2019年1月3日木曜日

ケッペンについて2

 ドイツのマールブルグ大学で天文学と物理学を教えていたアルフレート・ウェーゲナー(Alfred Lothar Wegener, 1880 -1930)は、気象学者でもある。彼は1911年に大気熱力学の本を書いた際にケッペンにその校閲を依頼した。依頼を受けたケッペンはウェーゲナーを自宅に招き、ウェーゲナーは本を校閲してもらう間、しばらくケッペン宅に滞在した。ウェーゲナーはそこで知り合ったケッペンの令嬢エルゼと結婚した。つまりケッペンはウェゲナーの義父となった。
アルフレート・ウェーゲナー


 ウェーゲナーは1915年に有名な「大陸移動説(theory of continental drift)」を発表した後、1919年にドイツ海洋気象台に入って、引退したケッペンの後を継いた。そこでウェーゲナーは古気候を研究し、ケッペンとともに有名な「地質時代の気候(Die Klimate der geologischen Vorzeit)」を出版した。これはウェーゲナーの大陸移動説を補強する基礎データになったともいわれている。

 ウェーゲナーは1925年にオーストリアのグラーツ大学の地球物理学と気象学の教授となったが、1930年に3度目のグリーンランド探検の途中で遭難し消息不明となった。

 本の7-3「暴風警報に向けた体制の確立」で述べたように、日本の測候所を組織化して警報発表体制を作ったのはお雇いドイツ人エルヴィン・クニッピング(Erwin Knipping, 1844-1922)だった。彼は日本の気象予報が独り立ちした後、1891年に帰国してケッペンがいるドイツ海洋気象台に就職した。クニッピングの令嬢はケッペンの令息に嫁いでいる[1]ので、ウェーゲナーとクニッピングは互いにケッペンの子供の義父ということになる。なおクニッピングは1922年にキールで79歳の生涯を閉じているので、1930年のウェーゲナーの遭難を知らない。

 (次は「古代中国での気象学(1)初期の考え方」)

参照文献

[1]岡田武松(1949) 気象学の開拓者,岩波書店

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