2018年12月22日土曜日

初めての風力計

 レオン・バッティスタ・アルベルティ(Leon Battista Alberti, 1404-1472)は、ある分野の専門家と一言で言えないほど多方面で才能を発揮した人であり、ルネサンス初期の万能の天才と言われている。
アルベルティ

 彼は「建築論(De re aedificatoria)」を書いた建築家・芸術家としても知られ、フィレンツェで有名なサンタ・マリア・ノヴェッラ教会のファサードの上層部なども設計した。ここでいうファサードとは教会正面の入り口などの上部の装飾のことである。また数学などの科学一般にも通じていたようで、本の2-2-3「印刷技術などの発達とその影響」で述べたように、彼は著書「絵画論(Della pittura)」で「線遠近法」の投影面への座標の計算方法を数学的に理論化した。それによって絵画や設計図の描き方が変わった。また「家族論」や「市民生活論」などを書いた人文主義者でもあった。

アルベルティの風力計

 さて本の4-4「風力計・風速計」で述べたように、アルベルティは初めて風力計を考案した。その図は1450年の頃に書かれた「数学的遊戯(Ludi matematici)」という本の中で収められている。それは風向計のような矢の下部に板をぶら下げて、その傾きで風力を測るものである。

建築家だった彼は、建築物の構造に風の影響を考慮する必要があり、そのためには風の力を数量的に測る必要があった可能性がある。彼は、風力計を風に揺れる板や洗濯物から着想したのかも知れない。原理としては極めて簡単な物だったが、風を数量的に測るという発想は当時としては画期的なものだった。

レオナルドによる風力計

レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)が15世紀後半から16世紀始めに描いたとされる「アトランティコ手稿(Codex Atlanticus)」の中にも同じような原理の風力計が描かれている。しかしアルベルティの「数学的遊戯」が発行されたのはレオナルドが生まれる前であり、またレオナルドはあいまいではあるが、アルベルティの風力計にも触れている[1]。そのため、この種の風力計がレオナルドによって発明されたとは言えないとされている。

(次は「嵐の構造についての発見」)

参照文献

[1]Middleton, 1969, Invention of Meteorological Instruments, The John Hoskins Press.

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2018年12月19日水曜日

ペリーとレッドフィールド

 本の6-1-5「嵐の構造についての発見」で、1831年にアメリカで船舶運行会社を経営していたレッドフィールドが、倒木の方向を使って初めて嵐の風のパターンについて分析を行い、エール大学のオルムステッド教授の勧めでそれを論文として発表したことを述べた。この論文は嵐に備える安全な船舶航行のための研究としても広く関心を呼んだ。
 アメリカ海軍の提督マシュー・ペリー(Matthew Calbraith Perry, 1794-1858)は、レッドフィールドの研究に大変興味を示し、その成果が船舶の航行安全の向上に貢献すると賞賛していた 。ペリーは嘉永6年(1853年)7月と嘉永7年(1854年)2月に日本の開国を促すために日本遠征(いわゆる黒船来航)を行ったが、その航海途中で1854年2月7日~12日の琉球から江戸湾に至る航路での風向・気圧、気温・水温、海流の流向流速を測定していた [1]。

ペリー提督

 後にペリーは、日本遠征時に幕府が見せた相撲の様子やペリーが贈った小型の蒸気機関車をデモンストレーションする様子など数多くの挿し絵を含んだ日本遠征の公式の報告書である「ペリー艦隊日本遠征記(Narrative of the Expedition of an American Squadron to the China Seas and Japan)」を出版したが、その報告書第2巻の中には日本遠征時の気象観測データを用いたレッドフィールドによる太平洋の嵐の研究が含まれている。例えばその中には1853年7月17日から28日まで日本を離れたサスケハナ号とミシシッピ号が遭遇した台風の位置記録と気圧計の記録、そして台風の特徴の分析もあった [1]。
 レッドフィールドによる嵐の研究は、ペリーによる日本遠征の際にも航海の安全のための知識として利用されていたかもしれない。

(次は「初めての風力計」)

参照文献

 [1]蘭学・地球温暖化・科学と帝国主義・歴史と気候、オランダ史料. 塚原東吾. 16, 東京大学史料編纂所, 2006年, 東京大学史料編纂所研究紀要

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歴史と新たな発想

 歴史の重要性について、少し補足しておきたい。啓蒙史観(進歩史観)という考え方がある。これは過去からの知識の積み重ねによって、現在は過去に優越するという考え方である。この考えが一面的に過ぎないことは明らかであり、この克服については長年にわたって既に数多くの議論が行われてきた。しかし今日でも我々はややもすると過去の人々が現在より劣っていたというような考えに囚われがちである。

 気象学に限らず、「古い考え方」イコール「間違ったもの」「役に立たないもの」とは限らない。例えば、フランスの社会人類学者で民俗学者のレヴィ=ストロース(Claude Lévi-Strauss)と数学者アンドレ・ヴェイユ(André Weil)は、1949年にオーストラリアの先住民族アボリジニの親族構造を研究している最中に、有名な数学者であるフェリックス・クライン(Felix Christian Klein)が発見した
「クラインの四元群」の考えを、アボリジニが古くから使っていることを発見した。これは、時代が変わっても人間の発想のパターンを決める心の構造は新石器時代から変わっていないという「構造主義」という新しい考えへと発展していった。
レヴィ=ストロース
 
 我々はいつの時代もその時代の観念の中にどっぷり浸って暮らしており、その囚われから抜け出すことは容易ではない。いつの時代でも先人たちはそこから脱却して新しい発見を行うために知恵を絞って苦心してきた。そして「前書き」に書いたように、幾人かの先人たちは歴史を振り返ること、理解することが囚われた観念から脱却して、新しい発想を見いだす手法の一つとなると言っている。

 例えば、一般に研究には新規性が問われるが、それでも流行のようなものがあり、ある分野が開拓されるとそれと似たような手法を用いる研究が数多く出てくる。しかし、そうなるとそれとは異なる発想を持つ斬新な研究はなかなか出てこないものである。そのような新たな発想が必要な場合に、過去においてそれまでのパターンを破った新たな研究がどうやって出てきたかを知ることは、現在無意識のうちにはまり込んでいる思考パターンを打ち破る参考になるかも知れない。そういったことも歴史に取り組もうと思った動機の一つである。

(つぎは、「ペリーとレッドフィールド」)

2018年12月17日月曜日

前線のその後

 本の9-2「ベルゲン学派の気象学」のところで、いまや当たり前になっている寒冷前線や温暖前線などの古典的な前線の発見の経緯を書いた。それは異なる性質を持った気流の接触や空気の対流という18世紀のドーフェやフェレルの考え方を踏まえながら、ベルゲン学派(ノルウェー学派)の研究者たちが綿密な観測をもとに構築した概念だった。

 その後のベルゲン学派による普及活動などにより、この考え方が一般に定着したのはご存じの通りである。しかし、近年の研究はさらにこれを発展させている。新しい考え方は、低気圧が発達するにつれて、低気圧中心付近で寒冷前線が温暖前線からだんだん離れて立って行き、ある時点で温暖前線は東西に、寒冷前線は南北に近い角度を保つ。この前線の配置はT字形の骨つきステーキに似ていることから「Tボーン」とよばれている。そして、さらに発達すると低気圧中心で暖気核の隔離が起こる。ここが閉塞という考え方をとっていた古典的な前線論と大きく異なる点である。これはシャピロ-カイザーモデルとも呼ばれる(http://www.met.reading.ac.uk/~storms 参照)。



シャピロ・カイザーモデルにおけるTボーン前線(右から2番目)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Shapiro-Keyser_Cyclone.png

 ただ、観測が発達してくるにつれて、個々のケース毎に細かな違いが多くあることがわかってきており、低気圧や前線の形態を定型的な汎用モデルにまとめることは、難しくなっているようである。なお、前線のベルゲン学派以降の発展については、このブログの「シャピロ・カイザー低気圧モデル」でさらに補足している。
 
(つぎは「歴史と新たな発想」) 


2018年12月16日日曜日

大気力学でのソレノイド

 大気力学ではソレノイドという概念が出てくる。これは傾圧大気中の大気の運動の方向と速さを等圧面と等密度面の交差角度を使って規定する便利な物である。そのため大気の断面図があれば、ベクトル解析のような手法で視覚的に大気の運動を把握・理解することもできる。

 大気力学を学んだ当初、このソレノイドという言葉は通常は電磁気学で使われる言葉であったため、戸惑った覚えがある。どうして大気力学にソレノイドという言葉が使われるのかは、少なくとも当時の教科書では見ても全くわからなかった。しかし、本の9-1-3「ビヤクネスの気象学への転向」に書いたとおり、ソレノイドはもともと電磁気学者であった気象学者ヴィルヘルム・ビヤクネス(Vilhelm Bjerknes)が、等圧面と等密度面との交差よって囲まれた管の電磁気学との類似性から考案した概念である。

 本の9-1-4「天気予測の科学化という目標」で書いたように、気象予測を行う際に物理方程式を解析的に解くことは不可能なので、天気図上での幾何的な解析から物理学的な天気予報を行えないかと考えた。その際に自身が考案した循環定理とソレノイドを用いた視覚的な考え方が基本となったと考えられる。

 ヴィルヘルム・ビヤクネスは1913年にライプチッヒ大学地球物理学研究所の所長になると、実際に幾何学的な解析、つまり視覚による数理解析を用いた天気予報を試み始める。かつて私が気象学の歴史に関して読んだ本では、彼は気象予報のために「視覚的な解析」を行ったという言葉に引っかかっていた。

 この本ではその視覚的解析とは何かをある程度掘り下げて書いたつもりである。しかし、本には分量の関係で入れなかったが、この件に関してはヴィルヘルム・ビヤクネスが1904年に直接的にこの考えを語った部分が基本となっているので、参考のためにその部分を訳して引用しておく。

 "7つの方程式のうち、状態方程式だけは有限形を持っている。他の6つは偏微分方程式である。7つの未知数のうち、1つは状態方程式を用いて取り除くことができる。そのため、気象予測は6つの未知数と大気の初期状態の観測によって与えられる初期条件を持つ6つの偏微分方程式の積分からなる問題となる。
 方程式群の正確な解析的積分は論外である。ニュートンの法則と同じ単純な法則に従う3体問題の運動計算でさえ今日の数学的解析の限界を超えている。当然、大気のすべての点の運動を理解できる見込みはない。それらは互いの挙動を極めて複雑にする。さらに、たとえそれを書き下すことができたとしても、正確な解析的な解は必要とする結果を与えない。実用的で有用であるためには、その解は容易に理解できる総観的な形でなければならず、あらゆる正確な解に現れる膨大な細部をとり除かなければならない。したがって、その予測は手ごろな距離と時間間隔で平均処理される必要がある。例えば、それは子午線の間隔や1時間程度ではあっても、決してミリメートルや秒単位にはならない。
 したがって、我々は積分のいかなる解析的解法をも断念して、その代わりに次の実用的な形での気象予測の問題を提起する。つまり行われた観測に基づいて、大気の初期状態は7つの変数について大気各層での分布を与える多くの天気図によって示される。これらの図をその出発点として、新しい状態を示す同様の新しい天気図が刻々と描画されるようにする。
 この形での予測問題の解のためには、図か図と数値手法の混合が適している。その手法は偏微分方程式から、またはこれらの方程式を根拠とする物理学的な力学原理から導き出されなければならない。前もって、これらの手法が有効であることを疑う理由はない。すべては克服しがたい困難な問題全体を、適切な方法であまり困難でない多くの部分化された問題にうまく細分化できるかどうかにかかっている。"[1]

(つぎは「前線のその後」)

参照文献

[1] Bjerknes, Vilhelm. The Problem of Weather Forecasting as a Problem in Mechanics and Physics. (編) ShapiroA.Melvyn , Sigbjom Gronas. (訳) MintzY. The Life Cycles of Extratropical Cyclones. Boston : American Meteorological Society, 1999, 1-4.


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