18世紀後期と19世紀初期には革命などを経て一定の領域を統一的に統治する「国家」という理念が明確になってきた。国家はその維持や繁栄のために、国家の基礎となる国家人口、農業種の構成、課税対象物の生産量、国民の健康状態、人種構成、国民の富の分布のような新しい情報を必要としたため、そのような基礎統計の作成と提供を熱心に行うようになった。そして、そのような統計の対象に気象(気候)データも含まれていた。[1]
このようなデータの統計作業には膨大な手間がかかる。そのためにそれを軽減する工夫が行われた。アメリカの発明家ハーマン・ホレリス(Herman Hollerith, 1860-1929)は、固い紙上のあらかじめ定義された位置の穴の有無で情報を保管、処理するパンチカード(punch card)とその集計機(Tabulating machine)を発明し、1890年の米国の国勢調査で初めて使用された。彼はそれをもとに後にIBM社となる会社を興した[2]。
パンチカード |
毎日定時観測される多数地点の気象データを人手で統計処理するにも膨大な手間がかかる。そのためにやはり処理の機械化が考えられるようになり、20世紀に入ると大量の気象データの統計処理(つまり気候データ化)にパンチカード・システムが使われるようになった。
イギリスでは船の航海日誌の風データを使って海洋上の風配図を作成するために、1920年頃からパンチカード・システムを用いた。するとオランダ、ノルウェー、フランス、ドイツなどが気候学のための気象統計にそのシステムを導入するようになった。1927年に、チェコの気象学者L. W.ポラック(L. W. Pollak)は、安価なカードパンチシステムを開発した。さらにチェコでは気象観測地点でパンチカードにデータを直接記録して中枢の表作成部門に送ることを可能にした[3]。1930年代には、多くのヨーロッパの国家気象局は、気候統計のためにパンチカード・システムを導入した。このシステムは日本でも軍など一部では用いられたが、当時の中央気象台では金銭的な余裕がなく、少なくとも戦前は用いられなかった[4]。
パンチカード・システムを使った処理はそれまでの人手による計算によって起こっていた多くのエラーを無くし、それまでより多くのデータを誤りなく高速で処理することを可能にした。またパンチカード・システムは、パンチカードの高速での仕分けや作表、記録された欠落データや誤データの確認にも利用された。これによって大量の気象データが、迅速かつ正確に気候データへと整理できるようになった。このパンチカード・システムは気候値の作成だけでなく、後に数値予報の初期には気象データのコンピュータへの入力にも用いられた。
(つづく)
[1] Nebeker-2013-Calculating the Weather, Academic
Press.
[2] Edwards-2013-A Vast Machine: Computer
Models, Climate Data, and the Politics of Global Warming, MIT Press.
[3] Fleming-2005- Historical Perspectives
on Climate Change, Oxford University Press.
[4] 荒川秀俊-1947-気象学発達史, 河出書房.
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