2025年1月4日土曜日

気候データのデータ解析モデルとは

このブログは 「気象学と気象予報の発達史 」の一部です。

ここでは観測された気温をベースに計算された(地上の)全球平均気温の経年変化の課題を挙げる。「気候変動社会の技術史」(日本評論社)の第11章で述べているように、全球平均気温のデータセットは一つではない。この本で示しているように、よく使われている近年の全球平均気温のデータセットだけでも4種類ある(下図参照)。



最近の4つの全球地上気温データセット。ブローハンら(2006)から更新したCRUTEM3平均値[黒線]に対する世界の地上気温の経年偏差(℃)。偏差は1961-1990年の平均値との差である。平滑曲線は10年平均の変動を示す。国立気候データセンター(NCDC)[濃い灰色線]、ゴダード宇宙研究所(GISS)[赤線]、Lugina et al.[緑線]の偏差もCRUTEM3の1961-1990年の平均値に対してプロットされている。出典:Climate Change 2007: The Physical Science Basis (Cambridge University Press, 2007).

この違いは、各データセットで用いている観測データ(インフラストラクチャの遡及を含む)やデータ処理方法の違いに原因がある。つまりこの本が指摘しているように、観測値に基づいた全球平均値は、データセットが処理に用いているデータ解析モデルに依存していることになる(詳しくは気候変動社会の技術史(日本評論社)の公式解説ブログ「データ解析モデル」 を参照)。これをよく理解していないと、同じく「『健全な科学』議論」 で述べたような誤解が起こることがある。

この全球のデータセットが一つではないことを説明する例として、気温ではなく温室効果ガス全球平均濃度の例を挙げる。考え方は気温と同じである。これは現在大きく分けると、NOAA(米国海洋大気庁)発表している全球平均値とWMO(世界気象機関)が発表している全球平均値の2種類がある。NOAAは、自分たちが世界に展開している海岸に近い清浄な観測地点の観測値を使って、地域の重みを考慮した上で世界平均値を出している。これはIPCCを始め、科学論文などで利用されている。

WMOによる全球平均値は、WMOの全球大気監視(Global Atmosphere Watch)プログラムに参加している観測地点の観測値を用いている。これは毎年WMOが温室効果ガス年報(Greenhouse Gas Bulletin日本語版はこちら)で発表されており、全世界のマスコミがこの値を報道している。ちなみに、WMOの温室効果ガス年報には、NOAAの観測地点の値も含まれている。なお、濃度の基準となる尺度は共通であり、値の違いは用いている観測地点の違いとデータ解析モデルの違いによる。

そして、ここでは全球平均値を算出するデータ解析モデルの例として、温室効果ガス年報で使われているデータ解析モデルを説明する。WMOの全球平均値は、気象庁が運営している温室効果ガス世界資料センター(World Data Center for Greenhouse Gases:WDCGG)によって算出されている。同センターでは集めた世界各地の観測地点のデータを用いて、1983年からの全球平均値を算出している。

しかし、年とともに観測地点の開始や廃止が行われることがあり、解析期間の全期間にわたって全ての観測点のデータがあるとは限らない。これをそのまま算術平均を行うと、期間によって地点数が異なるため、地域の違いなどによる重みが時間と共に変わってしまう。これでは正確な全球平均値の経年変化とはならない。そのために、観測値を選別したり、重みを均等にしたりするためのデータ解析モデルが必要となる。

同センターが行っている処理は、概要を記すと以下のようになる[1]。

1.全球平均に必要なデータは、その地域の広範な範囲を代表する必要がある。地点によっては近隣の都市汚染や森林火災などの影響を受けることがあるが、この影響は局地的であるため、このような観測値を全球を対象とする計算から除く必要がある。そのため、全地点から計算した緯度分布の平均値から標準偏差が3シグマ以上離れた値をふるいにかける。これは計算に使う全ての値が3シグマ内になるまで繰り返される(このやり方はNOAAと同じである)。

2.以下の手段によって、全観測地点の観測期間を揃えるとともに、観測の空白期間があればそれを埋める。

・他の観測地点から算出した同じ緯度帯の、季節変化を除いた経年傾向(トレンド)を算出し、それをデータがない地点のトレンドにつなげる。これは、中高緯度では西風が卓越しているので、同じ緯度帯では、濃度は異なっても傾向は同じであることを仮定している。

・各観測地点が持つ平均的な季節変化幅を算出し、そのつなげたトレンドに重ね合わせる。これによって全ての観測地点でデータ期間が揃った空白のない月平均データが作成される。この期間が揃った各地点の時系列観測データがポイントとなる。

データ同期のために外挿された(破線)CO2 長期トレンド(上)と季節変化を加えた長期濃度変動(下)の例


WDCGG が保管している観測されたCO2 の月平均濃度データ(左)と全球平均のためにデータ期間を揃えた月平均濃度データセット(右)。図は北半球高緯度の観測地点を上にして緯度毎に並べた濃度の経年変動を示している(最下段は南極)。左の観測データは長さがバラバラで虫食い状態になっているが、右は全ての観測点データの長さが揃って空白がないことがわかる。色は濃度値を反映している。


3.各緯度帯毎に平均気温を算出し、その緯度帯が持つ面積の重みをつけて全球の平均気温を算出する。

以上の計算を行うモデルが、センターが用いているデータ解析モデルとなる。同様なことが世界平均気温の算出でも行われている。観測地点やインフラストラクチャの遡及を含む観測データの違い、気温の内外挿の手法の違い、地域平均の取り方の違いなどによって全球平均値が異なることとなる。ただし、どのデータセットでも全球平均気温は右肩上がりになっており、最初の図を見てわかるように、その差はそれほど大きくない。

なお、気候変動社会の技術史(日本評論社)の公式解説ブログで解説した再解析データからも全球平均気温は計算できる。しかし、現在は実際の地上気温の経年変化の把握には直接的には使われていない。ただし、再解析データはイベントアトリビューションなどの現在の気候変動に対する人為効果の寄与の推定などには頻繁に使われている。

(次は、低気圧発達の解明(1)歴史的経緯

参照文献
[1]堤 之智・森 一正・平原 隆寿・池上 雅明・栗原幸雄・Thomas J. Conway, WDCGG における主要温室効果ガスの全球濃度解析手法, 気象庁, 測候時報, 76.4-6, 2009.

2024年12月4日水曜日

秋が短くなった?

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このブログは気象学史に焦点を当てているので、今後評価が変わる可能性がある近年のことについては、あまり触れないようにしている。しかし、過去の気候は今後それほど変わらないだろう。それで近年の秋の傾向について述べる。

今年(2024年)の秋も異様に暑かった。ところが12月に入ると、関東周辺では一転して肌寒い日が多くなり、秋らしい日があまりなかった印象がある。報道各社からも秋の高温について、「11月半ばに20℃超「秋がない?」異例の暖かさ」とか、「11月最高気温 東京都心100年ぶり更新」とか、「11月中旬に…季節はずれの夏日!」など数多くの報道があった。

このブログの「近年の秋の気温上昇について」で、近年秋がこれまでより涼しくなくなってきていることを述べた。それで例として、もう少し詳しく1960年から2024年までの9月~12月の各月の8月との気温差の経年変化を簡単に調べてみた。それが下のグラフである。

          日本の秋における8月平均気温との差の経年変化図

地点は、気象庁が日本の平均気温を算出している網走,根室,寿都,山形,石巻,伏木(高岡市),飯田,銚子,境,浜田,彦根,宮崎,多度津,名瀬,石垣島の15か所の1960年から2024年までの各月の平均気温を用いた(2024年の12月のデータは入っていない)。これらの地点を平均した月平均気温を8月から12月まで算出し、各月の平均気温の8月との差を求めた。

データは気象庁がホームページで公表しているものを用いた。なお気候変動社会の技術史(日本評論社)の公式解説ブログ「情報のグローバル化 」で述べたように、気象データの公開性がこのような解析を誰でも行うことを可能にしている。

右端の数式はこの気温トレンドの回帰式である(100年間で、9月が0.79℃、10月が0.82℃、11月が0.24℃、12月が-0.65℃の変化を意味する)。この傾きが正だと夏との気温差が縮まり、負だと差が大きくなることを意味する。すると9月、10月、11月は傾きが正となっており、8月との気温差が年々縮まってきていることがわかる。ところが、12月は8月との気温差が逆に広がっている。

つまり、秋はこれまでより暑い日が多くなってきているが、12月になると一気に寒い日が多くなることを意味する。これは秋が短くなってきているという体感とも一致している。なお、これは8月のとの気温差を取っているので、地球温暖化などによる平均気温全体の上昇は入っていないことに注意していただきたい。8月の平均気温が大きく上昇していると、気温差が減っている以上に秋が暑くなっている可能性もある。

グラフは「おおっ」というような一目でわかる劇的な変化を示しているわけではないものの、数的な解析からは明確に傾向がわかる。これはあくまで暫定的で簡易的な解析であり、期間や地点を変えると結果が変わることがある。

自然科学者は、このような地道な作業を繰り返し行っている。モデルなどを使うこともある。そして、もっと詳しい解析から確度の高い情報を読み取れれば、その新しい情報が論文などを通して専門家による一定の評価を得てから、発表されている。

 (次は 気候データのデータ解析モデルとは

2024年11月15日金曜日

技術と気象(5)人工衛星

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1957年にソビエト連邦が人工衛星の打ち上げに成功すると、米国がすぐにそれに追いついて、宇宙での軍事技術競争が始まった。ロケット開発はもともとは弾道ミサイルのためで、人工衛星の開発も、宇宙からの地上の軍事偵察が目的の一つだった。しかし、宇宙から地上を見ると雲も見える。軍事偵察からすると、雲はそれを邪魔するものだった。しかし、一方で雲の把握は気象観測にとって重要だった。

時は冷戦の真っ最中だった。偵察機やスパイを送り込んだ相手国の情報収集が重要な手段となっていた。しかし偵察機U-2が撃墜されたり、スパイは相次いで逮捕されたりして、どれも決め手に欠いていた。

高高度偵察機 U-2
https://ja.wikipedia.org/wiki/U-2_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:1st_Reconnaissance_Squadron_Lockheed_U-2R_80-1068.jpg

そこで出てきたのが、人工衛星による気象観測である。これと軍事偵察は、手段・手法はほぼ同じであり、目的が異なるだけだった。人工衛星の平和利用のシンボルとして、衛星による気象観測が挙げられた。ちょうどコンピュータモデルを用いた気象予測も始まっており、全世界の気象データが必要になっていた。

アメリカは、人工衛星を用いて宇宙から世界中の気象観測を行うとともに、全世界の地上気象観測データを衛星通信などで交換することを画策した。1961年9月25日に、アメリカのケネディ大統領は、国連総会において衛星とそれを用いた通信網を用いて、気象通信網と気象予報に関する各国による協力を提案した(気候変動社会の技術史(日本評論社)の公式解説ブログ「国際政治とグローバルな気象観測網 」も参照)。これは別な見方をすると、人工衛星を用いた軍事偵察の平和目的の気象観測による合法化という面もあった。

ケネディ大統領の提案は国連総会で公式に採択され、それを受けて世界気象機関(WMO)は世界気象監視(World Weather Watch)プログラムの設立に動いた。これは1960年代に徐々に機能し始めて、気象観測だけでなく、それを集めるデータ交換のための世界初の全球規模での通信網ともなった。このプログラムは現在も機能しており、ウクライナや北朝鮮を含む全世界の気象観測データが、各国の主義主張を超えてほぼリアルタイムで全球規模で交換されている。気象予報モデルは全世界の気象データを必要とする。そのため、気象予報はこれによって大きな恩恵を蒙っている。

2024年5月 地上気温 月統計値の例(気象庁の世界の天候データツールより)。北朝鮮やウクライナ(黒海付近)を含めて、多数の観測報告があることがわかる。これは気候値用のClimat報であるが、予報用のSynop報もほぼ同じである。

静止衛星や極軌道衛星による気象観測は、広域の雲の可視化に威力を発揮した。海上のはるか遠くにある台風とその構造なども一目瞭然にわかるようになった。また、宇宙から見た雲画像は、天気予報番組などで今でも盛んに使われて、欠かせないものとなっている。

ただ、衛星による観測結果を気象予報モデルの入力として実際に使うのは簡単ではなく、長い期間にわたって気象予報の精度向上にはあまり寄与しなかった。衛星は主に地球からの可視光を含む放射量を観測しており、それを気象予報モデルの初期値として使うために格子点での気象要素に変換すること、が困難だったためである。

それを解決したのはデータ同化という計算機技術だった(このブログの「データ同化に革新を引き起こした佐々木嘉和 」を参照)。衛星で観測した放射量を、同化モデルを用いて気象予報モデルのための初期値を作成することが可能になった。現在では、気象衛星による観測結果は、気象予報に極めて重要な役割を果たしている。

(次は「秋が短くなった?」)

2024年11月11日月曜日

技術と気象(4) レーダー

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レーダーは、第二次世界大戦直前に発明されて、大戦中に発達した。当初の目的は空中にある航空機の検知であり、高速で移動する航空機の事前の把握・監視に大きな役割を果たした。ところが、レーダーは大気中にある水蒸気によるノイズに悩まされていた。しかし発想を変えると、これは逆にはるか先の雲などの把握に使えることがわかった。

大規模な雲などの気象擾乱は、航空機の飛行の安全に重大な影響を及ぼす。戦時中から航空機にレーダーが搭載されるようになり、悪天候域の回避にも使われるようになった。また、戦後に気象の把握に特化した気象レーダーが開発されて、地上や高所にも設置されるようになった。

 気象レーダーによる観測の概要(写真は東京レーダー(千葉県柏市))
https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/radar/kaisetsu.html

レーダーや人工衛星がない時代、海上の台風の発見がどれほど困難だったか考えてみてほしい。海上には観測地点はない。台風の移動速度が速いと、数時間の内に天候が急変したかと思うと台風が海上から上陸し、大きな被害を蒙ることがあった。そのため、気象庁では南方定点に、台風監視用の船を一時期配置していた。船の乗組員は下手をすると台風に巻き込まれることも覚悟の上だった。それは台風から国民を守るという使命感によるものだった。

レーダを用いると、陸上からでも遠くの台風を検知できるだけでなく、その全容もわかる。「米海軍第38任務部隊の台風による遭難その1(2)」では、艦船上の初期のレーダーが捉えた台風画像を掲示している。

高い山頂のレーダーから遠くの台風を捉えることができれば、早くからその対策を取ることが出来る。伊勢湾台風の被害を契機に富士山にレーダーを設置する計画が持ち上がった。その経緯は、このブログの「富士山における気象観測(5)山頂へのレーダー設置計画 」に詳しく解説している。このプロジェクトは、国の威信をかけたものとなり、完成時には多数の報道とともに記念切手も発売された。また、後年NHKのプロジェクトXでも「「巨大台風から日本を守れ」 - 富士山頂・男たちは命をかけた」というタイトルで放映された。ただし、今では台風の監視は人工衛星に取って代わられている。

レーダーの気象に対する別の効果は、竜巻やダウンバーストなどの局地現象の把握である。これは極めて狭い範囲で起こり、発生してから短時間で消滅するため、この現象の把握は極めて困難だった。しかも、航空機の離着陸時には、ダウンバーストは安全に対する重大な脅威であり、事故も多発した。レーダーから発展したドップラーレーダーは、雲粒の移動速度や向きがわかる。それを用いることで、藤田哲也らはダウンバーストという現象を発見した。そして、それを用いることで、ダウンバーストによる事故を回避できるようになり、大勢の命を救うことを可能にした。このことは、このブログの「ミスター・トルネード 藤田哲也」で、詳しく解説している。

気象レーダーは、今では雨量観測と組み合わせて、ナウキャスト(レーダーアメダス)として集中豪雨の監視などに威力を発揮し、警報や大雨情報の発表の根拠の一つとなっている。雨雲の動きや強さは気象庁ホームページなどでリアルタイムで公開されており、豪雨災害の監視に大きな役割を果たしている。

 

ナウキャストで捉えた豪雨の例(平成26年6月29日16時)
https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/kurashi/highres_nowcast.html

 (次は技術と気象(5)人工衛星

2024年11月6日水曜日

技術と気象(3) 無線と気球

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19世紀末に、マルコーニらによって無線が発明されると、有線電信より情報の収集範囲が広がった。「世界規模観測網(レゾー・モンディアル)と国際政治」のところで述べたように、電線のない僻地からの気象データの無線を用いた収集も計画された。しかし、無線の発明で本質的に重要なのは、ラジオゾンデの発明である。空中にあるものを研究するのは地上にあるものよりはるかに難しい。「高層気象観測の始まりと成層圏の発見」のところで述べたように、19世紀の有人気球による上空の気象調査は、観測というよりむしろ冒険の世界だった。

20世紀初頭のゴム気球の発明(「リヒャルト・アスマン(その2)」参照 )は、気球自体が安価になって使い捨てが出来るようになっただけでなかった。気球には気象観測装置の観測結果を記録する自記記録装置が搭載されており、観測結果を知るには、落下場所を見つけてそれを回収する必要があった。それまでの気球の自記記録器は、放球地点より数百km先に落下するのが普通だったが、ゴム気球になって上昇速度が速まったため、破裂して比較的近くに落下するようになった。これは成層圏の発見に貢献したが、それでも自記記録器は回収する必要があった。その手間はばかにならず、しかもしばしば行方不明となった。1920年頃から航空機を用いた上層の気象観測も行われるようになったが、観測にかかる費用が高額だったため観測頻度は極めて限られていた。

それを変えたのが1930年頃に発明されたラジオゾンデである。この経緯は本書「9-4-3世界でのラジオゾンデ観測の発達」で述べたとおりである。これによって自記記録器を回収する必要がなくなり、またリアルタイムでの上空の気象観測が可能になった。これは技術的に見ると、リモートセンシングの始まりでもある。世界各地でラジオゾンデを用いた高層大気の観測網が構築されるようになった。この高層気象観測網による定期的な観測により、高層大気の規則的な振る舞いがわかるようになった。

 ラジオゾンデ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%82%AA%E3%82%BE%E3%83%B3%E3%83%87#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Radiosonde-wx-balloon.jpg

18世紀頃から20世紀はじめまでの地上気象観測網による気象学の成果を見てほしい。16世紀の哲学者フランシス・ベーコンは、観測による「自然誌」や「実験誌」の蓄積(つまりデータの蓄積)による帰納法を用いた法則の発見を唱えた。これによってベーコン主義者たちは、いろいろな科学分野でさまざまな法則を発見した。気象学も同様に各地に地上気象観測網が作られ、法則性を見つけるために、20世紀初めまで膨大な気象データが蓄積された。しかし、いくつかの気候学的、あるいは総観気象的な法則 ―例えば低気圧の風の回転やボイスバロットの法則― のようなものは見つかったものの、地上でははっきりとした法則性を持った現象はほとんど見つからなかった。

ところが、高層気象観測によって成層圏が発見され、さらに1930年頃から整備されたその観測網によって、上層大気中で地球規模で規則的に運動する超長波(ロスビー波)などが発見された(「カール=グスタフ・ロスビーの生涯(4)MITでの業績」参照)。そして、その運動を力学的に定式化することによって大気運動の解明が可能になった。また、大気の鉛直構造の定量的な把握によって傾圧構造などの低気圧の鉛直構造がわかり、低気圧の発達のメカニズムなども解明されるようになった。気象学は、気球と無線を用いて、それまで手が届かなかった高層大気を解明することによって、一気に発展することとなった。

 (次は技術と気象(4)レーダー