ロスビーがアメリカに来た頃に気象局の片隅で知り合ったライケルデルファーは、1939年にアメリカ気象局長官となった。ライケルデルファーは、気象局の改革のためにロスビーに対して長官補佐への就任を要請した。これによってかつてロスビーを追い出した気象局の人々は、ロスビーの下で働くことになった。気象局には既に彼の片腕だったバイヤースなどがおり、彼らの協力を得てロスビーは気象局へのベルゲン学派気象学の導入のための改革を行った。これによって、アメリカ気象局においてようやく前線などを用いた気象解析が行われるようになった [8]。 気象局改革の目途を付けたロスビーは、1941年にはシカゴ大学へ移って大気波動の研究に取り組んだ。ちょうどその頃、アメリカは第二次世界大戦に参戦した。彼は国防長官の科学顧問となり、戦時の気象技術者養成のための体制の確立や教育プログラムの作成に尽力した。その結果、軍の機関だけでなく、マサチューセッツ工科大学(MIT)、ニューヨーク大学、シカゴ大学、カリフォルニア大学ロサンジェルス校(UCLA)、カリフォルニア工科大学(Caltech)で約8000名の気象士官が養成された [3]。また彼は自ら戦地を回って、そこで起こっている気象の問題の解決に貢献しただけでなく、それまでほとんど例のなかった熱帯での戦いのために、熱帯での気象予報を改善するべくシカゴ大学がプエルトリコに熱帯気象研究所を設立するのを支援した [2]。
ロスビーは戦地を回りながら、気象予測の戦争への重要性やそのための軍独特の体制にも関心を抱いたのかもしれない。少し変わったところで、ノルマンディ上陸作戦に関連した話がある。この大規模な上陸作戦の実施は、潮の関係で1944年6月5日からの3日間に限られていた。この作戦は凌波性のない上陸用舟艇や風に流されるパラシュート部隊を用いるために、天候に極めて敏感に依存しており、気象予報の外れは作戦の大失敗と直結していた。
しかも大規模な軍を緻密に動かすために、予定の24時間前には作戦を実施するかどうかの決断を求められ、いったん作戦が動き出すとこの多種の軍が連携した作戦を止めることは不可能だった。上陸作戦軍司令部の元には、イギリス海軍、イギリス気象局、アメリカ陸軍航空隊という出自が異なる3つの予報チームが置かれていたが、それらの予報が同じになることは稀だった。各将軍は身近な予報チームをひいきにしており、予報を巡る事情は複雑だった。
総司令官アイゼンハワーに対して気象予測のとりまとめを行ったのは気象士官であるドン・イェーツ(Don Yates)大佐だった。彼は激しく論争する3チームを絶妙に差配し、他の将軍たちの同意を取り付けてアイゼンハワーの決断を支援した [8]。ノルマンディ上陸作戦は紆余曲折した結果、アメリカ陸軍航空隊予報チームの6月5日は好天という予報を退けて、予定より1日遅らせて6月6日に実施された。
結果は6月5日は強風・高波となり、とても作戦を実施できる状態ではなかった。予定通りに作戦を実施していれば、上陸作戦は大失敗になっただろうといわれている。もし作戦が失敗していれば大兵力の損失だけでなく、ドイツ軍の裏をかいたノルマンディへの奇襲上陸という企図も暴露するため、上陸地点の選定から大幅に作戦を見直す必要があった。上陸作戦が無事に成功したのは、イェーツ大佐の手腕に依るところも大きかった。そして、その彼を上陸作戦軍司令部の気象士官に推したのはロスビーだった [1]。
1944年6月5日(最初の上陸予定日)の天気図。イギリス南部からフランス・ノルマンディ地方へ比較的密な等圧線が外洋から延びており、強風が外洋から直接ノルマンディへ吹き込む状況にあったことがわかる。https://en.wikipedia.org/wiki/Sverre_Petterssen#/media/File:Ddayweather.jpg
ロスビーは、1944年から1945年にかけてアメリカ気象学会の理事長を務めて学会を改革した。その際に、1944年にアメリカ気象学会のJournal of Meteorology誌、後のJournal of the Atmospheric Sciences誌を創刊した。また、後の1949年にはスウェーデンにおいてTellus誌も創刊している。こうやって多くの研究者の業績を残して、さらに発展させていくことにも尽力した。
(カール=グスタフ・ロスビーの生涯(7)数値予報と地球環境問題への取り組みとまとめへとつづく)
Reference(このシリーズ共通)
[1] Norman Phillips-1998-Carl-Gustaf Rossby: His Times, Personality, and Actions. American Meteorological Society, Bulletin of the American Meteorological Society, 79, 1097-1112.
[2] Horace Byers-1960-Carl-Gustaf arvid Rossby 1898-1957. National Academy of Sciences.
[3] John D. Cox, (訳)堤 之智 -2013- 嵐の正体にせまった科学者たち-気象予報が現代のかたちになるまで, 丸善出版, 978-4-621-08749-7.
[4] Fleming Rodger James-2016-Inventing Atmospheric Science: Bjerknes, Rossby, Wexler, and the Foundations of Modern Meteorology. The MIT Press, 978-0262536318.
[5] M. J. Lewis-1996-C.-G. Rossby: Geostrophic Adjustment as an Outgrowth of Modeling the Gulf Stream. Bulletin of the American Meteorological Society, American Meteorological Society, 77, 2711-2718.
[6] 小倉義光-1978-気象力学通論. 東京大学出版会.
[7] 田家康-2016-異常気象で読み解く現代史. 日本経済新聞出版 978-4-532-16987-9.
[8] John Ross-2014-THE FORECAST FOR D-DAY. Lyons Press.