(このブログは 「気象学と気象予報の発達史 」の一部です )
![]() |
ユリウス・ハン |
「気象学と気象予報の発達史」(丸善出版)のこぼれ話など気象学の歴史に関連する話を補足、説明していきます。
このブログの操作法
・これまでのブログのタイトルは、右欄の「これまでのブログタイトル」のクリックで一覧できます。
・最下段の「次の投稿」、「前の投稿」から前後の記事に行けます。
(このブログは 「気象学と気象予報の発達史 」の一部です )
![]() |
ユリウス・ハン |
(このブログは 「気象学と気象予報の発達史 」の一部です )
(このブログは 「気象学と気象予報の発達史 」の一部です )
「気象学と気象予報の発達史」(以下「本」)では、近代以降は主に天気予報に焦点を当てたため、気候に関する事項は、断片的になっている。そのため、ここで気候学の歴史を概要ながらまとめて説明しておきたい。
もともと気象を観測する目的は、湖の水位や川の流量などの水文学と関連することもあったが、その地域の平均的な気象(気温や風、雨量)つまり気候を得ることにあった。平均的な気温や雨量などを示す気候から、その土地に向いた農作物などを知ることができた。本の3-3「学会の誕生と気象観測」に記したように、17世紀のイタリア、トスカーナの「実験アカデミー(Accademia del Cimento)」やイギリス、ロンドンの「王立協会(Royal Society)」は、気象測器を開発して、各地の気候を知るための国際規模の気象観測網を構築した(各気象要素の測定器の開発は本の4章「気象測定器などの発展」に詳しい。これは後の物理や化学の発展の礎を築いた)。後の様々な組織による気象観測網を含めて、各地の気候を知る目的には気象の法則を知ろうとしただけでなく、その地域の気候を知る目的も含まれていたと思われる。
観測された気象データは本の中で表にして刊行されたが、日々蓄積している膨大な数値を目で見て理解して利用することは容易ではなかった。そのため17世紀頃から観測結果をグラフ化することが始められた。オックスフォード大学の自然研究者ロバート・プロット(Robert Plot, 1640-1696)は,1684年に気圧値を線グラフ化して王立協会の「哲学紀要(The Philosophical Transactions of the Royal Society)」に発表した。オランダの科学者ペトルス・ファン・ミュッセンブルーク(Pieter van Musschenbroek, 1692-1761)は1729年に出版した『実験物理学・幾何学論考(Dissertationes physicae experimentalis et geometricae de magnete)』の中でやはり気圧のグラフを示した。これは気象学におけるグラフの普及に影響をおよぼした[1]。その前後から観測結果を各地でグラフ化して分析することが行われるようになったようである。
月刊「望星」(東海教育研究所)は8月号で「天気は悪くありませんー気象予報の2000年」という特集を組んだ。私は編集部から取材を受けて、その内容はその特集の中で「気象学はこうして生まれ発展してきた」というタイトルの記事になった。
記事の中身は特集の中の「天気予報ことはじめ」とあわせて「気象学と気象予報の発達史」の概要を知るには格好の内容となっている。(一部は立ち読みコーナー参照)。「望星」編集部には感謝を申し上げたい。
また、この特集には他にも田家 康氏が「そのとき、天気は動いた?」という題でやはり記事を出されている。同氏は人類と気候との関係に多数の著書を出されている専門家で、人間と気候との関係に興味深い記事を書かれている。また他にも天気と病の関係などの記事もあるので、興味のある方には参考になると思う。
(次は「気候学の歴史(1) 気候(気象)観測の始まり」)
(このブログは 「気象学と気象予報の発達史 」の一部です。)
雪の結晶(snow crystals)は美しいものが多いが、6角形(hexagon)になっているものが多い。そのことに最初に気づいたのは中国の前漢の詩人韓嬰(Han Ying, ~BC200-BC130)とされている。彼が紀元前135年に書いた詩集「韓詩外傳(Han Shi Wai Chuan)」には雪の花には6つの花弁があることが記されている [1]。しかしながら西洋においては、少なくとも記録に残っている限りでは雪が6角形であることに気付くのは遅かった。ドイツのケルンの神学者アルベルトゥス・マグヌス(Albertus Magnus, 1193-1280)は、1260年頃に雪片について星形の記述を残し、スウェーデンの聖職者であったオラウス・マグヌス(Olaus Magnus, 1490-1557)は、1555年に6方の雪のスケッチを残した [1]。
西洋の文献において雪の結晶が6角形であることを初めて主張したのは、1611年にヨハネス・ケプラー(Johannes Kepler, 1571-1630)が書いた「6角形の雪片について(Strena Seu de Nive Sexangula)」とされている。彼はその観察の際にレンズを使った拡大鏡を使ったようである[1]。また、1665年にはロバート・フック(Robert Hooke, 1635-1703)が「顕微鏡図譜(Micrographia)」において六方晶系の雪の結晶を精密に描いて、軸から分岐した小枝はすべて隣の軸と平行していることを発見した(彼については「ロバート・フックと気象観測 」を参照)。1681年にはイタリアの数学者ドナト・ロセッティ(Donato Rossetti, 1633-1686)が初めて雪を5種類に分類した [2]。
日本においては室町時代後期の公卿である三条西 実隆(Sanjonishi Sanetaka, 1455-1537)が肉眼で観察した雪の結晶を記録して六花と表現した[3]。また江戸時代の蘭学者で浮世絵師でもある司馬江漢(Shiba Koukan, 1747-1818)は顕微鏡を使って絵を描いたが、その中に雪の結晶もある。さらに江戸後期にヨーロッパの訳書から雪の結晶に興味を持った大名がいた。それは私の本の3-6-3「ヘンリー・ピディントン」で紹介した古河藩主土井利位(Doi Toshitsura, 1789-1848)で、天保8年(1837年)に「大塩平八郎の乱」を鎮定したことでも知られている。彼はオランダの教育者ヨハネス・マルチネット(Johannes Florentius Martinet, 1729-1795)が書いた「格致問答(Katechismus de Natuu)」という子供向けの教科書に書かれた雪の結晶図を、通訳である猪俣昌之の訳で知った。それを参考にして自ら雪の結晶を顕微鏡で20年間観察して描いたものを、天保3年(1832年)に「雪華図説(Sekka Zusetsu)」、天保11年(1840年)には「続・雪華図説(Zoku-Sekka Zusetsu)」として刊行した [4]。
浮世絵の着物の柄に使われた 雪花模様 |
![]() |
セシリア・グレーシャーによる 雪の結晶のスケッチ |
![]() |
ベントレーが撮影した雪の結晶 (From A Study of Snow Crysitals) |
![]() |
ナカヤ・ダイアグラム |
前述した中谷宇吉郎は、雪の研究で世界的に知られている。彼はベントレーの研究に啓発されて雪の研究を開始し、世界で初めて実験室で人工的な雪を作り出した。またさまざまな実験から、降ってきた雪の結晶の形からその結晶が成長した大気状態が推定できることを発見した。この大気状態と雪の結晶の関係を示した図はナカヤ・ダイアグラム(Nakaya Diagram)として知られている。雪の結晶から上空の大気状態を推定できることから、彼は有名な言葉「雪は天から送られた手紙である」を残した。しかし、この言葉は中谷自身も触れているように、1611年のケプラーによる「雪片は、天国から降りてきて、星のように見える」と述べた研究を踏まえたものである。