2019年1月8日火曜日

古代中国での気象学(1)初期の考え方

 古代中国での気象の考え方は、分量の関係で本には入れなかった。そのため、いくつか簡単に補足しておきたい。

  中国古代の殷では「帝」は地上を支配する天の神であり、干ばつによる飢饉などを起こすことによって自然と人間に対して絶対的な権力をもつと考えられていた。山や川も降雨や収穫に影響する自然神として祭祀がおこなわれていたが、帝は自然神の中で別格の存在であり、殷の王はその直系の子孫であるとされていた [1]。 

 ところが、その自然神の中の「天」がだんだん特殊な存在となり、天そのものが「帝」より超自然的な力を有すると考えられるようになった。紀元前1027年に殷帝国を滅ぼした周王朝(紀元前1027年?~紀元前256年)は、帝の子孫である殷を滅ぼしたことで、その正当性を問われることとなった。殷を滅ぼした周王朝は、「天」の力が「帝」より勝るとすることによって、殷を滅ぼしたことを「天命」と唱えた。そして天には王朝の交替をも決定する役割を与え、「天命」によって徳ある者が「天子」として王位につき、徳を失った王は失脚すると唱えた[1]。 


劉安

 一方で、風や雨をもたらすものは「気」によると考えられていた。計倪子(紀元前4世紀ごろ)では"風は天の気であり、雨は地の気である。風は季節に従って吹き、雨は風に応じて降る。天の気は下降し、地の気は上昇する" [2]と記されている。前漢時代(紀元前206年~紀元8年)に、中国での天の科学と哲学は一つの絶頂期を迎えた。紀元前160年頃に、高祖の孫で淮南王となった劉安(紀元前179年-紀元前122年)は「淮南子」を編集した。その基本的な考え方は陰陽説に基づいており、「陰と陽に大別される2つの気が凝縮、分離、循環することで万物の生成・消滅などの変化がおこる」というものだった。雨、雷、雪などの気象、洪水や干ばつなどの災害も陰陽説に基づいた天と地の気に起因するとされた [1]。

つづく


 [1]荒川紘(2001)天の思想史. Shizuoka University REpository, 人文論集. 51(2), p. 1-22. doi.org/10.14945/00000405.
[2] 鈴木善次. 第24回天気現象研究の足跡. 科学の歩みところどころ. (オンライン) https://www.shinko-keirin.co.jp/keirinkan/kori/science/ayumi/ayumi24.html.

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