2024年3月31日日曜日

グローバルとは?

グローバルという言葉

グローバル経済やグローバル社会など、現代ではグローバルという言葉が使われることが多い。意味は概ね世界規模ということになる。しかし、我々がグローバルという言葉の真の意味を、突き詰めて考えているだろうか?

我々の日常生活で、グローバルであることを直接実感することは、あまりないと思う。もちろん、ニュースやインターネットはグローバルな情報を提供しているが、それは世界各地の点や一部の情報がほとんどで、グローバルとしてきちんと一つにまとめたものは少ない。ましてや身の回りのものでグローバルであることを感じることができるものは多くない。

われわれの帰属意識は、通常は身近なものから構築されていく。それは家族だったり、友人だったり、職場や団体だったり、ご近所だったりする。それが拡大していくと、住んでいる市町村や県、あるいは国となる。江戸時代までは出身の国を問うことは、ほぼ藩を指していた。それは、その後国家という概念に置き換わっていった。

それでも、現在一人一人が地球人というグローバルな帰属意識を持っているとは言いがたいと思っている。しかし、概念としてはグローバルという考えは広く共有されて使われているようである。特に地球温暖化のような気候変動問題では、この考えや意識が重要になる。ここでいうグローバルとは、何をあるいはどういう状態を指しているのだろうか?

       我々はグローバルというまとまった意識を持っているだろうか?

 気候の場合

例えば、地球温暖化で問題になっているグローバルな気候を考える。しかし、我々が住んでいるのはその地の気象なり気候であり、「グローバルな気候」に住んでいる人は一人もいない。つまり個人が実感や経験で「グローバルな気候」を理解することは出来ない。科学的に処理した情報を使って、グローバルな気候の議論が行われているのである。

しかも、現在地球温暖化で問題となっているのは、例えば気象庁ホームページによると、この30年間の世界平均気温で0.54℃の上昇である。ところが、我々は毎年季節によって30~40℃という気温の年較差(冬の最低気温と夏の最高気温の差)にさらされている。それにもかかわらず、我々は30年間で0.54℃という平均気温の上昇を議論し、それを懸念している。

では、我々はどうやってこの過去のグローバルな気温の上昇に関する情報を得ているのだろうか?これは、実はなかなか深い問題である。スタンフォード大学教授のエドワーズは、[1]において我々がグローバルな気候情報をどうやって知っているのかについて、根源的かつ詳しい説明を提供している。

グローバルな気象観測網

近代なって気象観測網が世界各地に張り巡らされて、それによって気象が観測されている。では、その過去の気温などの気象データを集めて合計して、地点数で割れば、過去を含めて平均気温が出るだろうか?残念ながらそれは正確なやり方ではない。

最初の問題として、気象観測網の観測所は世界各地に等間隔で設置されているわけではない上に、海上など観測の広い空白域もある。つまり、観測値の地域代表性が問題となる。これは気象予報にも影響するため、気象予報者は、長い年月をかけて客観解析、あるいは再解析という手法で、この問題を克服してきた(これについては、本書の10-5「数値予報の現業運用化」で解説している)。

しかも第2の問題として、長期間の観測の間に、厄介なことに観測環境の変化や観測所の改廃や移転、観測機器や観測基準の変更などが起こっていて、これらは気象観測結果を通して気候値に影響を与える(固有の偏差を含めて、実際の気候の変化ではないものを示すことがある)。また観測は正しくても、初期のうちはそれを伝える通信・通報の際にエラーや間違いが起こり、それをそのまま記録として残したこともあった。

気象観測は、長い間気象予報を目的とした観測所が多かった。第2の問題については、気象予報の場合は影響が小さいか、人間が見てデータを取捨することで解決できた。しかし、長期的な気候目的で観測結果を使おうとすると、第2の問題は大きな障害となる。

そのため、メタデータと呼ばれる観測環境や手法に関する過去のデータを掘り起こして、観測データの信頼性を確認して、場合によっては補正することが行われている。これをインフラストラクチャの遡及と呼んでいる[1](これは現在でも過去データについて行われている)。

世界平均気温については、この値を用いて、地域代表性を加味した加重平均を行って平均気温の算出が行われている。具体的な手法については、気象庁ホームページの世界の平均気温偏差の算出方法を見ていただきたい。

なお現在、多くのグローバルなインフラストラクチャが社会を支えているが、[1]は気象観測網が100年以上かけて、悪戦苦闘しながら世界的な規模で発展をしてきた結果、社会制度を含む技術史的な観点で、気象観測網がグローバルなインフラストラクチャの先駆けの一つとなったと述べている。

また、気温の長期トレンドにはまだ用いられていないが、近年ではもっと数理学的なコンピューターモデルを用いて、物理学的に一貫した手法(再解析)で過去を含めた全世界の気象の計算が行われている。

グローバルな統計とは

世界平均気温を例にとって話をしたが、例えばグローバルである世界平均気温は、過去100年以上にわたって、系統的なデータを用いて一貫した手法で算出されている(インフラストラクチャの遡及の余地はまだあるかもしれないが)。

現在「グローバル経済」などの言葉は普通に使われているが、それらが本当にグローバルになったのは、東西冷戦の終結以降である。それ以前にも、経済統計などはあったが、国が限られていたり、国ごとに算出方法が異なっていたり、包含分野が限られていたりしていた。

例えば過去の長期的なグローバル経済統計については、空白域がなく、メタデータを遡ることが出来て、長期にわたって真の意味で一貫したグローバルなものになっているのだろうか?かつて「100年に一度」と言われた経済危機は、本当にグローバルな統計上で100年に一度だったのだろうか?

比較的しっかりしたインフラストラクチャの上で観測された気象と気候のデータは、おそらくあらゆる物の中で、信頼できるグローバルな統計を長期にわたって行えるものの一つであるということが出来る。そして、それが地球温暖化などのグローバルな気候変動問題の基礎となっている。グローバルな気象観測網というインフラストラクチャは、現代では人類の存続のための重要な基盤になっているといえるかもしれない。

参照文献

[1]エドワーズ、気候変動社会の技術史(原題:A Vast Machine、訳:堤 之智)、日本評論社、2024.




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