4 風船爆弾の構造と性能
4.1 陸軍のA型風船爆弾の構造
後述するように海軍もシルク製の風船爆弾を開発しており、陸軍の紙製気球を使ったものは「A型」と呼称された。陸軍が開発したA型風船爆弾の気球は、直径約10m(最大容積500m3)で、気球の強度を出すために和紙が上半球は4層と下半球は3層に交互に縦横に600枚貼り合わせられたものだった。
気球の底部には水素ガスの放出弁がつけられた。気球中程のスカート状の吊りカーテンから運搬する装置や爆弾を吊るための多くの吊索が下げられた。その吊索で搭載物である高度制御装置、バラスト(砂袋と焼夷弾)、爆弾などを吊り下げた。風船爆弾の総重量は約182kgで、そのうち典型的な爆弾の積載量は、15kgの爆弾1個と5kgの焼夷弾4個だった [12]。
風船爆弾の構造。[1]を和訳
4.2 A型風船爆弾の飛行
A型の風船爆弾は、飛行中に日射によってガス圧力が高まると気球のガス放出弁からガスを放出する。夜間の低温によるガスの収縮やガス漏れのためにガス体積が減って高度が下がれば、高度制御装置がバラストを落として上昇する。これを繰り返すことによって、高度を維持した。
風速の予測からバラスト投下の必要回数を計算し、風船爆弾がアメリカ大陸上空で爆弾を投下するように予め適切な回数が設定された。設定された個数のバラストをすべて投下した後に、しばらくすると浮力が足りなくなって気球は落下を始める。設定高度である4000mまで高度が下がると、高度制御装置は搭載していた爆弾を投下して自爆する。その火は気球を炎上させる爆薬への導火線に引火して、風船爆弾自体の存在を消滅さえる仕組みだった [9]。
4.3 潜水艦を用いた海軍の風船爆弾計画
海軍では、中央気象台からの提案を受けてか、潜水艦搭載の小型気球に爆弾を搭載して、アメリカに近い洋上から発射する作戦を計画した。気球関係は相模海軍工廠が、気象関係は海軍気象部が担当して研究を進めた [13]。1943年3月には、航続距離3000kmの直径6m気球が開発され、日本の西海岸と東海岸の間1000kmの飛行が確認された。この形式の気球は、高度8000mで30時間以上滞空できることがわかった。
この気球は潜水艦の甲板で膨らませ、5kg焼夷弾1個を取り付けた。気球はアメリカから約1000km離れた地点で、夜間に潜水艦から発射される予定だった。高度制御装置はなく、昼間の日射による熱で加圧された余剰分の水素ガスを放出しながら飛行し、約10時間後の夜に浮力が低下した気球が、アメリカ大陸上で自然落下する計画だった [13]。
海軍は建造中の2隻の潜水艦(伊54と伊55)に気球発射設備の搭載に着手し、この作戦のために200個の気球が作られた。しかしマリアナ海戦の敗退とサイパンの失陥により、気球を使った攻撃の余裕はなくなり、この計画は1944年7月頃に中止された [13]。
4.4 海軍のB型風船爆弾
しかし海軍は、陸軍の風船爆弾計画と平行して別な風船爆弾の計画を開始した。それは、陸軍の気球のようバラストの投下と余分なガスの放出で高度を制御するのではなく、気球にガスを充填後に気球体積を一定に保つように、表皮に温度や高度による圧力変化に耐える強度を持たせた。そのために表皮は、重いゴム引きのシルク生地(羽二重)を利用した。
海軍が開発したシルク製気球は「B型」と呼称された。海軍のB型気球は、原理的には定積気球を目指したものと思われる。これは強度のある表皮を用いて気球内部を加圧し、周りの温度にかかわらず気球の体積、つまり浮力を一定に保つものである。
しかしB型の材質であるシルクでは耐えられる圧力に限界がある。実験飛行中に、日射の加熱によりガス圧の測定値が毎日午後3時頃に最高値となり、多くの気球がこの時点で破裂した。そこでその後、気球にガス放出弁を取り付け、気球内のガス圧が外気圧より約70hPa以上高くなると水素ガスを放出するようにしたところ問題は解決した [9]。
B型にはガス漏れによる浮力低下を補うため、簡単な高度制御装置が付いていた。約3kgのバラスト14個を、高度が下がると4回に分けて投下するようになっていた。そしてA型と同様に最後に爆弾を投下する仕組みだった[1]。
B型は飛行が安定し、追跡等が容易なため300個が製作された。風船爆弾による攻撃時に、試射隊によってA型と同時に2~3個のB型の風船爆弾が発射された [9]。
4.5 A型とB型の風船爆弾の違い
陸軍のA型と海軍のB型の気球の仕組みや飛行性能の違いについて簡単にまとめておく。なお物理学的に、浮力は気球の体積が押しのけた分の空気の重さと同じとなる。
気球表皮の材質はどちらも紙かシルクかであり、ゴムのラバーとは違って伸縮はしないので、どちらも気球の最大体積は一定である。原理的な構造からいうと実は両者には大きな違いはない。ただA型は表皮が紙で耐圧がないので、気球の内圧は、ガス放出弁を用いて常に外の気圧と同じにする。日射による加温によって内圧が気圧より高くなった場合は、ガス放出弁から水素ガスを放出して内圧を下げる。気温が下がって内圧が低くなった場合は、気球がしぼんでやはり内圧は気圧と同じになる。
そのため上空で満球になるように、地上では気球に最大体積の6割程度しか水素ガスを注入せず、しぼんだ形で発射する。上空でガスが抜けて浮力が下がれば、バラストを放出して気球重量を軽減して高度を維持する。バラストがなくなった後に浮力が下がれば、落下して設定高度(約4000m)で爆弾を投下して自爆する。
一方、B型は発射時から外気圧と同じか少し高くなるまで内圧が高くなるように水素ガスを注入する。そのため、気球は地上での発射時から満球である。上空に上がって気圧が下がるか、日射によってガス温度が高くなって、内圧と外圧の差が70hPa以上大きくなれば、その時点で表皮が破れないようにガス放出弁からガスを放出する。
気球の体積は変わらない。気球は押しのけた体積の空気の重さ(浮力)と風船爆弾の重さが釣り合った高度で飛行する。そのためB型は飛行高度が比較的安定していることが特徴だった。ただし、徐々にガスを放出して気球内圧が外の気圧より低くなれば気球はしぼみ、浮力が全重量より小さくなれば自然落下し、設定高度で爆弾を投下してて自爆する。
なお、?は筆者による注記。
4.6 兵器としての発展
日本上空10km付近では11月頃から4月頃まで強い西風が吹いている。風船爆弾はこれを利用することで考案された。そのため、風船爆弾の利用は冬季の時期に限定されていた。
ところが、高度15km以上では夏でも強い西風が吹いていることがわかった。そのためこれを利用しようと登戸研究所では高度15kmまで上昇できる直径15m気球の開発に乗り出した。しかしこの大きさの気球は、浮力が大きすぎて地上での制御が極めて困難となる。少しでも風があれば発射は極めて難しい。結局試作は行われたが、取り扱いの難しさのために本格的に量産するまでには至らなかった [14]。
(つづく)
参照文献(このシリーズ共通)
1. Mikesh C. Robert. Japan's World War II Balloon Bomb Attacks on North America. Smithsonian Institution Press, 1973年, Smithsonian Annals of Flight, Number 9 .
2. 防衛庁防衛研修所戦史部. 大本営陸軍部〈9〉. 朝雲新聞社, 1975年.
3. 櫻井誠子. 風船爆弾秘話. 光人社, 2007.
4. 伴繁雄. 陸軍登戸研究所の真実. 芙蓉書房出版, 2010.
5. 荒川秀俊. お天気日本史. 河出書房, 1988.
6. 荒川秀俊. 風船爆弾の気象学的原理. 東京地学協会, 1951年, 地学雑誌, 第 60 巻.
7. 草場季喜. 風船爆弾による米本土攻撃. (編) 日本兵器工業会編. 陸戦兵器総覧. 図書出版社, 1977.
8. 高田貞治. 風船爆弾(II). 中央公論社, 1951年, 自然, 第 6 巻, p44-54.
9. 高田貞治. 風船爆弾(III). 中央公論社, 1951年, 自然, 第 6 巻, p70-79.
10. Balloon Bomb(風船爆弾). Wikipedia. (オンライン) (引用日: 2019年9月5日.) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E8%88%B9%E7%88%86%E5%BC%BE.
11. 「ふ」作戦 ー風船爆弾始末記ー. (編) テレビ東京. 証言・私の昭和史4 太平洋戦争後期. 文藝春秋, 1989.
12. 高田貞治. 風船爆弾(Ⅰ).中央公論社, 1951年, 自然, 第 6 巻, p24-33.
13. 防衛庁防衛研修所戦史室. 戦史叢書第045巻 大本営海軍部・聯合艦隊<6>第三段作戦後期. 朝雲新聞社, 1971.
14. 明治大学平和教育登戸研究所資料館, 元登戸研究所関係者の座談会. 4号, 2018年9月, 館報, p111-127.
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