2020年11月11日水曜日

成層圏準二年振動の発見(4)QBOのメカニズム

  一般的には、波はエネルギーや運動量の輸送を伴っている。前回発見された混合ロスビー重力波と赤道ケルビン波も、成層圏下部で発生した際に水平方向だけではなく鉛直方向にも伝搬し、その際にエネルギーや運動量を輸送する。上層では大気密度が減少するので波の振幅は増大し、成層圏上部などで不安定になって壊れる。すると運動量を放出してそこで風を加速する。しかしそれらの波による運動量の輸送は、その途中の高度についてはほぼ通り抜けるだけで、ほとんど影響を与えない。鉛直方向に伝搬する波が途中の高度の風を正味で加速したり減速したりするためには、別なメカニズムが必要になる。

 1967年にアメリカのスクリプス海洋研究所のブッカー(Booker)とイギリスのケンブリッジ大学のブリザートン(Bretherton)は、中緯度で西風が山岳に当たって作られた重力波(山岳波)を調べた際に、重力波が上方へ伝搬して「クリティカル・レベル(critical level)」と呼ばれる波の位相速度が上空の風と同じ速度になる高度に達すると、重力波の持つ運動量が放出されて風の運動量に転化し、そこの風を加速することを発見した。そのためクリティカル・レベル付近では、わずかな高度差で風の風速が大きく異なることになる。このように風速が勾配をもつ場所をシアー領域(shear zone)と呼ぶ。1968年にハーバード大学のリンツェン(Lindzen)とワシントン大学のホルトン(Holton)は、このメカニズムを赤道上の波に応用して、以下のメカニズムによってQBOの説明を試みた。

 東向きの運動量を持った混合ロスビー重力波が西向きの風(図の水色)の中を上方で伝搬してシアー領域(図の白色)に達すると、そこで運動量を放出して風を東向き(図の橙色)に変える。すると図に示したようにシアー領域が下降する。つまり東向きの運動量を持った波が上方に伝搬すると、シアー領域の直前から風を東向きに加速し始めるためシアー領域をゆっくり下降させる。その上層が西向きの風であるシアー領域が成層圏下部の圏界面付近の高さにまで下降すると、成層圏全体がほぼ東向きの風になる。

QBOのメカニズム
QBOが起こるメカニズムを単純化した模式図(Schematic diagram of simplified QBO mechanism in the case of easterly in the lower stratosphere)。
成層圏下部から上向きに伝搬する波が、シアー領域で東向き運動量(橙色)を放出するとシアー領域が下降することを示す。色は風向を表しており、東向きの風(westerly)を橙色(orange)、西向きの風(easterly)を水色(blue)で示す。ここでは単純化のために、シアー領域の風の色を白にしている(shear zone: white)。これによってシアー領域が下降することがわかる。下層まで東向きの風(橙色)になると、今度は西向き運動量を持った波が成層圏下部から上方へ伝搬することが可能になる(右図)。すると上層から西向きの風(水色)に変わって、上層が東向きの風の際と全く同様なメカニズムが働く。

 すると東向きの運動量を持った波は鉛直方向にはもはや伝搬できず、その代わり今度は西向きの運動量を持った波が成層圏上層まで伝搬することが可能になり、そこで西向きの風を作り出す。これによって、加速する方向が逆なだけの東向きの風と同じメカニズムが作用する。つまり、この西向きの運動量を持った波は、シアー領域で西向きの風を加速してシアー領域を圏界面の高さまでゆっくり下降させる。すると成層圏全体が西向きの風になって今度は東向きの運動量を持った波が上方に伝搬する [4]。この繰り返しが成層圏の風が準二年の周期で上層から東風になったり西風になったりする振動をもたらす。これがQBOのメカニズムである。

 リンツェンとホルトンが提案した当時は、東向きの運動量を持った混合ロスビー重力波だけが赤道大気で実際に発見されていた。それだけだと西向きの風は発生しないので、西向きの運動量を持った別な波があるはずだった。前回述べたように、1968年にウォーレスとカウスキーが発見した赤道ケルビン波が西向きの運動量を持っていることがわかり、1972年にリンツェンとホルトンは1968年に出した説を修正して、東向きの加速を引き起こす混合ロスビー重力波と西向き加速を引き起こすケルビン波という2つの波が鉛直に伝搬してQBOを引き起こすというメカニズムを確立した [5]。

 ところが1990年頃から、混合ロスビー重力波と赤道ケルビン波だけでは、QBOを作り出すほど十分に西風と東風を加速しないことがわかってきた。現在では、それらの波に加えて両方向の運動量を持つ重力波(gravity waves)によってQBOの西風加速と東風加速が起こると考えられている [4]。赤道慣性重力波が引き起こす振動のメカニズムは同じである。さらに一部の波は成層圏を通り抜けて下部熱圏でも準2年周期振動を引き起こすと考えられている。

 QBOは対流圏中緯度の波の特性を変化させ、極渦の強さや中・高緯度の気圧にも影響を及ぼしている。またQBOに伴う2次循環の変化は成層圏でのオゾン、水蒸気、メタン等の化学組成にも影響を与えると言われている。そういう意味では、QBOは我々の日々の気象ともつながっている。

(このシリーズおわり)

Reference(このシリーズ共通)
[1] Kevin-2012-Sereno Bishop, Rollo Russell, Bishop's Ring and the Discovery of the Krakatoa Easterlies, Atmosphere-Ocean, 50, 2, 169-175. 
[2] Bishop-1884-The remarkable sunsets, Nature, 29, 259-260. 
[3] Bishop-1884-The equatorial smoke stream from Krakatoa, Hawaiian Monthly, 1, 106-110. 
[4] Maruyama-1997-The Quasi-Biennial Oscillation (QBO) and Equatorial Waves - A Historical Review, Papers in Meteorology and Geophysics, 48, 1, 1-17. 
[5] Baldwin et al.-2001-THE QUASI-BIENNIAL OSCILLATION," Reviews of Geophysics, 39, 2, 179-229. 
[6] Simon Winchester, A Tale of Two Volcanos. New York Times, 15, 4, 2010. 
[7]廣田 勇, 地球をめぐる風, 中央公論社, 1983. 

2020年11月7日土曜日

成層圏準二年振動の発見(3)赤道上空での波の発見

  QBOが発見された当時、その原因として、オゾンや太陽黒点など大気以外の原因が追及された。しかし、どれもこの現象を説明することは出来なかった。この成層圏の不思議な現象の解明に手を貸したのは、大気中での核実験だった。これによって強化された高層気象観測のデータを解析した結果、熱帯成層圏下部で発生している大気波がQBOに関係していることがわかってきた。

 ここから「風」と「波」と「振動」という言葉が出てくる。波も物理的には振動の一種である。さらに風も常に一定の向きと強さを持つ恒常風ならば混乱することはないが、ある領域内で特徴を持って変動する風があり、これを大気力学では(風の)波と称している(モードと呼ぶ場合もある)。これらの用語の棲み分けは専門家は慣れていると思うが、一般の方は混乱するかもしれない。ここでは、赤道上空の成層圏での風向が周期的に変わる現象を振動と呼び、数千キロメートル以上の領域で系統的に風向と風速が変動する風が持つ構造を波と呼ぶ。この特徴的な風の変動を持つ波は移動(伝搬)する。

 1957年7月から1958年12月まで国際地球観測年(IGY)が行われた。その間の1958年3月から7月まで行われた一連の核実験のために、中部太平洋上で特別な高層気象観測が行われた。これらの観測地点とカントン島などの赤道の他の観測地点のデータの解析から、1966年に東京大学の柳井迪夫と丸山健人によって、赤道太平洋上成層圏で西向きに伝搬している波長約10,000 kmの大規模な波が発見された [4]。これは日本では柳井・丸山波と呼ばれる場合がある。

 同じ1966年だが、その少し前に赤道付近上空で励起する波に関して、東京大学の松野太郎は、大気力学の理論式から2つの波の解を示していた。これらはあくまで理論上から導出された波である。示された解の一つは、赤道付近の成層圏下部で西向きに移動する重力波で、中緯度のコリオリ力によるロスビー波のような特徴も持っていた。そのため、この波は後に「混合ロスビー重力波(mixed-Rossby-gravity wave)」と呼ばれるようになった。なお、ここでは重力波とは浮力によって振動する大気波を意味する。大気力学では慣用的にこう呼ばれている。重力の波ではない。

 そして柳井と丸山が発見した波は、後にこの混合ロスビー重力波と同じものであることがわかったため、今では混合ロスビー重力波と呼ばれることが多い。なお、柳井と松野は同じ研究室に属しており、ふだんから親しく話す仲だった。しかし、それぞれの研究目的が異なっていたこともあり、彼らが理論と観測から追っていたものが結果として同じものだったことには当時気付かなかった [7]。

 そして松野が示したもう一つの解は、やはり成層圏下部を東向きに移動する重力波だった。この波は、松野によって「赤道ケルビン波(equatorial Kelvin wave)」と命名された [4]。そして、ワシントン大学のウォーレス(Wallace)とカウスキー(Kousky)は1968年に、西大西洋と中部太平洋赤道付近の観測結果を用いて、成層圏下部で東向きに進む波を発見した。彼らは、その波長を約40,000 kmと推定した。この波は松野が理論的に導出した赤道ケルビン波だった。この混合ロスビー重力波と赤道ケルビン波が成層圏を伝搬してQBOと関連していそうなことがだんだんわかってきた。

赤道ケルビン波の構造。赤点線は赤道、実線は等圧線、矢印は風向と風速。

 ちなみに赤道ケルビン波の名称は、19世紀から20世紀にかけてのイギリスの物理学者ケルビン卿(ウィリアム・トムソン)が発見したケルビン波にちなんでいる。

成層圏準二年振動の発見(4)QBOのメカニズム へとつづく)

Reference(このシリーズ共通)
[1] Kevin-2012-Sereno Bishop, Rollo Russell, Bishop's Ring and the Discovery of the Krakatoa Easterlies, Atmosphere-Ocean, 50, 2, 169-175. 
[2] Bishop-1884-The remarkable sunsets, Nature, 29, 259-260. 
[3] Bishop-1884-The equatorial smoke stream from Krakatoa, Hawaiian Monthly, 1, 106-110. 
[4] Maruyama-1997-The Quasi-Biennial Oscillation (QBO) and Equatorial Waves - A Historical Review, Papers in Meteorology and Geophysics, 48, 1, 1-17. 
[5] Baldwin et al.-2001-THE QUASI-BIENNIAL OSCILLATION," Reviews of Geophysics, 39, 2, 179-229. 
[6] Simon Winchester, A Tale of Two Volcanos. New York Times, 15, 4, 2010. 
[7]廣田 勇, 地球をめぐる風, 中央公論社, 1983. 

2020年10月31日土曜日

成層圏準二年振動の発見(2)発見

  1954年の一連の核実験とその被害を契機に、熱帯成層圏での気象観測が強化された。イギリス気象局のグレイストーンは、現在キリバス領になっているクリスマス島(2.0N, 157.4W)上空の16.8~30.5 kmでの10日平均の東西風を調べた。ところが、初期には上層で西風、低層で東風だったのが、調査の最後の期間では上層で東風、低層で西風に変わったことを初めて示した [4]。

 イギリス気象局のエブドンは、もっと広い熱帯成層圏の風を調べた。彼は「ベルソン西風」が見つかることを期待したが、観測されたのは東風だった。ところが、彼は50 hPa(高度約20 km)で1957年1月にほぼ赤道を一周していた東風が、1958年1月には西風に変わったことを発見した。彼はより長い観測結果が利用できるカントン島 (2.8 S, 171.7W)上空50 hPaのデータを調べると、1954年、1956年、1958年の1月は西風となっていたのに、1955年、1957年と1959年の1月は東風となっていたことを発見した。彼は成層圏の風向が2年周期で変わると結論した [4]。

 イギリス気象局のエブドンとベリヤードは、この研究を拡大した。彼らはカントン島上空50 hPaの1954年1月から1960年1月までの毎月の平均東西風の時系列を示して、25~27か月の周期での風向の逆転を示した。彼らはクリスマス島やアフリカのナイロビなどのデータを使用して、この変動が赤道帯に沿ってほとんど同時に起こっていることを示した。また、風向の変化が高高度から始まってだんだん下降してくることを発見した。彼らは、高度10 hPa(約30 km)での変化が高度60 hPa(約18 km)に達するのにおよそ1年かかると推定した [4]。 
赤道付近上空の東西風の成層圏準二年振動の例。縦軸は高度。横軸は年。赤い領域は西風、青い領域は東風を示す。年や高度によってばらつきはあるが、およそ2年で東風が西風に変わっていることがわかる(https://en.wikipedia.org/wiki/Quasi-biennial_oscillation#/media/File:QBO_Cycle_observed.svg)

 ほぼ同時期に、アメリカ気象局のリードも東風と西風の境界が高度30 km付近から下がってくることと、その周期が約2年であることを発見した。当初、この成層圏での周期的な風向変化の現象は「26か月振動」と呼ばれたこともあったが、アメリカ気象局のエンジェルとコーンショウバーは1963年に始まったより長い周期をもつ観測結果から、この現象に「準二年振動(Quasi-Biennial Oscillation)」という言葉を充てた [5]。現在では、略してQBOと呼ばれることが多い。その周期は実際には22か月から34か月で変動している。

 つまりクラカトア東風とベルソン西風は、それぞれQBOの東風時と西風時に観測されたものと推測される。なお、クラカトア火山噴火による噴煙の移流をジェット気流の発見のきっかけとしているものがある( [6]など)。しかし、クラカトア火山噴火の際の煙の移流は熱帯での東風によるもので、しかも成層圏の出来事である。ジェット気流は中緯度対流圏上層の西風の現象なので、クラカトア火山噴火による噴煙の移流は、ジェット気流の発見との関連はない。

(成層圏準二年振動の発見(3)赤道上空での波の発見 へとつづく)

Reference(このシリーズ共通)
[1] Kevin-2012-Sereno Bishop, Rollo Russell, Bishop's Ring and the Discovery of the Krakatoa Easterlies, Atmosphere-Ocean, 50, 2, 169-175. 
[2] Bishop-1884-The remarkable sunsets, Nature, 29, 259-260. 
[3] Bishop-1884-The equatorial smoke stream from Krakatoa, Hawaiian Monthly, 1, 106-110. 
[4] Maruyama-1997-The Quasi-Biennial Oscillation (QBO) and Equatorial Waves - A Historical Review, Papers in Meteorology and Geophysics, 48, 1, 1-17. 
[5] Baldwin et al.-2001-THE QUASI-BIENNIAL OSCILLATION," Reviews of Geophysics, 39, 2, 179-229. 
[6] Simon Winchester, A Tale of Two Volcanos. New York Times, 15, 4, 2010. 

2020年10月24日土曜日

成層圏準二年振動の発見(1) クラカトア東風とベルソン西風

 クラカトア東風

 気球が発明されると、19世紀初めから上層大気の調査が行われるようになった。しかし、このブログの「高層気象観測の始まりと成層圏の発見(3)」で述べたように、19世紀の有人気球を使った上層大気の調査は、一種の冒険だった。また同様に「高層気象観測の始まりと成層圏の発見(11)成層圏の存在と原因の広がり」で述べたように、成層圏の存在がわかった後も無人の気球を使った気象観測は行われたが、測定器の回収に数日から数週間かかることもあり、観測の範囲や頻度は限られていた。そのため、成層圏の状態や性質の詳しい解明は極めて困難だった。

 本の「9-4-3 世界のラジオゾンデの拡大」で述べたように、1930年頃にラジオゾンデが発明されると気球の回収の必要がなくなり、またリアルタイムで観測結果が手に入るようになった。そのため、「9-5 高層の波と気象予測」では高層大気の気象観測が注目を集めるようになったことを述べた。さらに第二次世界大戦後、「10-1-2高層気象観測の拡大」に書いたように、高層気象観測の場所や頻度の大幅な増加によって、成層圏で起こっていることが少しずつわかってきた。その一つが熱帯上空の成層圏で西風と東風が約2年程度の周期で入れ替わっているという奇妙な事実だった。しかし、この発見の事の始まりは19世紀末に遡る。

 赤道近くに位置するインドネシアのクラカトア火山(Krakatauであるが、世界的にクラカトア火山と広く呼称されているので、ここではクラカトア火山と記す)は1883年に大噴火を起こした。特に8月27日の朝の最終的な大爆発による津波は、およそ40,000名の犠牲者を出した。しかし、大規模噴火という大気中の特異な現象は、当時の大気の科学に対してさまざまな知見を提供した。これによる空の色の変化は、このブログのムンクの「叫び」とクラカタウ火山」で述べたように、絵画にも影響を与えた。

1883年のクラカトア火山の噴火の様子https://en.wikipedia.org/wiki/1883_eruption_of_Krakatoa#/media/File:Krakatoa_eruption_lithograph.jpg

 クラカトア火山の噴火の兆候は春からあったが、主要な噴火は1883年8月26日に始まった、そして、8月27日の現地時間午前10時頃に島の最終的な破壊的噴火が起こった。島の大部分は吹き飛んで、3つの小島が残された(その後新たな島ができて現在4つ)。この噴火によってジャワ島沿岸には最大で40 mの津波が襲ったという。

 当時世界規模の電報ネットワークが出来ており、また大規模で活動的な国際的な科学コミュニティがあったため、クラカトア火山の噴火に関連した出来事は、準即時的に世界中の至る所で追跡され、その科学的な調査が行われた。噴火の爆発音は3000 km離れても聞き取れた。そして、その超低周波の気圧波動は世界中の自記気圧計に記録された。その記録時間と島からの距離から、爆発時の衝撃による気圧波の水平速度は、330 m/sと推定された [1]。

 クラカトア火山噴火後の観測によるもう一つの気象学への貢献は、噴火によって成層圏に生成されたエアロゾル層の追跡だった。鉱物質のエアロゾルの大部分は噴火後の最初の数週間で落下するが、成層圏にいったん注入された気体の二酸化硫黄は、成層圏内の水蒸気と反応して非常に小さな硫酸液滴のエアロゾルとなる。これらの液滴は大規模でゆっくりした循環によって低層大気へ除去されるまで、約2年間程度成層圏中に滞在する。そしてこの液滴エアロゾルはその間に太陽光に対する光学現象を引き起こす。近年だと1991年に起こったピナトゥボ火山の大噴火によって同じような現象が起きた。

 クラカトア火山噴火による太陽光の異常に最初に科学的な観察を行ったのはハワイ・ホノルルの聖職者セレノ・ビショップ(Sereno Bishop)だった。彼はアマチュアの地質学者だったが、大気の科学にも興味を持っていた。彼は9月5日にハワイで夕日の残照を観察して、太陽の周囲に光輪のようなものを記録した。そして9月19日にクラカトア火山の大噴火のことを知って、その影響が9月5日にハワイに最初に現れたと分析した [1]。この太陽の周囲に光輪のようなものが見える現象は現在でも「ビショップ・リング」として呼ばれることがある。現在では、これは微小な硫酸液滴による太陽光の散乱によって起こることがわかっている。

 彼は他の地点の異常な夕陽も調べて、そのことをNature誌に発表した [2]。さらにもっと総合的な分析から、火山の煙が西に流されて、低緯度上空においておよそ10日で地球を1周したと考えた [3]。これは、秒速30 m/sに相当した。これによって赤道のはるか上空では東風が吹いていることがわかった。この煙を運んだような上空の東風は、この後「クラカトア東風(Krakatoa easterly)」として広く知られるようになった [1]。

ベルソン西風

 一方で、1908年にドイツの気象学者ベルソン(Berson)が熱帯アフリカで行った気球を用いた高層気象観測によって、高度およそ15 kmでの西風が明らかになった。その熱帯の上空の西風は、「ベルソン西風(Benson’s westerly)」と呼ばれた。以後ほぼ半世紀にわたって、熱帯成層圏では東風が吹き、成層圏の底部近くでは西風が吹いていると広く信じられた [4]。

 1946年から核実験がマーシャル諸島で始まったの契機に、熱帯の高層大気の調査が行われるようになった。これらのデータを用いて、1954年に成層圏下層の西風と上層の東風の間の遷移層での風が年や月によって異なっていることがわかってきた。そういう状況の下で1954年にビキニ環礁などで行われた一連の核実験では、広範囲にわたって想定外に散らばった放射性物質によって、日本の第五福竜丸などの放射能被害が起こった [4]。これらを契機に、熱帯成層圏の振る舞いをもっと詳しく知る必要性が起こってきた。

(成層圏準二年振動の発見(2)発見 へとつづく)

Reference
[1] Kevin-2012-Sereno Bishop, Rollo Russell, Bishop's Ring and the Discovery of the Krakatoa Easterlies, Atmosphere-Ocean, 50, 2, 169-175. 
[2] Bishop-1884-The remarkable sunsets, Nature, 29, 259-260. 
[3] Bishop-1884-The equatorial smoke stream from Krakatoa, Hawaiian Monthly, 1, 106-110. 
[4] Maruyama-1997-The Quasi-Biennal Oscillation (QBO) and Equatorial Waves - A Historical Review, Papers in Meteorology and Geophysics, 48, 1, 1-17. 

2020年10月5日月曜日

トマス・アクィナスによるアリストテレス自然哲学とキリスト教の調停

 アリストテレス自然哲学による二元的宇宙像は、バビロニアでの日食や月食などの現象が「地上の物体に作用する」という考え方と結びついて、地上界の出来事(法則)には必然的に天上界が作用するという考え方(ここでは「地上事象天因説」と呼ぶ)の基本となった(本の1-2「プトレマイオスによる天文学と占星学の始まり」と「アリストテレスの二元的宇宙像」参照)。地上事象天因説という考え方には占星術による運命決定論のようなものが含まれる。地上界のあらゆる出来事は天上界の動きによって予め決まっているという考え方である(「・・・の星の下に生まれた」という言い方はそのような考えに基づいている)。

 ところで、キリスト教にとっては自由意志を持つことは不可欠であった。地上事象天因説による「星の動きが自然の法則的必然性に従って人間の運勢や地上界の事象に影響を及ぼす」という考え方は、キリスト教から見ると全能のはずの神の働きを不当に制限するものであり、占星術による運命論・決定論は人間の自由意志と道徳的自律にも反することになった。

 そもそも神による奇蹟を認めるキリスト神教は、自然が自身の法則性にのっとって自律的に振る舞う古代ギリシャ自然哲学の世界観とは相容れない。4世紀から5世紀にかけてのキリスト教の聖人アウグスティヌス(Aurelius Augustinus)は、自然に対する知識欲を「目の欲」として現世の罪の一つに挙げ、知識欲は他の肉体的欲求と同様に克服すべき欲望と見なされ、自然の探求は禁止すべきとした。

 キリスト教会は、400年の第1トレド教会会議で「占星術や骨相学は信頼に価すると考える者は排斥される」と決議し、さらに561年の第1プラガ教会会議でも占星術を公式に否定した[1]。その後、ヨーロッパでは古代ギリシャ哲学の書物は、イスラム圏に流出したもの以外は教会の書庫の奥に眠ることとなり、その内容は次第に忘れ去られてしまった。そのため、この時期を科学の暗黒時代と呼ぶことがある。

 ところが12世紀ルネサンスの過程で、イスラム圏からの流入によって、ヨーロッパの知識人たちはアリストテレス自然哲学の地上事象天因説に基づく占星術を知ることになる。そしてアリストテレスの自然哲学が大学で教育され西欧の知識階級に浸透してゆく過程で、地上現象天因説に基づく占星術は一般の人々を広く魅了して浸透していった(本の「2-1-2古代ギリシャ哲学の復活」参照)。キリスト教は、一方的な禁止や弾圧ではアリストテレスの自然哲学を抑えきれなくなってきた。その危機に直面したキリスト教神学を救ったのが、13世紀のドミニコ会士トマス・アクィナス(Thomas Aquinas)である[1]。

トマス・アクィナス
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:St-thomas-aquinas.jpg

 問題は、天上界がどこまで地上界に影響を及ぼすのかだった。トマス・アクィナスは、「物体としての天体は物体としての人間の身体には作用するが、非物体としての人間精神や意志には直接作用することはない。」としてキリスト教と地上事象天因説を調停した。彼の神学思想は、死後一時異端と判断されたが、1322年に復権してキリスト教世界で公式に認められ、14世紀中期に正統神学の地位を確立した。1348年から翌年にかけてヨーロッパを襲ったペストにさいして、正統派キリスト教神学の総本山だったパリ大学は、ペスト発生の原因を天上界の影響として国王に報告した。つまりキリスト教は地上事象天因説を完全に認めた[1]。

 こうして、アリストテレスなどによる古代ギリシャ自然哲学は、公に研究できるようになった。ここを出発点として、アリストテレスやプトレマイオスの宇宙論も研究されるようになった。また占星術の隆盛は、より正確な天文知識を求める需要を引き起こし、天文学の研究を後押しした。これらは、引いてはいわゆる科学革命へとつながっていくことになった。アリストテレスの二元的宇宙像」では二元的宇宙像の科学への貢献を述べたが、そのためには、キリスト教の教義を乗り越える必要があった。神学者トマス・アクィナスはそれを可能にし、その後の科学の進歩に大きな影響を与えた。

(次は、成層圏準二年振動の発見(1) クラカトア東風とベルソン西風

Reference

[1]山本義隆、世界の見方の転換1 天文学の復興と天地学の提唱、みすず書房、2014.