2019年9月26日木曜日

気候学の歴史(3)気候学研究の始まり (History of Climatology (3): Beginning of climate study)


 19世紀後半から増加した観測地点の結果を用いて、イギリスの気象学者アレキサンダー・バカン(Alexander Buchan, 1829-1907)は、18671869年に気圧についての初めての世界分布図「The Mean Pressure of the Atmosphere and the Prevailing Winds over the Globe for the Months and for the Year」を発表した。アメリカの数学者兼気象学者ジェームス・コフィン(James Coffin, 1806-1873)らは世界の3223地点の風のデータをまとめた「The Winds of the Globe」を1875年に出版した。

 1872年から1876年にかけてイギリスの軍艦チャレンジャー号は、ほぼ全世界を巡る有名な探検航海(Challenger expedition)を行った。その際に海洋学の調査だけでなく、気象や海流も同時に観測を行った。バカンは、チャレンジャー号の観測結果を整理して1889年に「Report on Atmospheric Circulation」を気候図として発表した。これは陸上だけでなく海洋上の観測データを含んだものとして大きな意義があった。

ユリウス・ハン
 オーストリアの気象学者ユリウス・ハン(Julius Ferdinand von Hann, 1839-1921)は1882年に「Handbuch der Klimatologie(気候学ハンドブック)」を発表した。これによって近代的な気候学が誕生した。彼はその本で気温の緯度などの惑星規模の物理学的特徴に重点を置き、気温が緯度によってどのように異なるべきかなどの研究を理論的に説明した。これは、今日の「地球のエネルギー収支」の考え方の元となるべきものである。それでもハンは、気候学の大半を統計的な研究とみなした[1]


 ドイツの気象学者ウラジミール・ケッペン(Wladimir Köppen, 1846-1940)は、本の5-1-2「気候図の発明」で述べているように、1884年に細かく気候区分を分類した世界気候図を作成した。これは植生分布と強く関連しており、何度も改訂されて有名な「ケッペンの気候区分」となって産業や農業などに広く利用されるようになった。

 気候学の内容はそれから50年間はほとんどハンの本の伝統のままで、言ってみれば地理学に近かった。1951年にはイギリスの気象学者C. S.ダーストは次のように述べている「現在行われているように、気候学は主に進展に重要である物理学的な理解の基礎を持たない統計研究である。」[2]

 20世紀に入ると、有用な気候図として1919年にはイギリス気象局から「Barometer Manual for the Use of Seaman」が発行され、アメリカの気象局や水路局(Hydrographic Office)は各海域の「Pilot Charts」を発行した。日本でも1931年に中央気象台が発行した「The Climate of Japan」の付図として「日本及隣邦気候図」が刊行された[3]

つづく

参照文献

[1] Edwards-2013-A Vast Machine: Computer Models, Climate Data, and the Politics of Global Warming, MIT Press.
[2] Durst-1951- Climate—The Synthesis of Weather. In: Malone T.F. (eds) Compendium of Meteorology. American Meteorological Society, Boston, MA.
[3] 中央気象台-1931-中央気象台欧文報告第4巻第2

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  1. 明治政府測量師長アレクサンダー・マクヴェインと、日照記録計発明者のジョン・フランシス・キャンベル、スコットランド気象協会事務局長アレクサンダー・バッカンとの関係は以下をご覧ください。https://sites.google.com/site/archisslh/mcvean/surveyor-in-chief2

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