(このブログは 「気象学と気象予報の発達史 」の一部です。)
19世紀までは、嵐が物理的にどうして起こるのかは謎だった。本書の6-1-4「気象学への熱力学の導入」で述べたように、最初にその原因を唱えたのは、米国の科学者エスピーだった。19世紀半ばに、彼は著書「嵐の原理(Philosophy of Storms)」の中で水蒸気に着目し、それが凝結して潜熱を放出することによって、上昇流が起きて周囲から大気を集めて嵐(低気圧)が発達することを唱えた。当時は水蒸気を含むと大気は重くなって沈降する、という間違った考えも広く共有されており、彼の説は、当時熱力学が十分に発達していない中で画期的な考えだった。
エスピーが唱えた水蒸気の凝結による潜熱によって上昇して出来た雲。
Philosophy of Stormsより
彼の説はこのブログの「嵐の構造についての発見」で述べたレッドフィールドとの間に、アメリカ暴風雨論争を引き起こした(本書の6-1-6「アメリカ暴風論争」を参照)。熱力学的にはエスピーの説は正しかったが、「嵐の王(Storm King)」とも称された彼の強引で攻撃的な性格が災いしてか、結局彼の説は主流にはならなかった。
次に嵐が発達するメカニズムに着目したのは、オーストリアの気象学者マルグレスだった。彼は、気温などが異なる気塊が接触してもある条件下では平衡状態になることを示した(本書の8-7「傾向方程式とマルグレスの式」を参照)。後に説明する傾圧不安定は、逆にこの平衡状態が崩れる条件の一つを示している。
そして20世紀初頭に、彼は嵐のエネルギー源として、上層の寒冷大気が下降してその位置エネルギーを放出することを挙げた(本書の8-6「嵐のエネルギー源論争」参照)。これは正しかったが、地球という回転球体の上で、具体的にどのようなメカニズムで低気圧が発達するのかまではわからなかった。
よく知られているように、ベルゲン学派のヤコブ・ビヤクネスが 1920年頃に低気圧の構造についての画期的な発見を行った。最初は典型的な低気圧の固定した構造だったが、後に低気圧の一生のような発生から終焉までの動態を含めるようになった。しかし、低気圧がなぜそのような経緯を辿るかというメカニズムはわからなかった。
1930年頃からラジオゾンデの観測によって上層の大気に規則的な波があることがわかってきた。このロスビーによる超長波(ロスビー波)の発見(このブログの「カール=グスタフ・ロスビーの生涯(4)MITでの業績」参照)が、低気圧の発達に関連していた。
そのメカニズムを解明したのはアメリカの気象学者ジュール・チャーニーである。彼は1947年に「傾圧不安定論」を唱えて、温度風の環境の中で上層の寒気が西から流入すると傾圧不安定が起こり、これが低気圧を発達させていることを理論的に解明した(本書の10-3「傾圧不安定と準地衡風モデル」参照)。この考えはイギリスの気象学者イーディによっても1949年に唱えられている。傾圧不安定の概要は次で触れる。
当時は数値予報の黎明期であり、気象予報には低気圧の発達についての予測が必要だった。チャーニーの傾圧不安定論は、数値予報モデルの開発にも大きな影響を与えた。
(次は、低気圧発達の解明(2)傾圧不安定とは)
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