一つではあったが、そのおおまかな構造はそれまでの知識から明らかと考えられていた。しかし、自然は往々にしてそれまでの人間の常識を覆すことがある。高層に温度が高くなる層があるという成層圏の発見はそういったものの一つである。こういったことは「19世紀末の知識が不十分だったから起こっただけ」とは言い切れない。現代においても、自然に対する人間の知識は限られており、これまでの常識とは異なることが起こり得る。このブログの「地球環境の長期監視の重要性」で述べたオゾンホールの発見もその一つである。成層圏の発見はそういう意味でも、人間の自然に対する姿勢を問う教訓の一つとなるのではなかろうか。

(このシリーズおわり。次はウィリアム・ダインス(1)家系と彼の若い頃

参照文献

Goody, R. M., 1954: The physics of the stratosphere. Cambridge, University Press, 187 pp.
Shaw-1926-Manual of meteorology, Vol. I. Cambridge, University Press, 343 pp.

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