気象学とは異なるが、気象情報の変化が激しい今日、警報伝達の難しさを述べておくのも良いかもしれない。日本での警報は、明治16年にクニッピングが始めた暴風警報に始まる(日本の暴風警報と天気予報の生みの親クニッピング(4)参照)。しかし、危険な気象状況になりそうなことを、漁師などの多くの人々にわかってもらえるためにどう伝えればよいか、については当時から苦労があった。戦前は尋常小学校しか出ていない人々も多かった一方で、当時のいわゆる官吏は難しい漢語を使う傾向にあった。どうも警報に「海上不穏の虞(おそれ)あり」などの文言を用いたこともあったらしい。日露戦争の日本海海戦でその気象予報を行い、戦前に中央気象台台長を務めたことでも知られている岡田武松は、次のように述べている[1]。
「虞れあり」なぞと云ふのは誠に六つかしい文字だ、大衆を相手とするものに、こんな途方もない六づかしい文字を用ひるのは決して策の得たものではない。
彼は気象情報をわかりやすく改善しようとしたが、それに対して、論語などの教育を受けた旧来の識者から抵抗を受けたようである。一方で警報に「風強かるべし」のような中途半端な文言を入れていたため、今度は風が強い地域では警報がしょっちゅう出ることになり、「狼来たれり」の二の舞をやってしまったとも述べている[1]。
昭和9年の室戸台風の被害を受けて、昭和10年9月1日から気象特報というものが設けられ、「風強かるべし」のような文言はそちらに移されることになった。これは今でいう注意報である。なぜ「注意報」にならずに「特報」という名称にした理由について、岡田は「注意報と云ふのは語路も悪いし、少しく驚かす意味も含んでゐて、面白ろくないと云ふ向きもあり」と述べている[1]。注意報という名称に、当時は抵抗があったことがわかる。これで当時の気象関する情報は、天気予報、気象特報、気象警報の3段構えとなった。
その後、幾多の変遷があったが、2004年(平成16年)の「新潟福島豪雨、福井豪雨」を受けて、防災気象情報の改善が加速した。2006年から指定河川洪水予報の改善が始まり、2008年には土砂災害警戒情報が全国的に発表されるようになった。2010年には各種警報も全国の市町村単位で発表されるように変わり、2013年から特別警報が新設された。2019年には防災行動としての警戒レベルの運用が開始され、2021年にはそれによる住民が取るべき行動が明確化され、各種気象情報などとリンクされるようになった。
防災情報は日進月歩の状態だが、その理解に追いつくのが大変になっている。しかもこれらは防災気象情報のメインストリームの部分であり、他にも記録的短時間大雨情報、竜巻注意情報、高温注意情報(熱中症警戒アラート)など、あまたの気象情報が出されている。他にも地震・津波や火山に関する情報もある。
岡田武松が述べているように、昔から気象関係者は気象に関する危険を誤解なく人々にわかってもらうことに苦心してきた。かつては異常乾燥注意報や異常天候早期警戒情報など強いニュアンス持つ名称の気象情報もあったが、今ではそれらの名称は変更されている。気象情報について名称の変更、情報のレベル化など幾多の改善がなされてきたが、人々の意識や行動も変わっていく。今後もこういった改善は続いていくのかもしれない。
参照文献
[1]岡田武松、続測候瑣談、岩波書店、1937
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