(このブログは 「気象学と気象予報の発達史 」の一部です )
はじめに
藤田哲也は日本人の気象学者であるが、主にアメリカで活躍した。日本でも竜巻の強さの指標となっているフジタスケール(現在では改良フジタスケールを使っている)は、耳にしたことがある人も多いかもしれないが、藤田哲也については、日本ではアメリカほどには知られていないのではないかと思う。彼は竜巻の研究でも知られているが、彼の研究の真骨頂はダウンバーストである。
彼自身は、自分の人生を「幸運と印された石の上の踏んで歩んでいるようなものだ」と述べている [1]が、間違いなく彼は自らの努力で幸運を築いていた。彼は1998年にアメリカで亡くなったが、彼は後述するように旅客機の安全に絶大な貢献をしたため、もし生きていればノーベル賞を取ったのではないかという人もいる。
私はJ. Cox著の「嵐の正体にせまった科学者たち」を翻訳出版(丸善出版)したが、その中に紹介されている気象学者28名の中で、唯一の日本人として藤田哲也が紹介されている。この本はNHKエデュケーショナルの佐々木健一氏の目に止まり、それがきっかけで同氏は「Mr.トルネード 藤田哲也 世界の空を救った男」という本を出版された(同書の序章に私の訳書が紹介されている)。また、同氏がディレクターとなってNHKで「Mr.トルネード~気象学で世界を救った男~」という題名のドキュメンタリー番組が制作されて放映された。
藤田哲也の経歴や研究手法は独特な面があり、異色の気象学者とも呼ばれた。竜巻の研究については、同じく「嵐の正体にせまった科学者たち」で紹介されている19世紀のフィンレーなどの先駆者がいたが、藤田は近代的な手法を用いた竜巻やダウンバーストの研究分野を独自に立ち上げ、少なくとも航空機に対する脅威の大半を自身で解決してしまった。そういう意味では、彼の研究は系統的な大きな歴史的流れを示す気象学の通史から見ると扱いにくい。そのため、本書では「10-1-3 レーダーの気象学での利用」のところで彼のことに少し触れただけである。今回は彼のことを補足しながら紹介しておきたい。
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