2019年1月12日土曜日

古代中国での気象学(3)気象観察

 古代中国では、気象の原因として陰陽思想に基づくものが多かったが、中には観察に基づいたと思われるものもあった。後漢の下級役人であった王充(27年~97年頃)は、陰陽思想や災異説などの迷信を批判し、合理的な考えを尊んだ。自然についても合理的な観察に基づいて、例えば雲の発生と雨との関係を「論衡」の中の「説日」において次のように述べている。
 
王充
「見雨從上集,則謂從天下矣,其實地上也。然其出地起於山。(中略)雨之出山,或謂雲載而行,雲散水墜,名為雨矣。夫雲則雨,雨則雲矣。初出為雲,雲繁為雨。」[1]

日本語訳では、「雨の上より集るを見れば則ち天より下ると謂はんも、其の実は地より上るなり。然も其れ地より出でて山より起るなり。(中略)雨の山を出づるには、或ひは謂へらく、雲、載せて行き、雲、水を散じて墜る、名づけて雨と為す、と。夫れ雲は則ち雨、雨は則ち雲なり。初めに出づるを雲と為し、雲繁くして雨と為る」[2]となる。

 これは、地から水が上って山にぶつかって雲となり、雲が集まって雨となるという今日から見ても合理的な考えであった。

つづく

[1]https://ctext.org/lunheng/shuo-ri/zh
[2] 小林春樹. 古代中国の気象観・気候観の変遷と特色. 大東文化大学. 東洋研究所, 2002. 「東洋研究」第143号.

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