子竜巻論争
また、藤田は自ら軽飛行機のセスナ機に搭乗して上空から竜巻の痕跡を調査した。それまで航空機を用いて上空から竜巻調査を行った気象学者はいなかった。総飛行距離は4万kmにもなった [3]。しかもパイロットに指示して、必要な箇所は低空で入念に何度も飛行を行った [3]。
彼は1967年に航空写真を用いた解析から、竜巻が通った後に小さな螺旋が残されていることに気づいた。こういった竜巻後の小さな螺旋跡はそれまでも知られていたが、竜巻に捉えられた物体が地面をひっかいた跡と思われていた。彼は現地に赴いて調査し、螺旋を描いているものはひっかき傷ではなく、瓦礫が集まった小高い丘であることを発見した。普通に考えると、こういった瓦礫は竜巻の強風で吹き飛ばされて散逸してしまう。そういったことから、彼は大きな竜巻の内部や近辺のそれほど風が強くない領域に小さな子竜巻が複数個あって、その風が瓦礫を集めて丘を築いていると主張した。
しかし当時、子竜巻などは全く知られておらず、これだけの証拠によるこの子竜巻理論は、10年以上にわたってあちこちから猛烈な反論や非難を受けた。しかし1974年にはTV局のカメラが子竜巻らしい姿を撮影した。1979年にはある人が竜巻の中に子竜巻がある明瞭な写真を送ってくれたため、彼の主張が正しいことが証明された [4]。子竜巻の存在がわかったため、これによって住民に周知する竜巻の風に備える対策方法が大きく変わった。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Tushka,_Oklahoma_tornado_April_14,_2011.jpg
衛星観測に対する貢献
藤田は1962年7月にシカゴ大学のパーマネントの准教授に就任した。大勢の研究者がひしめくアメリカの大学でパーマネント(任期が切られていない)の職を得ることは容易ではなく、異例の抜擢といってもよかった [3]。アメリカは1960年4月に実験用気象衛星タイロス1号を打ち上げていた。衛星は極軌道衛星であり、地球を斜めに周回する。ところがこの衛星の姿勢制御に問題があって、撮影した写真を緯度経度に対応したものに変換できなかった。これは衛星写真の位置を特定できず、気象解析に使えないことを意味した。これは国の威信に関わる大問題だった。これを藤田は衛星の姿勢制御の方法を工夫することによってデータ解析が行えるようにした[3]。
これにより衛星関係者内で藤田は有名となった。衛星の予算は桁外れに大きい。藤田の下には莫大な衛星予算が付くようになり、キャンパス内に3階建ての専用の家が建ち、藤田強風研究室が創設されて大勢のスタッフを雇えるようになった [3]。そしてそのわずか3年後には教授に就任した。また衛星データの一部は国家機密であり、それを扱うには外国籍のままだとさまざまな制限があった。日本は国籍を一つしか認めていない。彼はどちらをとるか悩んだ末に、大きな決断をして1968年にアメリカ国籍を取得した。もちろん米国が彼に国籍を与えたのは、彼の貢献を大きく評価していたからだった。
竜巻強度 藤田スケール
当時、アメリカでは竜巻の発生数を数えるだけで、その強さについては調査していなかった。彼はその後も竜巻についての綿密な調査を重ねて、1971年に初めて竜巻の強度を考案した。その際には竜巻による被害と海洋で使われているビュフォート風力階級を参考にした [3]。彼が考案した竜巻の強度は「フジタスケール」と名付けられ、竜巻の強度に応じてF1からF12まである。ただし、F7以上は風速が強すぎて事実上地球上では存在しないといわれている。
実は竜巻の中で風を測定した記録はなく、フジタスケールでの風速の定義は推測である。そのため、科学者の中にはこの定義に疑問を呈する人たちもいた。しかしそれまでなかった竜巻の強さを定義した実用上の意義は大きく、原子力発電所、建設業界、保険業界などの設計基準に大きな影響を与えた。この指標は現在修正されて改良フジタスケール(The Enhanced Fujita Scale (EF Scale))となっているが、それも元のフジタスケールがあってこそのことである。
フジタスケール(https://www.weather.gov/oun/efscaleを和文に改変)。現在はこれではなく改良フジタスケールが用いられている。
(つづく)
参照文献(シリーズ共通)
1. Cox J. 嵐の正体にせまった科学者たち. (訳) 堤之智. 出版地不明 : 丸善出版, 2016.2. 丸山俊一・高瀬雅之. ブレイブ 勇敢なる者「Mr.トルネード~気象学で世界を救った男~」. NHKエデュケーショナル; NHK, 2017.
3. 佐々木健一. Mr. トルネード 藤田哲也 世界の空を救った男. 文藝春秋, 2017.
4. 藤田哲也.「ある気象学者の一生」. 藤田記念館建設準備委員会事務局, 2001.
5. Fujita Tetsuya (1950) Micro-analytical study of thunder-nose. Japan Central Meteorological Observatory, Geophysical Magazine, 22, 2, 71-88.
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