2023年1月26日木曜日

データ同化に革新を引き起こした佐々木嘉和

このブログの「気候学の歴史(8): 気候モデルと日本人研究者」においては、真鍋淑郎、荒川昭夫、笠原彰の3名を挙げた。いわゆる気候モデラーとは少し異なるかもしれないが、ここでは数値予報モデルと気候モデルに対して世界に革新をもたらし、彼らに勝るとも劣らない活躍をした佐々木嘉和(1927-2015)について述べる。

佐々木嘉和の写真(Norman Transcript紙に飛びます)

データ同化と気象予報

最初に、佐々木嘉和のメインの研究分野の一つだったデータ同化における変分法の役割について説明する。これは現在の数値予報になくてはならないものである。

数値予報モデルで予報を行うには、計算開始時に初期値をモデル格子に設定する必要がある。数値予報の開始当時は、この初期値は観測値をもとに作成された。ところが、数値予報モデルは規則正しく並んだ格子点での値を計算するように作成されているが、実際の観測点はその格子上にはほとんどない上に、海上の格子点のようにその付近に観測点が全くないこともある。そのため、数値予報では最初の格子点値(初期値)を、どうやって作るかが問題となった。

当初は、気候値を使う場合もあったし、なんらかの手段を用いて最寄りの観測点からの内挿や外挿によって値を決めることもあった。これらの初期値作成作業は予報の場合は「解析」と呼ばれることもある。

この全球規模での初期値決定は、予報精度に大きく影響するにも関わらず、決定的な作成手法がなかなか見つからなかった。等圧線などを用いた内挿外挿には、主観的な要素が入り込む余地が多大にある。それらは計算を進める間に大きな誤差となった。そこで生まれたのが、データ同化という考え方である。この詳しい説明は専門の参考書などに譲るが、一言で言えばさまざまな観測値から、格子点上で物理学的に最も誤差の少なくなる最適値の組み合わせ(解析値)を計算し、それを初期値として用いることである。

そして佐々木嘉和は、データ同化の最適な解析値を決定する方法として数学的な「変分法」を使うことを提唱した。これは誤差を含み得る観測値を使って時空間的に誤差を最小にした一貫した解析値を算出する方法である。計算は複雑だが、計算機の進歩がこれを後押しした。

この手法を利用してデータ同化技術を発達させることによって数値予報の際に、全球の3次元空間と時間軸に対して物理学的に一貫した(つまり誤差が最小となる滑らかな)初期値を算出できるようになった。数値予報においては、「予報モデル」とこの初期値作成のための「データ同化モデル」は、車の両輪のように重要なものである。

気候再解析

変分法を用いたデータ同化手法は、3次元の空間で最適な解析値を導出できるだけでなく、時間軸に対しても最適な解析(同化)を行うことができる。そのため、この解析は時間軸を加えて「4次元変分法」とも呼ばれる。

そして、これによって導出された数値予報のための初期値は、その時の最善の気候値と考えることも出来る。さらに気候値の場合は、予報と異なって計算しようとしている日時以降に観測された値も時間軸の解析に利用することが出来る。このため、数値予報のためのデータ同化を「3.5次元同化」、気候値のためのデータ同化を「4次元同化」と呼ぶ場合もある。

この4次元同化を用いて作成された気候値は「気候再解析」と呼ばれ、過去の気候値を一定の精度で再現できる。過去天気図との違いは、地上での気圧や風だけでなく、気象の多くのパラメータ(要素)が、全球3次元で物理学的に一貫した精度の値を持っていることである。

この再解析された3次元での一貫した精度の全球格子点での気候値は、気候科学を変えた。これによって、このデータセットがある限り、過去におけるあらゆる場所のあらゆる時刻の気象(例えば天気図)をある一定の精度で再現できるようになった。つまり、現在気候が過去気候とどの程度変化したのか、あるいは変化していないのかを定量的に比較・議論できるようになった。

現在の地球温暖化などにおける過去気候との比較も、再解析の結果に基づいて行われることもある。変分法を用いたデータ同化手法は、数値予報だけでなく、現在の気候変動を議論するための基礎技術ともなっている。

佐々木嘉和の若い頃と変分法

佐々木嘉和は1927年に秋田県に生まれた。彼は1954年の台風による青函連絡船「洞爺丸」沈没の被害に衝撃を受け、それが後の彼の人生に大きな影響を与えた。このブログの「正野スクール:正野重方と日本の気象学者」で記述しているように、彼は東京大学の正野スクールの出身であり、1955年に東京大学で正野重方教授を指導教官として博士号を取得した。彼の研究テーマは一貫して気象学への変分法の適用だった。当時彼は機械式計算器を使って研究していた。

彼の研究は1956年の論文「台風の進路予報の研究」に結実し、共著者の都田菊郎博士とともに日本気象学会賞を受賞した。1956年にフルブライト研究員としてテキサスA&M 大学へ渡り、そこでの研究を開始した。1960年にはオクラホマ州にあるオクラホマ大学へ移り、ウォルター・ソーシエ博士とともにそこで気象学教室を創設した。1970年に発表した論文が変分法の気象学への応用の記念碑的な論文となった。この論文は、1980年代後半に世界の主要気象センターで開発されて、現在も運用されている4次元変分法によるデータ同化の礎となった。

佐々木嘉和の手法は、各国の数値予報の初期値作成の解析に用いられただけでなく、米国海軍研究所の海洋気象学部門のデータ同化システムとしても長年使われた。このシステム開発の際に使われたのが、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)の荒川昭夫の大循環モデルと、オクラホマ大学の佐々木嘉和が開発した変分法の知識だった [1]。藤田が開発した衛星技術もそうだが(ミスター・トルネード 藤田哲也(5)参照)、国家の最重要機密である軍のシステムに彼らの技術が使われたことが、日本人気象学者たちがいかに優秀だったかを示している(当時の気象衛星は軍事技術でもあった)。

なお、数値予報の実用化研究はもともと米国では軍と気象局が関与したプロジェクトとして始まった。気象の軍事的な重要性から、一時期は軍が予報や観測を独自に行っていたが、むしろ軍以外の方が効率的で発展が早かったことから、徐々に軍でも民生用予報の利用が主流となり、現在では軍による気象活動は特殊なものに限られている。

また気象における変分法は、その応用として気象レーダーの解析にも用いられている。ドップラーレーダー観測や竜巻予報についても、変分法がその実用化を大きく促進した [2]。さらにデータ同化は、コンピュータサイエンスにも影響を及ぼし、オクラホマ大学の工学部のコンピュータサイエンス部では、データ同化の講義が行われている [3]。

気象の顕著現象の研究

佐々木嘉和はオクラホマ大学で竜巻などの気象の顕著現象の研究を進めるとともに、同大学の教授陣の確保に大きな役割を果たした。今日、オクラホマ大学の気象学研究学科は全米でも有数の規模を誇っており、雷雨や悪天候の理解と予測に関する研究で国際的にも知られている。彼は、1974年に優れた研究教授としてジョージ・リン・クロス教授の称号を授与された。佐々木嘉和は、同大学で最初にこの称号を得た一人である。なお、ジョージ・リン・クロスは植物学の教授で同大学の優れた学長だった。

オクラホマ大学のホルンバーグホール
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:HolmbergHall2.jpg

オクラホマ大学は1980年に米国海洋大気庁(NOAA)と共同でメソスケールの気象の共同研究所を創設した。そして、佐々木嘉和がその所長となった。彼は2000年に日本気象学会の藤原賞を受賞したほか、研究分野での卓越した功績が評価されて、米国気象学会(AMS)のフェローに、2014年には同学会の最高栄誉である名誉会員となった。

若手研究者の育成

佐々木嘉和は多くの大学院生を指導し、修士号や博士号を取得させた。教育者としての彼の重要な役割の一つは、学生が自分の力で成功しようとするのを積極的に支援することだった。彼はすべての学生を、学問的にも人格的にもしっかりとした形で支援した。その結果、彼の講座からは53人の修士号取得者と19人の博士号取得者を輩出した。そして、その多くがその後素晴らしい業績を上げている。

佐々木嘉和の教え子であり、気象学者であるジョン・ルイスは、「佐々木は科学者であると同時に哲学者であり、学生の能力を引き出す術を心得ているソクラテス的な学者・教師であったと思う。質問し、説教せず、語らず、ただ提示し、そして学生に好きなようにやらせる。」と述べている [4]。その教育的功績が認められ、佐々木嘉和は2004年に「オクラホマ高等教育殿堂(Oklahoma Higher Education Hall of Fame)」入りを果たした。

また、佐々木嘉和の先駆的な功績を称えて、アジアオセアニア地球科学学会では、2009年から彼の名前を冠した「Sasaki Symposium in Data Assimilation for Atmospheric, Oceanographic, and Hydrological Applications」という国際シンポジウムを開催している。このシンポジウムは、地球科学分野のデータ同化への変分法の適用を焦点にしている。このシンポジウムは、これまでタイ、韓国、インド、台北、シンガポール、オーストラリア、そして日本で開催されて、多くの成果を上げている。

日米の産官学連携の推進

また佐々木嘉和は気象学の発展だけでなく、研究者としては珍しく地元の産業と日本の産業を結びつけることにも大きく貢献した。

佐々木による産業界との連携は、まずオクラホマ大学を支援する形で行われた。彼は、オクラホマ大学への3つの寄付講座(日立、旭硝子財団、ウェザーニューズの名を付したそれぞれの講座)の設立に尽力した [5]。また、日立製作所の製造工場、アステラス製薬、TDK、ウェザーニューズなどの日系企業のオクラホマへの誘致にも大きな役割を果たし、多くの地元の人々の生活にも密着した活動を行った [5]。

さらに、日本オクラホマ協会を設立し、オクラホマ州と日本との間に姉妹校や姉妹都市を提携することに貢献した。京都府、栃木県、秋田県などにオクラホマ州の都市との姉妹都市があり、また日本の数多くの中学校、高校、大学が、オクラホマにある学校との姉妹校となっている。

彼は、日本とオクラホマ州の文化振興、経済発展、学術交流への多大な貢献が認められ、オクラホマ州知事から「ヨシ・ササキの日」という形で2回表彰された。また彼は日本外務省から「日本名誉総領事」に任命された [5]。

まとめ

戦後すぐから、気象学、気候科学の分野では、多くの日本人が活躍してきている。その中でも真鍋淑郎は地球温暖化の将来予測を通して気候科学を変えた。荒川昭夫はモデリング技術を通して気候モデルを変えた。笠原彰は気候モデルプログラムのオープンソース化を通して気候モデルの文化を変えた。

そして、佐々木嘉和は、変分法を通して数値予報と過去に対する気候科学を変えた。また、文化・経済交流を通して、オクラホマ州の日本への見方を変えたといえるかもしれない。何れも気象学者であるが、その活躍は気象学の分野を超えている。今後もそういう世界で活躍する日本出身の気象学者が出てくることを期待したい。

(つぎは「日本の暴風警報と天気予報の生みの親クニッピング(1)」)

参照文献

1. XuLiang. Yoshi's NRL Monterey Connection. (編) Seon Ki Park, Xu Liang. Data Assimilation for Atmospheric, Oceanic and Hydrologic Applications (Vol. III). Sprigner, 2015.

2. Gao Jindon. (編) Seon Ki Park, Xu Liang. Data Assimilation for Atmospheric, Oceanic and Hydrologic Applications (Vol. III). Sprigner, 2015.

3. Lakshmivarahan S. Reminiscences on Dr. Yoshi Sasaki. (編) Seon Ki Park, Xu Liang. Data Assimilation for Atmospheric, Oceanic and Hydrologic Applications (Vol. III). Sprigner, 2015.

4. Lewis John. My Teacher. (編) Seon Ki Park, Xu Liang. Data Assimilation for Atmospheric, Oceanic and Hydrologic Applications (Vol. III). Sprigner, 2015.

5. Memorial services planned May 9 for OU weather pioneer Yoshi Sasaki. (オンライン) 2015. https://www.normantranscript.com/news/local_news/memorial-services-planned-may-9-for-ouweather-pioneer-yoshi-sasaki/article_504a0f27-ae5f-524b-82b2-cc84707beb31.html.



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