2025年12月1日月曜日

降水量の測定は容易か?

 レーダー降水量などを除くと、降水量(雨量)の測定は基本的には瞬間値ではなく、ある一定時間の積分値である。そのため、雨水を貯めれば何らかの測定は出来る。しかも蒸発などによる貯水後の変動は小さく、また工夫すればその影響を減らすこともそれほど困難ではない。そのためか、降水量の観測の歴史は古い(降水観測の歴史は本書の「4-6 雨量計」で述べたので、詳しくはそちらを見ていただい)。

 紀元前に既に降水量を観測した記録がある。また複数の雨量計を用いたネットワークでの気象観測を世界で最初に始めたのは15世紀の李氏朝鮮であり、そのことを1910年に発表したのは、当時の朝鮮総督府の気象観測所長だった中央気象台の和田雄治である[1]。なお「暴風警報の準備(2」で述べたように、日本での気象観測法を編纂した一人も和田雄治である。

こうやってみると、降水量の観測は順調に発達してきたように見えるが、実はそうではなかった。むしろ降水量の測定は、19世紀まで厄介な問題を抱えた観測の一つだった。

その問題のきっかけとなったのは、1769年頃のイギリスのヘバーデンの実験だった。彼は庭に雨量計を設置するとともに、自宅の煙突の上にもう一つ雨量計を設置した。さらに近くのウェストミンスター寺院の高い塔の上にも雨量計を設置した。彼は一年間測定を続け、煙突での降水量は庭の降水量の80%しかなく、さらに高い寺院の塔の降水量は、庭の降水量に比べて約50%しか示さなかったことを明らかにした。これによって、降水量は高度の関数であると思われた。

ヘバーデンはこの現象の原因を説明できず、雨粒が最後の数百メートルで成長して降水量が多くなったのではないかと推測した。この実験結果を読んだベンジャミン・フランクリンも、同僚への手紙の中で、雨は大気中を落下する間にその冷たさで自ら結露しているかもしれない、と示唆した[1]

各地で同様の高度を変えた観測が行われたようだが、結果は大きなばらつきを示したものの、概ね高度が高いほど降水量が減るという規則性を示した。そのため地上に落下する数百mの間にどうやって雨粒が成長するのか、が議論となった。

個々の雨粒が落下中にどのような挙動を示すのか(成長するのか)、という実験を行うことはほぼ不可能に等しい。19世紀頃から一部の学者は風の影響を指摘するようになったが、決定的な証拠はなかった。今から考えると信じられないかもしれないが、フランスのフランソア・アラゴやイギリスのジョン・ハーシェルなどの高名な科学者も加わって、雨粒が地上近くで成長する凝結条件などの議論が1世紀近く続いた。

この論争に決着をつけたのは、イギリスのウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズ1835 - 1882)である。「えっ?」と思った方は経済学などにくわしい方に違いない。彼は「限界効用」という経済学で有名な基礎理論を唱えた一人である。また石炭などの資源問題、論理学においても大きな貢献を行った。 

ジェボンズの肖像写真
https://en.wikipedia.org/wiki/William_Stanley_Jevons#/media/File:William_Stanley_Jevons_portrait_extract.jpg

  ジェヴォンズは自然科学にも深い関心を持っていた。この問題を解決するために、彼は模型を用いた障害物による風の実験を行い、その結果を1861年に論文で発表した。それは2枚のガラス板の間に煙を流して、障害物によって空気の流れがどのように変わるかを可視化したものだった。彼は、実験結果を次のように述べている[2]。

 空気の流れは、障害物にぶつかるとそれを飛び越える。そうすることで、隣接する平行な空気の流れに押し付けられる。これは直進方向から発散し、同様に次の流れに衝突する。しかし影響によって生じた圧力の上昇は、気流の速度を速めると同時にその厚みを減らす。・・・落下する雨粒は、重力と空気の運動の両方の影響を同時に受ける。それは長方形の対角線をたどる。この長方形の垂直な辺は雨粒の落下速度を表し、水平な辺は風によって与えられる速度を表す。言い換えれば、落下する雨粒の軌道の(鉛直方向からの)傾斜角の接線は、風の速度にほぼ比例して変化する。

簡単に言うと、長方形の底辺は降水量に比例するが、風が強いとこの底辺が雨量計の間口よりどんどん長くなるということである。彼はこう結論している[2]

障害物の頂上には他の場所よりも少ない雨しか降らず、余剰分は障害物の風下側に運ばれることが、かなり明確に示されていると私は思う。このメカニズムによって、高所における雨量の欠損現象が十分に説明されることに私は疑いを持っていない。
雨量計と風速との関係

雨量計周辺の風の流線の模式図。風の線の間隔が狭いほど風が強い。 

彼は実際の風を同時に観測した降水量の観測結果を引用して、「建物頂上に設置した雨量計と地表の雨量計で観測される降水量の差は風速に比例する」と明確に述べている。これによって、風が強い上空ほど雨量計で観測した降水量が減ることが明確になった。これは観測において、測定器が正確でもその観測手法によって測定結果が正しいとは限らないことと、その判断が如何に難しいかを示している。   

その後、19世紀末から王立気象学会のジョージ・J・サイモンズなどによって降水量の観測にどのような条件が適切なのかの実験が繰り返され、雨量計の設置条件が決定された。気象庁では雨量計を用いた観測に、例えば以下のような環境を推奨している[3]

降水の観測は,できるだけ風の影響がない場所とするのが理想である。これは雨滴や雪片が風の影響を受けて雨雪量計受水口に入らなくなるのを防ぐためである。・・・近くに建物がある場合は,建物による局地的な風の乱れの影響を防ぐため,その高さの少なくとも2倍以上,できれば4倍以上離れた位置に設置する。傾斜地や建物の屋上は観測場所としては,特殊な観測目的以外は,適当でない。雨雪量計そのものも風の影響を受けないようできるだけ低く設置する。

気象庁では基準に沿った場所に雨量計を設置するとともに、降水量の観測地点を見回って、周囲の樹木や建築物などの観測環境に変化がないかなどを定期的に確認している。

 

参照文献

[1] Ian Strangeways, A history of rain gauges, Weather, Vol. 65, No. 5, 2010.

[2] W. S. Jevons, On the Deficiency of Rain in an elevated Rain-gauge, as caused by Wind, Philosophical Magazine and Journal of Science, Vol. XXI, 1861. 

[3]気象庁、気象観測の手引き、1998

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