このブログは 「気象学と気象予報の発達史 」の一部です。
19世紀末に、マルコーニらによって無線が発明されると、有線電信より情報の収集範囲が広がった。「世界規模観測網(レゾー・モンディアル)と国際政治」のところで述べたように、電線のない僻地からの気象データの無線を用いた収集も計画された。しかし、無線の発明で本質的に重要なのは、ラジオゾンデの発明である。空中にあるものを研究するのは地上にあるものよりはるかに難しい。「高層気象観測の始まりと成層圏の発見」のところで述べたように、19世紀の有人気球による上空の気象調査は、観測というよりむしろ冒険の世界だった。
20世紀初頭のゴム気球の発明(「リヒャルト・アスマン(その2)」参照 )は、気球自体が安価になって使い捨てが出来るようになっただけでなかった。気球には気象観測装置の観測結果を記録する自記記録装置が搭載されており、観測結果を知るには、落下場所を見つけてそれを回収する必要があった。それまでの気球の自記記録器は、放球地点より数百km先に落下するのが普通だったが、ゴム気球になって上昇速度が速まったため、破裂して比較的近くに落下するようになった。これは成層圏の発見に貢献したが、それでも自記記録器は回収する必要があった。その手間はばかにならず、しかもしばしば行方不明となった。1920年頃から航空機を用いた上層の気象観測も行われるようになったが、観測にかかる費用が高額だったため観測頻度は極めて限られていた。
それを変えたのが1930年頃に発明されたラジオゾンデである。この経緯は本書「9-4-3世界でのラジオゾンデ観測の発達」で述べたとおりである。これによって自記記録器を回収する必要がなくなり、またリアルタイムでの上空の気象観測が可能になった。これは技術的に見ると、リモートセンシングの始まりでもある。世界各地でラジオゾンデを用いた高層大気の観測網が構築されるようになった。この高層気象観測網による定期的な観測により、高層大気の規則的な振る舞いがわかるようになった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%82%AA%E3%82%BE%E3%83%B3%E3%83%87#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Radiosonde-wx-balloon.jpg
18世紀頃から20世紀はじめまでの地上気象観測網による気象学の成果を見てほしい。16世紀の哲学者フランシス・ベーコンは、観測による「自然誌」や「実験誌」の蓄積(つまりデータの蓄積)による帰納法を用いた法則の発見を唱えた。これによってベーコン主義者たちは、いろいろな科学分野でさまざまな法則を発見した。気象学も同様に各地に地上気象観測網が作られ、法則性を見つけるために、20世紀初めまで膨大な気象データが蓄積された。しかし、いくつかの気候学的、あるいは総観気象的な法則 ―例えば低気圧の風の回転やボイスバロットの法則― のようなものは見つかったものの、地上でははっきりとした法則性を持った現象はほとんど見つからなかった。
ところが、高層気象観測によって成層圏が発見され、さらに1930年頃から整備されたその観測網によって、上層大気中で地球規模で規則的に運動する超長波(ロスビー波)などが発見された(「カール=グスタフ・ロスビーの生涯(4)MITでの業績」参照)。そして、その運動を力学的に定式化することによって大気運動の解明が可能になった。また、大気の鉛直構造の定量的な把握によって傾圧構造などの低気圧の鉛直構造がわかり、低気圧の発達のメカニズムなども解明されるようになった。気象学は、気球と無線を用いて、それまで手が届かなかった高層大気を解明することによって、一気に発展することとなった。
(次は技術と気象(4)レーダー)
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