2023年2月11日土曜日

日本の暴風警報と天気予報の生みの親クニッピング(4)

 5.    暴風警報と天気予報の開始

5.1    最初の暴風警報

日本で最初の暴風警報が発表されたのは、明治16年(1883年)5月26日だった。その時発表された気象状況は、全国的に気温が上昇したが気圧は下降し、四国南岸に中心を持つ低気圧によって、四国、九州方面は風が強いというものだった。

東京横浜毎日新聞は、この時の神戸港の様子を6月1日付けで次のように報じている。神戸においては東京気象台より予め海が荒れるとの電報があったので、西国向けの船舶は出港を見合せた。25日午後より風が強く折々雨が降って波が高くなったが、27日午後4時過ぎには風波全く静まったので人々は安心した [1]。

初めての暴風警報の際の天気図(1883年5月26日:気象庁提供)

8月17日には今度は台風が襲ってきた。クニッピングは、台風は九州南部を東に進むと予想していたようだが、台風は実際には九州西岸を北上して日本海に入った。暴風警報は南西部一帯に出されていた。

この時長崎測候所は、東京気象台からの電報を受けてまだ風が強くないうちに長崎県庁、佐賀県庁、福岡県庁、熊本県庁に暴風警報を通知した。県庁は警察署に暴風が来ることを掲示させ、新聞社は号外を出して市中の周知に努めた。その夜から翌日にかけて風は猛烈となった [1]。

長崎港では風が南に変わると波頭が高くなって多くの船に被害が出たが、警報に基づいた処置がなければもっと被害が生じたかもしれない。三菱郵便船東京丸は18日の午後に横浜に向けて出航する予定だったが、出航を翌日に延期した [1]。このように暴風警報によって事前に適切な措置を取ることができるようになった。

暴風警報の際は信号柱に標識が掲示された。当初は簡単な標識だったようだが、明治36年頃から徐々に改善されて、円や、円柱、円錐などの形の標識を用いて複雑な情報を掲示できるようになった。

クニッピングは、より正確な情報を出すために1日3回の気象電報を要求した。また彼は日本に於ける気象事業を完備するため望ましいこととして、観測網を広げるとともに気象電報入手のための電信路を延長して、日本の風上となるアジア大陸に気象電報のための組織を整備することを提案した。当時少しでも警報の精度を上げようとすれば、まず風上の観測を拡充させようとするのは自然の流れだった。

5.2    天気予報の開始

当初は荒天が予想される場合に暴風警報を発表するだけで、天気予報については行っていなかった。クニッピングの気象事業に関する考えは、あくまで防災のためだった。ところが暴風が来襲する頻度はそう多くないため、その合間に気象台は何をやっているのだという非難が生じたようである。実際は警報を出そうが出すまいが、気象台が日々行う作業量はほとんど変わらなかった。

当時は日々の天気を予測するための気象学は未発達で、日々の細かな気象の違いをもたらしているメカニズムはよくわかっていなかった。そのため、当時の予報技術では、典型的な低気圧や台風の移動を予測して暴風警報は出せても、日々の雨や晴れの予測はかなり不正確だった。しかし、政府の人々も含めて周囲の人々は全国の気象情報によって現在の気象状態を知り、今後の気象を推定して警報を発表するものであるから、警報も天気予報の一部なのではないかと考えたようである。

クニッピングは警報だけのつもりだったので、予報の発表をなかなか受け入れなかった。最終的に地理局長櫻井勉がクニッピングに対して、約束が違うとして天気予報も出すように申し渡したとされている [1]。当時、気象用語の訳に関する定義や概念が定まっておらず、通訳を通してやりとりしている間に、顕著現象の予測と天気予報との間に取り違えが生じたのかもしれない。

クニッピングは、明治17年(1884年)5月9日に要望していた1日3回の気象電報が承認されたため、それと引き換えに天気予報の発表を決意した。初めての天気予報の発表は明治17年(1884年)6月1日だった。暴風警報の開始の1年後である。午前6時の天気図に載せられた予報は次の通り。「全国一般風の向きは定りなし天気は変り易し但し雨天勝ち。」(原文はカタカナ表記) [1]。天気予報は、天気図に「Indication(予報)」として記述された。

初めての天気予報の際の天気図(1884年6月1日: 気象庁提供)

天気予報の開始について、後年中央気象台長を務めた岡田武松はこう述べている [12]。

天気予報を出すのは暴風警報を出すよりもむずかしいものだから、クニッピング氏は暫らく様子を見ておられたのであろう。そうこうするうちに、予報はどうしたんだろうなんていう声が高くなったので、同氏も思い切って出す様になった。しかるに案の定、不中が度々あって評判がよくなかった。天気予報は簡単に当るものだと信じている世間も悪いが、無理やりに出す方も善くないともいえないこともない。しかし創業時代には、こんな無理をしなければ、事業が起こせないのだから仕方がない。

これは、当時暴風警報事業が天気予報と抱き合わせで行わなければならなかった状況をよく表している。明治20年(1887年)に東京に警報と天気予報を発表する中央気象台が設立された。

天気予報は明治21年(1888年)3月から官報の最後のページの欄外に掲載された。中央気象台は4月にいくつかの新聞社へ天気予報の新聞への掲載を依頼したが、ほとんど断られた。その中で福沢諭吉の主宰する「時事新報」だけが4月から天気予報を掲載した。すると人々は歓迎したようで、5月以降、順次報知新聞、朝野新聞、毎日新聞、読売新聞などの主要紙、続いて地方紙も掲載を開始した [13]。

天気予報はもともとがクニッピングが英文で書いたものを訳したもので、また当時の人々は天気予報に馴染みがなかったため、用語の理解がなかなか難しかったようである。天気予報で使われる「所により雨」、「天気変わり易し」、「天気不定(不安定)」などの用語は、今では当たり前であるが、当時は別途解説がつけられた [13]。

5.3    当時の天気予報の精度

以下に当時の天気予報の精度を挙げる [14]。ただし、的中と外れの定義ははっきりしない。明治21年4月から予報は1日1回の24時間予報になったので、精度は下がっている。またその頃クニッピングはヨーロッパ視察に出ているので、予報精度は代行した日本人による予報精度となっている。

期間

的中(%

外れ
(%)

 

明治176 月~185

71

3

8時間予報

明治186月~195

81

1

明治196月~205

81

4

明治203月~212

77

10

明治214月~223(クニッピング外遊のため、日本人による)

68

12

24時間予報

明治224月~233

69

13

 

人間の心理として、こういう情報は当たって当たり前であり、外れると厳しい評価となった。明治26年(1893年)6月7日に東京の「中央新聞」は、「中央気象台」と題する社説で天気予報の誤りが多いことを指摘し、虚実取り混ぜて罵倒して公職者としての責任はないのかと非難した。これに対して中央気象台の馬場信倫は、「氣象集誌」という論文誌で「中央新聞ニ答フ」と題して次のように反論している[14]。

天気予報とは翌日の天気はこうなると告げるものではない。晴天という予報は雨天 曇天よりはむしろ晴天の方が多く望めるという意味であって、決して雨天曇天でないことを保証するものではない。世界中のどの国のいかに優れた人でも予報の百発百中は望めないものである。(口語に訳している)

また「萬朝報」という新聞にいたっては、私設天気予報を明治29年(1896年)8月22日より紙上に掲載し、中央気象台の予報とどっちが当たるか読者に判断して欲しいという挑戦状を突きつけた [15]。気象台の予報のはずれたときに当ったことが時々あったので、評判は悪くなかったようである。

後年中央気象台長を務めた岡田武松は、この萬朝報による予報を、風向に重きを置き今でいう「気団」の移動に注意して、これを天気図による予想に加味するものだったと述べている [12]。

しかし、人々には天気予報が当たらないことが強く印象に残ったようで、日露戦争の頃には「測候所、測候所」と唱えれば弾丸に「当たらない」、いや「タマに当たる」からよくないなどと話題になった。

つづく

参照文献(このシリーズ共通)

1. 気象庁. 第2章 気象事業の誕生. 気象百年史 I 通史.  気象庁, 1975.
2. ブラントン. お雇い外人 の見た近代日本. (訳) 徳力真太郎.  講談社, 1986.
3. エルヴィン・クニッピング. クニッピングの明治日本回想記. (訳編) 小関恒雄, 北村智明. 玄同社, 1991.
4. 初期の日本気象業務史(4). 鯉沼寛一.  気象庁, 測候時報, 35, p 300-306, 1968.
5. 岡田武松. 測候瑣談. 岩波書店, 1933.
6. 堀内剛二. 本邦暴風警報創業始末(2). 気象庁, 測候時報, 21, p 297-304, 1954.
7. 気象庁. 第1章 前史. 気象百年史Ⅰ 通史. 気象庁, 1975.
8  佐藤順一, 山田琢雄. 気象観測法の沿革. 気象庁, 測候時報, 8, p 414-424, 1937.
9. 堀内剛二. 本邦暴風警報創業始末(4). 気象庁, 測候時報, p 363-371, 1954.
10. 堀内剛二. 本邦暴風警報創業始末(3). 気象庁, 測候時報, p 337-344, 1954.
11. 篠原武次. 明治19年版の気象観測法と第1回気象協議会. 気象庁, 測候時報, 24, p183-188. 1957.
12. 岡田武松. 本邦天気予報事業の今昔. 気象庁, 測候時報, 19, p 311-315, 1952.
13. 気象庁. 第4章 気象事業の確立. 気象百年史 Ⅰ 通史.  気象庁, 1975.
14. 気象庁. 第5章 明治期の天気予報. 気象百年史 Ⅰ 通史. 気象庁, 1975.
15. 気象庁. 第5章 中央気象台沿革記録. 気象百年史 資料 I 来歴文書. 気象庁, 1975.

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