2022年11月6日日曜日

風船爆弾(6)

6.  アメリカでの初期の反応

アメリカで日本軍の気球が初めて発見されたのは1944年11月4日だった。1944年11月4日、カリフォルニア州サンペドロの南西105 km沖の海上で、海軍の哨戒機がボロボロになった大きな布の破片のようなものが浮かんでいるのを発見した。この未確認物体の残骸(気球本体と無線発信器)は船上に引き上げられ、製造標識からすぐに日本製のゴム引きシルクの気球であることが判明した(シルクであることから海軍のB型だと思われる) [1]。

2週間後に再び別の気球の破片が海から引き揚げられた。しかし、これらにはそれほど関心は持たれなかった。それから4週間後にワイオミング州とモンタナ州で気球が発見された。こうなると、何かが起こっているという関心が起き、国、州、地方を問わず、あらゆる政府機関に情報提供と気球回収への協力が要請された [1]。

その頃から風船爆弾に関する情報が集まってきたようである。12月11日にモンタナ州カリスペル近くで大型の紙製気球が発見された。12月19日には西部防衛司令部はワイオミング州サーモポリス付近で爆弾の爆発跡が発見された。12月6日の夜にこの付近で爆発音が聞こえたので、この日に気球が落とした爆弾がこの爆発跡の原因と考えられた。その12日後の12月31日、オレゴン州エスタカダ付近で紙製気球といくつかの装置が発見された [1]。

また、早朝に釣りに出かけた親子が、パラシュートか気球のような物体が静かに近くの丘の上を通過するのを目撃した。しばらくして、爆発音が谷間に響き渡り、その物体が消えた方向からわずかに煙が出ているのが見えた。二人がその場所に着いた時には、森の中に紙片が飛び散っていた。また、家で寝ている子供を寝かしつけていた母親は、窓からの突然の光と静かな暗闇の中での鋭い爆発音を聞いた。また丘の頂上からやってきた牧場主たちが、低木の茂みに絡まったしぼみかけの気球を発見した [1]。

気球を回収して詳しく調べるために、手間のかかる作業が行われることもあった。ここでは、1945年3月29日にネバダ州ピラミッド湖に無害な状態で着陸した樹上の気球を回収するために、木を切り倒している。

このような発見に、地元の軍当局は何が起こっているのかと困惑した。11月4日のカリフォルニア州サンペドロ沖での発見の際に、無線機や気象機器と思われるものが搭載されていたため、地元関係者は「海を渡って飛んできた日本の気象観測気球だろう」と判断した。しかし、12月にワイオミングで爆発跡が発見されると、気球が爆弾を運んでいたという説に注目が集まり、爆発跡の近くで見つかった破片が日本製爆弾の破片であることが判明した。他の気球の回収から気球は日本の新型攻撃兵器という結論に至った [1]。

陸軍省は、1945 年 1 月 4 日に西部方面防衛軍司令官をアメリカ西部におけるすべての気球情報活動の調整役として指定した。各種の報告書は、気球の目的の1つが焼夷弾または爆弾の投下であることを明確に示していた。しかし、他の可能性も見過ごせず、1945年3月末に陸軍省は、気球の目的を列挙した文書を作成した。その主なものは次のものである [1]。

  1.  細菌戦、化学戦、あるいはその両方。
  2.  焼夷弾、対人爆弾の輸送。
  3.  目的不明の実験
  4.  恐怖心を煽り、戦力をそぐための心理的圧力をかけるため。
  5.  諜報員の輸送
  6.  対空兵器

乾季に焼夷弾を広範囲にばら撒けば、太平洋岸の広大な森林火災を生じさせることができる。これは日本の意図するところであり、またアメリカ国民に与える心理的効果でもあった。ただ先に述べたように、日本にとって気球の発射に都合の良い季節は、アメリカの乾期とはずれていた。また、日本では意図しなかったが、気球を使った細菌戦の可能性もあった。これはもしそうだったらアメリカにとって極めて大きな脅威であった。このため、調査のため大勢の生物学者を動員するとともに、状況はできる限り隠蔽された。

(つづく)

参照文献(このシリーズ共通)

1. Mikesh C. Robert. Japan's World War II Balloon Bomb Attacks on North America. Smithsonian Institution Press, 1973年, Smithsonian Annals of Flight, Number 9 .
2. 防衛庁防衛研修所戦史部. 大本営陸軍部〈9〉. 朝雲新聞社, 1975年.
3. 櫻井誠子. 風船爆弾秘話. 光人社, 2007.
4. 伴繁雄. 陸軍登戸研究所の真実. 芙蓉書房出版, 2010.
5. 荒川秀俊. お天気日本史. 河出書房, 1988.
6. 荒川秀俊. 風船爆弾の気象学的原理. 東京地学協会, 1951年, 地学雑誌, 第 60 巻.
7. 草場季喜. 風船爆弾による米本土攻撃. (編) 日本兵器工業会編. 陸戦兵器総覧. 図書出版社, 1977.
8. 高田貞治. 風船爆弾(II). 中央公論社, 1951年, 自然, 第 6 巻, p44-54.
9. 高田貞治. 風船爆弾(III). 中央公論社, 1951年, 自然, 第 6 巻, p70-79.
10. Balloon Bomb(風船爆弾). Wikipedia. (オンライン) (引用日: 2019年9月5日.) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E8%88%B9%E7%88%86%E5%BC%BE.
11. 「ふ」作戦 ー風船爆弾始末記ー. (編) テレビ東京. 証言・私の昭和史4 太平洋戦争後期. 文藝春秋, 1989.
12. 高田貞治. 風船爆弾(Ⅰ).中央公論社, 1951年, 自然, 第 6 巻, p24-33.
13. 防衛庁防衛研修所戦史室. 戦史叢書第045巻 大本営海軍部・聯合艦隊<6>第三段作戦後期. 朝雲新聞社, 1971.
14. 明治大学平和教育登戸研究所資料館, 元登戸研究所関係者の座談会. 4号, 2018年9月, 館報, p111-127.



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