このブログは 「気象学と気象予報の発達史 」の一部です。
レーダーは、第二次世界大戦直前に発明されて、大戦中に発達した。当初の目的は空中にある航空機の検知であり、高速で移動する航空機の事前の把握・監視に大きな役割を果たした。ところが、レーダーは大気中にある水蒸気によるノイズに悩まされていた。しかし発想を変えると、これは逆にはるか先の雲などの把握に使えることがわかった。
大規模な雲などの気象擾乱は、航空機の飛行の安全に重大な影響を及ぼす。戦時中から航空機にレーダーが搭載されるようになり、悪天候域の回避にも使われるようになった。また、戦後に気象の把握に特化した気象レーダーが開発されて、地上や高所にも設置されるようになった。
気象レーダーによる観測の概要(写真は東京レーダー(千葉県柏市))
https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/radar/kaisetsu.html
レーダーや人工衛星がない時代、海上の台風の発見がどれほど困難だったか考えてみてほしい。海上には観測地点はない。台風の移動速度が速いと、数時間の内に天候が急変したかと思うと台風が海上から上陸し、大きな被害を蒙ることがあった。そのため、気象庁では南方定点に、台風監視用の船を一時期配置していた。船の乗組員は下手をすると台風に巻き込まれることも覚悟の上だった。それは台風から国民を守るという使命感によるものだった。
レーダを用いると、陸上からでも遠くの台風を検知できるだけでなく、その全容もわかる。「米海軍第38任務部隊の台風による遭難その1(2)」では、艦船上の初期のレーダーが捉えた台風画像を掲示している。
高い山頂のレーダーから遠くの台風を捉えることができれば、早くからその対策を取ることが出来る。伊勢湾台風の被害を契機に富士山にレーダーを設置する計画が持ち上がった。その経緯は、このブログの「富士山における気象観測(5)山頂へのレーダー設置計画 」に詳しく解説している。このプロジェクトは、国の威信をかけたものとなり、完成時には多数の報道とともに記念切手も発売された。また、後年NHKのプロジェクトXでも「「巨大台風から日本を守れ」 - 富士山頂・男たちは命をかけた」というタイトルで放映された。ただし、今では台風の監視は人工衛星に取って代わられている。
レーダーの気象に対する別の効果は、竜巻やダウンバーストなどの局地現象の把握である。これは極めて狭い範囲で起こり、発生してから短時間で消滅するため、この現象の把握は極めて困難だった。しかも、航空機の離着陸時には、ダウンバーストは安全に対する重大な脅威であり、事故も多発した。レーダーから発展したドップラーレーダーは、雲粒の移動速度や向きがわかる。それを用いることで、藤田哲也らはダウンバーストという現象を発見した。そして、それを用いることで、ダウンバーストによる事故を回避できるようになり、大勢の命を救うことを可能にした。このことは、このブログの「ミスター・トルネード 藤田哲也」で、詳しく解説している。
気象レーダーは、今では雨量観測と組み合わせて、ナウキャスト(レーダーアメダス)として集中豪雨の監視などに威力を発揮し、警報や大雨情報の発表の根拠の一つとなっている。雨雲の動きや強さは気象庁ホームページなどでリアルタイムで公開されており、豪雨災害の監視に大きな役割を果たしている。
ナウキャストで捉えた豪雨の例(平成26年6月29日16時)
https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/kurashi/highres_nowcast.html
(次は技術と気象(5)人工衛星)