このブログは 「気象学と気象予報の発達史 」の一部です。
17世紀後半に、ホイヘンスらによって機械式時計が発明された。これはひげぜんまいや金属歯車などを用いて、自動で時を刻むものだった。これはヨーロッパで精密機械が発達するきっかけの一つになったのではないかと思う。
ところで、当時気象測器も発展の途上だった。当時の気象測器は、温度や気圧、風速(風力)などのセンサーの指示を目で読み取る必要があった。気象観測は夜間を含めて定期的に長期間継続する必要がある。人が毎日一定時刻に測定器の前に行って、指示を記録することは大変な負担だった。記録をなんとか自動化したいと思うのは自然だった。
その自動化の試みに使われたのが機械式時計の仕組みの利用である。本書の「4-7 メテオログラフ」で書いているように、それを利用した自記気象観測装置を最初に考案したのは、クリストファー・レンである。彼はロンドンのセントポール大聖堂をはじめとして数多くの有名な建物の建築を手掛けた建築家だったが、幼い頃から機械式時計に興味を持っていた。彼は15歳の頃、父親宛に「回転シリンダー付きの気象時計(ウェザークロック)を作った」と手紙に書いている。しかし、どういう物であったのかという具体的な資料は残っていない。
クリストファー・レンの肖像画
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%B3#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Christopher_Wren_by_Godfrey_Kneller_1711.jpg
これを引き継いだのが、レンの友人で王立協会のメンバーだったロバート・フックだった(ロバート・フックと気象観測を参照)。彼はフックの法則や顕微鏡を使ったスケッチであるミクログラフィアなどで有名である。フックは王立協会でさまざまな気象測器も考案していた。気象測器の発達の立役者の一人である。
彼はレンのウェザークロックを改良した。そして、振り子時計を利用したメテオログラフと呼ぶ気温、風向、雨量の自記気象観測装置を作った。ただ、屋外では使えなかったり、高額な上に記録結果を読み取るのに手間がかかったりしたため、この装置は広まらなかった。
気象測器に限らないが、当時のヨーロッパにおいては、なんとか装置を機械化して自動化したいという強い熱意を感じる。このような熱意は、後の紡績機や蒸気機関の発明にもつながったのではないだろうか。ヨーロッパでは、細々とではあるが自記気象観測装置の開発は続き、さらに精巧かつ巨大化していった。1851年のロンドン万国博覧会には光学機械メーカーが作成した巨大な大気記録装置が出品され、1867年のパリ万国博覧会では、電気を動力としたものも出品された。それらには記録頻度を高めることによって、謎の多い気象を解明しようという思いも含まれていた。
しかし、時代は小型化の方へ進んでいた。1880年代に持ち運びできる簡単な構造で安価な自記温度計や自記湿度計、自記気圧計などが開発されると、それまでの精巧だが巨大で重いメテオログラフは廃れていった。
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