2024年7月2日火曜日

雨が降るメカニズム

 雨が降るためには水蒸気が必要になる。そのため、最近は豪雨になると気象学の歴史から見た大気の川」で解説したような、水蒸気がどこそこから流れ込んでという解説がよくなされる。では、水蒸気の多さが豪雨の原因の全てかというと、事はそう簡単ではない。

歴史的に見ると、19世紀頃から雲粒の生成については凝結によることがわかっていた。しかし、雲粒同士の衝突だけでは、落下するほど大きな雨滴になるには相当な時間が必要となり、簡単には雨滴にならない。落下するほど大きな雨滴が、雲の中でどうやってできるのかは、1930年頃まで謎だった。

この謎を最初に解いた一人は、ノルウェーのベルゲン学派の気象学者、トル・ベルシェロンだった。彼は、幼い頃から雲のような気象要素の綿密で巧みな観察が得意だった。

ベルシェロンは保養のためによく訪れたオスロ近くの山腹で、1922 年にモミの森の散歩道を何度か歩いている間に、気温によって霧のパターンが異なることに気がついた。暖かかった時は、霧は散歩道の路面一帯に立ち込めていたのに、気温が氷点より十分に下がると、霧が晴れて路面がはっきり見えた。

彼はすぐにこの理由に対する仮説を思いついた。それは風上にあったモミの木の枝に付いていた霧氷が、-10℃程度の十分に低い気温下で水蒸気を吸収してしまったのではないかということだった。その結果、風下の散歩道では湿度が下がり、霧の液滴が蒸発して霧が晴れたのではないかというものだった。

ベルシェロンが考えた低温下で霧が晴れるメカニズムの模式図。
上が温かい場合、下が寒い場合

彼は、この考えを発展させて、雲の中で雨滴ができるメカニズムを考察した。それは水と氷の飽和蒸気圧の違いによって、十分に寒い高度にある雲では、雲粒から水蒸気が蒸発して氷晶核の方に付着する。こうやって氷晶核が十分に大きくなると落下し始める。これが暖かい大気層まで落下すると、溶けて雨滴となる、というものだった。

彼は、1933年のリスボンの国際測地学・地球物理学連合の会合でこの説を発表した。この氷晶核による雨滴の生成理論は、ベルシェロン過程(またはベルシェロン・フィンダイセンの説)とも呼ばれている[1]。この説はその後の飛行機による観測などによって確かめられ、中・高緯度の並雨以上の強さの雨の機構を説明するものとして広く受け入れられた。また人工降雨実験のための科学的な根拠となっている。

つまり、この説によると、雨が降るためには水蒸気だけではなく、雨滴の核となる氷晶核を作る固体の微粒子も必要となる。この微粒子には地表からのダスト、海からの海塩粒子、大気汚染(二酸化硫黄)からの硫酸粒子などがある。最近はこれらに加えて、微生物が生成する微粒子も関係しているのではないかとも言われている。

降雨のメカニズム(気象庁、数値予報解説資料、第4章、2012)
ベルシェロン過程は、主に中高緯度での右側の流れを解説している。雲氷は融解して左側に移って雨となる。下層が冷たければ、そのまま雪や霰として落下する。

(次は「フェーン現象の解明」)

参考文献

[1] J. D. Cox, (訳)堤 之智、嵐の正体に迫った科学者たち、丸善出版、2013.

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